あらすじ
新宿「汀」「DIG」「きーよ」「木馬」銀座「オレオ」日暮里「シャルマン」門前仲町「タカノ」四谷「いーぐる」横浜・野毛「ダウンビート」中華街「ミントンハウス」etc… 「60年代と70年代前半の東京ジャズ喫茶シーンを、俺一人称で描き出したことが、世相風俗資料としての本書の値打ちになるだろう」(「あとがき」より)。 熱く沸騰していた時代、東京および近郊に存在した数々の名店。独自のグルーヴに乗せて「平岡節」で記録した、全編ジャズと珈琲の香りに満ちた一冊。ボーナストラックに単行本未収録「野毛のジャズ喫茶」、山下洋輔「弔辞」、平岡秀子による書下ろしエッセイ「山下洋輔さんと平岡のこと」を収録。
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Posted by ブクログ
手に入らなくなった書籍が文庫本で復刊された。
東京のジャズ喫茶。何軒か通い、今も残る店もある。今となっては昭和文化なのであろうが、平岡氏のスピーカーに関する解説に唸る。
実家仕舞いの際に、兄が買った初期のジャス批評と植草甚一氏の著作を処分してしまったのが悔やまれる。
Posted by ブクログ
平岡正明『昭和ジャズ喫茶伝説』ちくま文庫。
1960年代から1970年代前半の東京ジャズ喫茶シーンを描いたエッセイ集。ボーナストラックとして山下洋輔による平岡正明への『弔辞』と平岡秀子による『山下洋輔さんと平岡のこと』を収録。
本作に登場する新宿の『DIG』や『木馬』、門前仲町の『タカノ』、四谷の『イーグル』、横浜の『ちぐさ』などは名前だけは聞いたことがある。
平岡正明の名は1980年代に筒井康隆や山下洋輔の活動を通じて耳にしていた。読んでみると独特のリズムがあり、個性のある心地良い文章であった。この時代には『昭和軽薄体』で知られる椎名誠や『クマさん』こと篠原勝之など個性のある素晴らしい書き手が登場したように思う。
戦後の高度経済成長期を経験し、日本は欧米の文化に憧れながらも、一方で各人が強い主義主張を持ち合わせるという硬軟のバランスの取れた時代が昭和という時代だった。その象徴がジャズ喫茶であり、欧米の音楽文化に触れながら、個々人の解釈でその範囲を広げていたように思う。
昭和、平成、令和と並べた時、最も自由で経済的にも心理的にも余裕のあり、生き生きとした時代は昭和であったように思う。この場合の自由とは個々人の自制が効いた自由という意味で、やりたい放題という意味ではない。本作はそんな昭和という時代がジャズ喫茶と共に蘇る名著である。
2025年は昭和100年という記念すべき年のようだ。最近、昭和という時代を懐かしむような書籍が次々と刊行されているのは、そういうことかと納得した。
1960年代から1970年代前半というとまだ東北新幹線は開通しておらず、東京へ行くのには列車で8時間余りの長旅であった。自分は1970年代の終わりに大学受験のため、盛岡から夜汽車に揺られ、初めて上京した。5日間ほど東京に滞在し、3つの大学を受験するというハードスケジュールだった。高校時代からジャズやフュージョンを聴き始めていたのだが、受験が最優先で流石に東京でジャズ喫茶に足を運ぼうとは思わなかった。
一応、東京と神奈川にある私立大学3校にも合格したのだが、結果的に盛岡の自宅から通えて学費の安い国立大学に入学した。当時は盛岡にもジャズ喫茶が何店かあり、『パモジャ』や『ダンテ』、滝沢の『6ペンス』などに通っていた。
『パモジャ』では店主に勧められ、店が主催する山下洋輔やマル・ウォルドロンのライブにも行った。渡辺香津美が目の間を通ったのに余りに小さくて気付かなかったのも『パモジャ』主催のコンサートではなかったか。『パモジャ』の店主と言えば何時も二日酔いで体調の悪そうで、まともに営業していたのは主催ライブがある時ばかりだったように思う。後から知ったのだが、この店主は沿岸でも『クイーン』というジャズ喫茶を経営していたようだ。
『ダンテ』にはよく通っていた。今は肴町の辺りに移転したようだが、当時は菜園の裏通りの半地下みたいなところにあった。授業の合間などに深煎り自家焙煎の苦い珈琲をすすり、文庫本を読みながら、大音響でギル・エヴァンスやマイルス・デイヴィス、チック・コリア、ウェザー・リポートなんかを聴いていた。当時『ダンテ』ではカレーやナポリタンといった軽食もあり、珈琲をセットにするとお得だった。『ダンテ』の店主はかなりの堅物で、奥さんは人当りが良かったように思う。
店主が本業の傍ら趣味で始めたという滝沢の『6ペンス』は管球アンプやオーディオに金を掛けていて、当時はまだ数少ないレコードコレクションの中からカウント・ベイシーの『アトミック・ベイシー』を聴くと耳元で管楽器のブレスの音が聴こえるくらいの素晴らしい音だった。
大学を卒業後、一関に暮らし始めてからは日本一の音響を誇る『ベイシー』に通っていた。蔵を改造した店内にはドラムセットとピアノが鎮座し、たまにレコードに合わせて店主がドラムを叩いたりしていた。全国的にも有名な『ベイシー』には、たまにミュージシャンや作家、芸能人も現れる油断のならないジャズ喫茶だった。勿論、『ベイシー』で行われるライブにも時々覗いていた。『ベイシー』の店主は著名人と若い女性が好きで、著名人や若い女性が来店すれば酒盛りの輪に加えてもらえたりした。
10年前に一関から福島に移住し、還暦を迎えても、もっぱら聴くのはジャズやフュージョンばかりだ。たまに古いロックなども聴くが、昭和の時代にジャズ喫茶で堪能した音楽の記憶からは逃れられないようだ。
本体価格1,000円
★★★★★