あらすじ
大学入試での特別枠は差別なのだろうか。性的弱者への偏見や差別はどうだろう。最近はやりのセクハラ、かすはらなどの~ハラは何がいけないのだろうか。女性にはどう声をかければいいのか。女性に「ほら笑って」はいけないのか。外国人に対する「故郷へ帰れ」はどうだろうか。政治家の発言に聞く「あなたは美人」うんぬんはかまわないのか。
社会やその地域の文化にはびこる差別や偏見。人種差別だけではなく、男女差別、年代での差別、弱者への差別などなど、一部の人たちへの酷い扱いがはびこっている。
こうした問題は社会正義という観点から考えると、どのように対処すればいいのだろうか。声高に説教をする老人が話題になったり、ヘイトスピーチ、貧困家庭、児童ポルノの問題、男性の給与や昇進が有利な問題、出演俳優の違法行為による上映中止など、毎日のように耳にするこうした話題。これらはなぜなくならないのだろうか。それは正しい判断なのだろうか。
哲学が単なる崇高な学問ではなく、身近なツールとして利用できるようになってきた。それを用いてこうした問題はどのように考えればよいのかを、いくつかのキーワードを元に解説していく。
社会的に地位があり、安定した身分のある人々がなぜこうした問題を考えるのを嫌うのか。差別を受ける側の視点からはどのように考えればいいのかを伝授する。
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Posted by ブクログ
SNSで議論されているようなことを哲学的に考えてみます、というもの。内容には賛同できないが、昨今の(若手)応用哲学者がなにをしているのかが具体的な事例でわかる感じ。関係者は読んでおくべき。
Posted by ブクログ
前々から気になってはいたんだが、フォロワーさんが読んでいるのを見てついに手に取った。
タイトルはかなりインパクトがある。「男はクズ」という言葉は数年前にSNSで大きな反響を呼んだ。インフルエンサーの女性がセクハラ批判でSNSに書き込んだ。
当然ながらこの投稿には男性(おもにミソジニーを持つ)たちからヘイトスピーチだと批判された。
しかしそれはヘイトスピーチなのか。社会の権力勾配や男性優位社会の状況をふまえながらヘイトスピーチたりえないと訴える。
”男らしくない”というフィードバックを受けた男性は戦争や男性の優位性やホモフォビアに対する支持が強くなった、という実験結果の話で別の書籍の『マチズモの人類史』では産業革命により男らしさを維持できない環境になってきているという話があったことを思い出した。いま色んな国で、若い男性層の一部には、急激なジェンダー平等の推進によって「自分たちの機会が奪われている(逆差別)」と感じる層が生まれ、「保守・右派(あるいはポピュリズム)」への支持が広がる傾向がみられる、ということとつながるのではないかと思った。男らしさを維持することが難しくなってきている、自分は男らしくあることができない。そういう意識と男性性優位な社会への支持が接続してしまうのではないのかと考えた。
また驚いたことはアフリカ系への人種差別でサッカーのスタジアムではサポーターからの人種差別的なコールなどがなくなったから、という理由でコロナ禍でのアフリカ系の選手のパフォーマンスが向上したというところだった。そこまでひどいのか、と愕然とした。なんというかひいきのチームを応援するにあたって、人種差別を野次に使うのは全然サッカー関係ないじゃんとか思ってしまったんだが。そういうことも通じないということだろう。
この本には性差別のほかにも人種差別、ポリティカル・コレクトネス、犬笛が飛び交うことの問題、ブラック・ライヴズ・マターに対するオール・ライヴズ・マター、マンスプレイニング、キャンセルカルチャー、構造の不正義、それらに私たちはどう立ち向かっていくべきかを述べている。
最終的には人種差別的な資本主義を崩していかねばこの世界を席巻する問題は解決しないだろうという結論だったが、それらを解体するには途方もなく、またその途方もなさをどう抱え、どう生きていくかというところまで述べているのがよかった