あらすじ
23歳でエベレストを登頂して以来20年余。世界で最も高く危険な山々への挑戦はついに「最後の山」シシャパンマへ。人間を拒む「デスゾーン」でぼくが見たのは、偉大で過酷な自然の力と、我々はなぜ山に登るのかという問いへの答えだった――中判カメラを携え、人類の限界を超えようとする仲間たちと共に登った生の軌跡。
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Posted by ブクログ
近所にある「ヒロミブックス」@創の実(26/11末までの期間限定)という、冒険関連書籍に特化した書店で見かけて手に取ったもの。
著者は、写真家としてその作品、写真集も過去、見ていたが、文章は初めて。登山家山野井泰史氏のように生死の境を彷徨うなこともなく、冒険家角幡唯介氏のように冒険そのものを目的としてない、あくまでカメラマンとして自然、高山と向き合った平常心の筆致が印象的だった。
とはいえ、ドラマがないわけではない。大ありだ。
本書は、若き、新世代のシェルパ族にスポットを当て、将来の登山ビジネスと、それに絡むネパール人、国家としての在り方を俯瞰して見せてくれる。
さらには、終盤、目の前で記録を焦るあまりに引き起こされた二人の女性登山家の事故を間近で見ていた場面が、なんともドラマチック。やはり、山は、非日常であり、登山という行為そのものが、ある意味で神聖化されている。
デスゾーン近くでの筆者の感慨、感受性が高まる描写は常人では計り知れないものがある。
「怪峰ジャヌー(7,710m)が眼下に見えた。4年前、カンチェンジュンガの下見に来たことがあって、そのときははるか遠くに見上げていたジャヌーがこんなにも下に見える。“眠れる獅子”という異名を持つこの山が、日の出と共に起き出してくる。そんな想像をしたあたりから、断続的に涙が出てきた。「なんで自分はこんなことをしているのか」「もっと大事なことがあるんじゃないか」「バカなのか」「最後に落ちたら笑える」などと考えた。」
これは、「8000メートル峰に登っているときにだけあられる、不思議な状態」なのだそうだ。
まだ100年にもならない高所登山の歴史だが、今や金さえ積めば誰でも体験できるレジャーに堕しつつある大衆化する登山についても警鐘を鳴らすが、あれダメこれダメ、ゴミは持ち帰れ云々という話はしない。 静かに山と対峙し、著者が感じ取った自然からのメッセージを伝えてくる。
「山から見る風景は昔から変わらないが、山そのものには人間の欲望の残滓が澱のように蓄積していく。ぼくは山を見て、山からの風景を見るわけだが、同時に山からも、その先の世界からも見られていることを、自戒を込めて再認識せねばならない。」
身近に事故を体験した後、
「山への恐怖心はない。まったくないと言ったら嘘になるが、あるとしたら恐怖ではなく畏怖である。ぼくたちが命を燃やして登り続けたあの山に戻って、自分の中で区切りをつけたい。そうしなければ終われないし、進めないし、別のことを考えることなどできない。」
と、著者は綴る。
恐怖ではなく畏怖。これはどのような感覚だろうか。きっと、平地で暮らすだけの自分には伺い知れないものだろう。
上記、書店で、近々、著者を招いてのトークショーがあるというので、是非、伺っていろいろ訊いてみたいものだ。