【感想・ネタバレ】マチズモの人類史――家父長制から「新しい男性性」へのレビュー

あらすじ

男らしさとはつねに、歴史の産物にすぎない。革新的な歴史叙述で知られるフランスの歴史学者が旧石器時代からの歴史をたどりつつ、男性性がいかに構築されてきたかを時代ごとに検証。時代遅れの家父長制に訣別し、男性のフェミニズム参画を説く最重要書。

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Posted by ブクログ

いやー、分厚かったし堅い言葉も出てきたけど、読んでよかった。そしてほんとマチズモ終わらせたいねえ~
本書はフランスの歴史学者が2019年に刊行したものが訳されて日本では2023年に発売された。男女の不公平が社会に軋轢と不幸を生み、それは男性優位の家父長制社会を覆すことだと語っている。今までのフェミニズム文脈やジェンダー学でも指摘されてきたことではあるけど、何が新しいかというと、じゃあ「男らしさ」とは何かを歴史的な観点から検証し、そこに生まれた男の支配の力学と病理を追求しているところだと思う
「男らしく」が具体的にどんなことかを言われたことはないのに気がついたら「男らしさ」で身を染めている。こういった勇ましい男性性は生物学的なものではなく文化的な属性であり「ジェンダー」とされる男性性のひとつの種類である。
この本の著者であるジャブロンカは男性性には複数あるが今まで問題となっているのは支配する男性性だとしている。この支配する男性性は女性だけではなく、支配する男性性以外の男性性を持つ男性をも制圧しており、幸せになれない男性も多いと指摘している。
この支配する男性性こそが家父長制の岩盤となっているものであり、これが歴史を経て社会の産業構造や環境意識が変わったことによって維持できなくなっているという。こういった社会の変容に逆らうために様々な病理現象を起こしているのたと説いていた。現在本邦だけではなく他の海外の国でも一部家父長制をよしとする傾向をもつ政党や人物が力を持つなどしているが(右傾化もこのひとつだと思われる)、この説を読んでバックラッシュが激しくなっていることが理解できた。この本が本邦で刊行されたのは2023年だが訳者がウクライナやパレスチナでの戦争や虐殺もこの病理化のひとつだろうと述べている
一番私がこの本のなかで感銘を受けたのは、自らも特権をもつ白人男性でアカデミアに身を置き、異性愛者として結婚して子どもがいる著者のイヴァン・ジャブロンカが男性たちへ向けたメッセージだった。
『私は活動家ではないし、ダマスカスに赴く聖パウロのような伝導者でもないが、しかし、「いいやつ」になろうとしているのだ。』
何か特別な大きな啓蒙活動をしたり志の高い聖人君子ではなくていい、ただ「いいやつ」にならないか?という著者からのメッセージは、男性だけではなく今まさに激化するトランスフォーブやいまだ終わり飲み得ないガザの虐殺など人権的な問題に共通するスタンスである。「いいやつ」になろうというのは気軽で気さくで思いやりを表出するにはぴったりで、このスタンスに出会えただけでも400ページ超えを読んだかいがあった

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2024年11月01日

Posted by ブクログ

フランス革命好きとして、よく「フランス革命は「人権」を歌っておきながら女性には適応しなかった、その証拠としてオランプ・ド・グージュが処刑された」的な言説を耳にして、「それは言い過ぎじゃない?」と思っていたので、フランス革命に家父長制/フェミニズムの両側面があったことが本文および表で示されていたのが特に良かった(ダントンの演説は家父長制なのか?容姿によるステレオタイプあるいはルッキズムにすぎないのでは?など疑問点はあれど)この二面性を一人で体現したともいえるルイーズ・ド・ケラリオの知名度は日本では皆無なので、ここも訳注があればもっと面白かったんじゃないかな

それ以外ではネットでも度々炎上する「セックスと同意」のトピックとかが面白かった。なぜ表紙がフラゴナール???と思ったらこの話だったのか(でもこの絵が表紙の本多いよね)

第三部あたりで男女二元論によりすぎている(フランス語のバイナリーの強さのせい??)と感じたが、最終章で回収というかうまくまとめられていた印象を抱いた。ノンバイナリーへの言及も短いもののされていたし。

本書の趣旨はフェミニズム称賛だが、「悪玉・迫害者=男性と善玉・被害者=女性の二元論に陥ってはならない」「男性(あるいは女性)というものは~な存在であるという本質主義は意味がない」「自身と異なる属性について語るべきではないという主張を拒絶する」というメッセージも発されていた。昨今はミソジニー側だけでなくフェミニズム側も極論に走りがちなので、本書のようなバランスの取れた言説は重要だと思う。

ただしフランス語で男性形を中性や総称としてみなすのは家父長制の現れ(なので男女両形を併記すべき)とあったが、すべてのジェンダーを包括する上手いやり方が見つかるまでは利便性を考えればある程度仕方ないのかなという気もする。もっとも、それが主張の主題ではなかったけれど。

文化系称賛と表裏一体のスポーツや体育会系敵視を感じた。現状は日本でもそうなってしまっているが、文化系と体育会系は本質として対立関係を宿命づけられているわけではないので、スポーツに親しみつつ文学や歴史を愛好しこの本を手に取るような「新しい男性性」も十分に可能じゃないかなとも思う。あとがきを読む限りは著者の個人史も影響してそう、というか自分が「新しい男性性」の持ち主として評価される社会にしたいんじゃないの?と訝しむ気持ちも正直なところ生じた。

原文は確認していないが、訳文が読みやすかった。

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2025年05月25日

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