あらすじ
時代を超えて読みたい家族の物語
少女の死をきっかけに家族がそれぞれ抱えていた秘密が語られ、一家の深い闇が暴かれる。
死の真相を追うというミステリーの枠組みこそあれ、そこで語られているのは差別によって
心を蝕まれた家族の崩壊と再生の物語である。
舞台は1977年、オハイオ州の架空の田舎町。16歳の少女が行方不明になり、数日後に湖で遺体で発見される。 物語はリー一家を中心に進んでいく。父親ジェームズ・リーは中国系アメリカ人の大学教授。ハーバード大学を 卒業したものの、教職に就いてからも周囲になじめずにいる。そんなコンプレックスから、ジェームズはリディアに「友達と同じように」「周囲にとけこむように」という夢を託し、プレッシャーをかけ続ける。
妻のマリリンは南部出身のブロンドヘアーの白人。医師を志していたが、ジェームズと出会って恋に落ち、 妊娠・結婚。夢をあきらめることになる。マリリンもまた、あきらめきれなかった夢を、自分と同じ青い目を もつリディアに託し、知らず知らずのうちにリディアを追い詰めていた。
長女のリディアは母親によく似た容姿で両親に溺愛される。青い目であっても、黒髪であること、父親が アジア系であることから、周囲にはなじめずにいる。
一方、長男のネイスと次女のハンナは父親ゆずりのアジア人顔だ。ネイスは、父から疎まれ、母から 無視をされ、鬱屈した生活を送っていた。ただ大学入学を機に、ついに家を出ることが決まっていた。しかし、 このことで、お互いを支えとしていたネイスとリディアの関係が変化し、リディアに決定的な暗い影を落とす。
妹のハンナは、家族から相手にされず、常に部屋の隅、机の下に隠れている。だが、誰よりも客観的に家族を 観察し、事件の真相に迫っているキーパーソンでもある。
本書では、章ごとに1950年代の両親のなれそめ、1970年代の現代を行き来し、家族が徐々に崩壊していく 様子が語られる。その語り手も、リー一家が章によって入れ替わり、それぞれの秘密を静かに暴露していく。 終盤ではリディアの語りによって、死の真相が明らかになる。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
『密やかな炎』がとても好きなタイプの物語だったので既刊のこちらもお取り寄せ。
「リディアは死んだ。だが、彼らはまだそれを知らない。」のショッキングな書き出しで始まる。
『密やかな炎』と同じく、その結末を迎えるに至った家族の顛末を辿る倒叙形式の物語。
これがこの著者の型なのかな。
倒叙といっても単なる過去の一時期に視点移動するのではなく、そもそもの発端である大過去(父ジェームスと母マリリンの馴れ初め)、10年前に訪れた家族の危機(マリリンの失踪)を語る中過去、直近での家族の歪みを描く小過去、それぞれの時点を唐突とも言えるほどの切り替わりで行きつ戻りつする。
さらには時折りリディアの死以降の未来に向かった物語も挟まれるので脳内時制が揺さぶられる不思議な読み心地。
内容のほうは中国系移民のジェームズと、まだ女性の社会進出が限定的な世にあって男性たちからの好奇の目ややっかみをかわしながら医師を目指すマリリンが出会い、かたや白人社会の中での中国人、かたや男性中心社会に立ち向かう女性といった「人と違うこと」を嫌というほど味わわされてきた2人が育んだ家族に訪れた悲劇の話。
かと思いきや、苦汁を飲まされてきた人生故の子供たちへの過度の期待、期待を掛けた子以外への無関心、それがもたらす兄妹間での共依存など、もういろんなところで胸苦しいすれ違いがあることが徐々に明らかにされてきて、円満な家族に突如訪れた悲劇という単純な物語ではないことが分かってくる。
苦しいのに惹きつけられる。
この物語、どう終わるのか。
本当に最終盤まで八方塞がり感があったのに突如霧が晴れる。
人によっては都合のいい急な改心と感じるところもあるかもしれないが、自分は受け入れられた。
人種差別や子どもに対する過干渉など、苦しい問題と向き合わされた先にちゃんとカタルシスがあって良かった。
一作目ということもあって『密やかな炎』よりも荒い感じは受けたけど、やっぱりこの著者好きだな。
三作目も出版されているようなので、是非翻訳して欲しい。
追いかけて行きたい作家さん。
Posted by ブクログ
読み終わってから、最近の本だったという事に驚いた。翻訳者の後書きを踏まえると、まだアジア人差別のようなものが残っているのだなと感じた。まあでも、この本の主題はそうでは無いので、一旦置いておこう。
この本を読んでいて、コンプレックスの克服とは、なかなかうまくいかないものだなと、強く感じた。コンプレックスをバネに成功した人の話は、何度か聞いたことがあるのに。
親はやっぱり、自分のようになってほしく無いとか、こういうふうに育って欲しいという願望が捨てきれないのだろうな。表面的には成り立っている様に見える家族ではあるが、それは子供の協力があってこそ。むしろ、子供の共感力がなければ、早くに家庭崩壊していただろう。その方がもしかしたら良かったのだろうか。
大人でも子供でも、誰にでも自分自身に関する秘密はあり、そして誰かの秘密もまた人は知ってしまう。その巡り合わせが上手くいかなかった1つの結果だな、この本は。なんだか哀しい。
Posted by ブクログ
いやー、なかなかしんどかったな。
家族とは言え(家族だからこそ?)誰にでも何らかの秘密はあるものだけれど、もうちょっと共有し合えていればよかったのに、とは思う。人種、女性として生きる道、両親から過剰な期待をされること、あるいはまるで期待されないこと…何もかもがあまりにも重くて。
作家の力量はひしひし感じる。この人の作品はもっと読みたい。
Posted by ブクログ
ジェームズとマリリンとでは、「違う」に対する考え方が違った...。非常に上手な作りだと思った。
違うことと和解できていないふたりが、娘には理想を生きてほしいと自分がして欲しかったことや彼女の「役に立つ」であろうことを言ったりやったりする。でもそれが本人の性質や希望とは「違う」場合、それは重荷になる。
移民二世や、移民でなくとも、親の期待を子供に背負わせることはよくあるが、それが重くなりすぎるとどんなに苦しいことになるのか、結果として家族も苦しめることがあるという可能性を見た気がした。
型に当てはめたら幸せになるわけではない。子育てって、個の特徴をしっかりと捉え、尊重してあげることが大切なんだなと改めて思う。
とはいえ、ジェームズもマリリンも、社会や時代の影響に翻弄された被害者だ。こういった人たちが減る社会、他人に優しく寛容であり、違うことが喜びへと変わる社会へ早く移行してほしいと切に願う。
Posted by ブクログ
家族に秘密にしていることはありますか? そりゃ、ありますよね、たいていの人は。でも、家族だからこそ、想いをきちんと伝えなければならないことってあると思うんです。この物語では、まず両親がきちんと本音をぶつけ合っていない。妻のマリリンは私と同じ女性なので、目指す生き方と、結婚妊娠出産育児との折り合いをつけるのは大変だったろうと思います。時代も1960年代ごろですし。だけど、何も打ち明けずに行動するのは、家族にとっては(特に子どもにとっては)捨てられたも同じことで、大きな傷を抱えてしまう。なぜ、きちんと話せなかったのか? 腹立たしくて、心を寄せることが出来なくなってしまいました。
子どもは親とは別人格。彼/彼女が思いのままに生きられるように、できる限りの後押しをするのが親の役目だと信じています。その点でも、自分の果たせなかった夢を子どもに押し付けるなんて、子どもが不憫でなりません。それが『自分の二の舞は避けて欲しい』という親心であったとしても。
物語の内訳は、母娘7割、父息子2割5分の割合で、人生の大反省会。残りの5分は、放っておかれた末っ子の冷静な(けどとても温かな)家族を思う心のきらめきでした。
Posted by ブクログ
言い回しに分かりづらさを感じる部分があり、読み始めは戸惑った。娘の死は既に確定しており、家族それぞれに抱えた思いやすれ違いがどうにもならないところまで捻れていく様は耐え難いものがあった。
Posted by ブクログ
重苦しい作品だった。
一人の少女、彼女の死をきっかけに明らかになる事とは。
差別や偏見は目に見えてわかりやすくあるのではない。それは空気のようにそこにあり続けて知らぬ間に生活に浸透しているのだ。劇中に出てくる新聞の一節は彼らの抱える孤独を百分の一も理解していなくて言葉を失った。
Posted by ブクログ
アジア系の大学教授の夫・ジェームズは
小さい頃からアジア系や日系が受ける差別を経験して育ってきた。
誰とも関りをもたず結婚するまで寂しい人生を送っていた。
そのせいもあり、娘に友達を作れ周囲に溶け込めと
しきりに言ってきかすようになる。
医師を志すのを諦めた子育て育児に精を出す妻のマリリン。
夫と同じ大学で出会い成績も優秀で医師を目指すために
頑張っていたがその矢先に妊娠が分かる。
そこからは医師を目指すのを諦め家庭に専念するようになる。
そして、その諦めは次第に娘に向き、娘に必要以上の
勉学や知識を与えようとする。
長女のリディアは父と母からの「愛」をたくさん受け、
それをしっかり受け止め次第に愛が重荷になっていく様が描かれている。
自分はいったい何のために勉強をするのか
リディアの学校にも残る日系やアジア系への差別
両親に勉強なんかしたくない
私は学校に友達なんかいない
そんなこと言えるわけがない
長男のネイスと次女のハンナは
長女の陰に隠れてしまうような生活を余儀なくされてしまっている。
どうして父と母は3人いる子供全員に愛を注いであげることができなかったのだろう
そう思ってしまう。
長女のリディアの死から物語は始まり、
家族はリディアという存在がいなくなり
均衡が破れたかのようにどんどん崩壊していく。
しかしその崩壊の中で
父、母、長男、次女、そして長女の
本当の気持ちが物語が進むにつれて明らかになる。
言わなくてもいい後で言えばいい
それは次第に重なり
最後には秘密になってしまう。
それが招いたものが長女の死だったのか
私はこの家族に限らず言わなくてもいい
分かってくれるだろう後で言えばいい
それが招く最悪のパターンを
読んでしまった気がする。
なんでも口にして思いを伝えることが大切だと気が付いた。
この家族の今後に幸せがありますようにと願ってたまらない。
Posted by ブクログ
長女のリディアが生きていた時と亡くなった後の時間がごちゃまぜに話が進んでゆき、なぜ自殺するに至ったのかを家族メンバーの視点を替えて複眼的に語られる。
途中ダラダラと冗長な話の展開だったが頑張って読み切った。アメリカでのアジアンヘイトや女性の生き方、浮気するお父さんと秀才の兄、崩壊していく家族の様子は小さな火の手がそこいらじゅうだが、次の小説のタイトルはLittle Fires Everywhereとのこと。
Posted by ブクログ
本を読まない人にこの内容を話すとしたら「異民族間結婚の難問題 アッパーインテリ層の嘆き 女性特有のガラスの天井 銀の匙を咥えて生まれた悲哀」そして女性であるがゆえに苦しむ自分の歩きたい路、目指す頂上、そして結婚、家庭、子供・・だろうか。
最初はマリリンの苦悩 生き辛さ 米社会での東洋人の立ち位置に共感を持ちつつ読み進めるが ひりひり感が増す一方で苦しくなっていった~思った通り、家庭はバラバラ、岸辺のアルバム的空気感が募り リディア・ネイス・そしてハンナ(この子だけ、余りに空気感が薄く、だからこその幸せを見つけられそうな気配が)のそれぞれの立場と相互関係、それは両親との其々の関係にも微妙に絡まり 逆にねじれて行ったように思える。
原題「わたしがあなたに語らなかったことのすべて」の意すら、ひとによりかなりの温度差が生まれると思う。
日本的感覚でか、「口について出た一言」で全てが瓦解する事態もある。言ったところで、それを言われた方が受けとめられるか否かは霧の中。難しい。
筆者の文才は素晴らしく、これは感激感銘の作品になるかと読んで行ったが空しくなって最後まで読み切るのはあちこちの擦過傷が出来てしまう痛さだった。
スイスの氷河内で見つかった死体の人は・・南アの「遠い夜明け」に登場した無意味に殺戮されて、或いは夭折した人々、第二次大戦末ナチスの毒牙に石ころ以下の価値もなく抹殺された人々・・私が既知の事実は人類史のひとかけらもないが、余りにこの作品で訴える痛みは空しさだけがこだましている。
自分自身、生きた年代で求める価値感が変容して行くことを実感する・・赤子の様な30歳まで、家庭問題で懊悩した50歳まで、そして今、周囲の温かさに感謝できるからだと認識力を保持できている自分、なりたかった目標は男女差があった当時 社会の壁で門を閉じられたし 他のジャンルは自分が受け取ったギフトの容量の少なさで諦めた‥だが得たものがどれだけあるか。
或るモノに感謝し、時間をはんでいく・・言う事が矮小すぎるかな。