あらすじ
「日本人はとても素敵だった」の著者・楊素秋氏の実兄・楊應吟氏が見た「尊敬に値する日本人たち」。
台湾で日本教育を受け、学徒出陣し、戦後は鍼灸治療を介して台湾と日本の民間交流にも活躍した楊應吟氏。日本を憂い叱咤する氏の心の裏には、日本への期待が察せられる。
日本人よ、もう一度、素敵に花を咲かせて下さい!
<学徒兵として出陣する朝のこと>
そして人員が揃い、校長先生から訓話を頂きました。
「戦局は非常に厳しい状態になり、軍は諸君の意気と若さに期待するところ甚だ大である…」
続いて、「しかし、学業半ばの諸君を戦闘に送り出すのは…不本意だけれども…」と言葉を続けられましたが、その声は次第に嗚咽に変わり、先生はそれを抑えながら、「…国の為、頑張ってください。…そして、風邪を引かないように…、…身体を大事にしてください…!」と、まるで慈父が我が子を送り出すかのように我々の身を案じ話してくださいました。
私は今でもこの時のことを思い出すと、気持ちの昂りを抑えることが出来なくなります。
<著者>
楊應吟 (よう おうぎん)
大正15(1926)年、台湾台南市生まれ。父・楊阿才氏の教育方針により日本教育を受け、台南末広公学校卒業後、高雄工業学校入学、3年在学時に学徒出陣、終戦を迎える。戦後、中国教育の下、台南私立長栄中学校高級部を経て、省立工学院(現国立成功大学)建築工程学系を卒業。経済部聯合工業研究所にて数々の研究成果を上げ、台湾の建設に貢献。その後鍼灸の道に進み、針を刺さない“無針バリ療法”を考案、台北にて弘明堂鍼灸院を開業、この道30年の治療実績を持つ。全日本鍼灸学会正会員。治療を介して台湾と日本の民間交流にも活躍。2019年6月、多くの人々に惜しまれながら94年の生涯を閉じる。
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Posted by ブクログ
『素晴らしかった日本の先生とその教育』(楊應吟、2006年、桜の花出版)
台湾の日本語世代の人が書いた本。おもに筆者自身の自伝的な内容の部分と、歴史の部分から構成されています。
先の大戦にいたるまでの日本を全体的に肯定的に捉えており、日本のおかげで台湾が発展したと筆者は述べています。
日本は大戦で悪いことをしたとする主張が日本でも中国でも大勢だと思うのですが、台湾の人から見るとまたすこし違って見えるのでしょうか。僕も日本が悪いことをしたと思っている一人なので、少し肩透かしを食らった感じです。
ただ、中国をブタと表現したり、日本へ肩入れしすぎているのではないかと思われることから、客観的な歴史書としてはあまり信頼できないかもしれません。
(2010年1月21日)