あらすじ
キャリア14年目を迎えた俳優、上白石萌歌。昨今はヒロインを演じる映画やドラマが多数公開され、さらにadieu(アデュー)名義で音楽活動も盛んに行うなど幅広い活動で注目されています。
そんな彼女の「25歳のメモリアルに」な一冊です。ロケ地はスリランカ。インド洋に浮かぶ美しい島です。豊かな自然に加え建築好きな上白石がこだわったのが名建築家「ジェフェリー・バワ」。彼が手掛けた建築物をいくつも訪れ、自然と共生する圧巻の空間の中で自らの感性を開放します。さらに、行く先々での現地の人とふれあう旅はまさにプライベート感たっぷりの夏旅の記録。普段、メディアには見せることのない上白石萌歌がこれでもかと写し取られています。タイトルの『charm charm』(チャームチャーム)は彼女の案。「“charm charm”という言葉はわたしの心のおまじない。”charm”には、おまもり、愛嬌、色香、などという意味があり、何かを見つめ、体温がほんのり上がるような、そんなニュアンスを込めました。手に取ってくださったみなさまの心をそっと温められるような、そんな作品に仕上がっていると思います。『charm charm』がみなさまのおまもりのような一冊になりますように」(本人コメント)。
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Posted by ブクログ
舞台のスリランカ。僕には想像の世界。持てる想像力をフル活用しても、冴えざえとしないイメージしか湧いてきません。写真から、彼の地と、彼の地の人々の発する気配、いわば世界観の中に佇む萌歌さん。異質なもの同士が触れ合うことで醸し出される淡い何かと
“charm charm”という言葉のイメージが絡み、アウトフォーカスや色被りした写真なども含めた相乗効果で、なにやら呪術めいた雰囲気すら漂う気がします。
萌歌さんの背後から、右肩越しに目線が合うカットが多いと思いました。自然、萌歌さんの右目が手前に、写真の中心になって、僕の視線は、その右目に釘付けになりました。
萌歌さんの右目。
仰向けになって、手を日除けにかざすものの、隠しきれずに光があたっているがまま、見つめているのも右目だし、網膜が赤く透けているのも右目でした。
右目へのこだわりは、写真家さんの、撮り手の意図なのかな、と思いました。僕も写真を撮るので、その観点なら、よくわかる気がします。以前から僕は、萌歌さんの眼差しに大きな魅力を感じていたからです。引き込まれもするし、ときに圧されてしまうことも。僕の心持ちひとつで、いろいろな表情に見えてきます。
“ charm charm”という写真集は、現実では決して触れ合うことのない萌歌さんと僕の、けれども、ほんのささやかな交差点のひとつとして僕の生涯に刻まれました。
できれば、僕が独り占めにしたかった萌歌さんの写真…本音を言うと写真のことばかりではないけれど。いや、夢です。夢の話です。
僕の夢は、いずれ破れます。おそらく避け難い、その瞬間が訪れるまで、僕は萌歌さんの眼差しの虜であり続けたいと願います。
6月11日
発売一週間が経ちました。
“charm charm” について、ふたたび。
普段は仕事帰りに寄り道をしない僕が、一冊の写真集を買うために、通り慣れない夜道にクルマを走らせたドキドキ感。たどり着いた書店の棚に“charm charm”を見つけたときの高揚感。帰宅して、いざ開封の緊張感。僕が手にした一冊の“charm charm”にこれらすべての思いが詰まっています。
日数を経るにつれて、馴染みの一冊になる過程を愉しんでいます。面白いですね。写真集を“読む”って。言葉は伝わりやすいけれども、写真の、写真ゆえの解釈の多様さ…これは間違いなく“charm charm”という写真集の魅力のひとつ。
写真を“読む”とは、よく見聞きするけれど、まさにこんな感じかと。皆んなにも教えたい。写真を“読む”ということ、その愉しみを。写真好きの僕は、これまで“写真家さんの写真集”なら手に取る機会も多くあり、自分なりに写真を味わうことも覚えましたが“charm charm”の主役は萌歌さんだけに、そのことだけでいっぱいかな、と思いきや…この味わいの深さたるや!
“charm charm”に、萌歌さんに、新たな視点を授かった気分です。これから“ charm charm”は益々、僕の大切な一冊になってゆくことでしょう。
まさに、おまもりのような一冊へと。
ほんとうに、良いものを届けてくれました。
満天の夜空に輝く星の数分の一の確率でも構いません。僕の思いが伝われば。
萌歌さん。
ありがとね。
追記。
写真集を読む、ということについて。
錯覚ですら想像力を惹起する。体のどこかに渦巻く想像の全てを、たとえば言葉で表すことができるなら、僕はガルシア・マルケスにもなれるだろう。
僕の考える“charm charm”は、想像力の入り口にあって、例の萌歌さんの右目は、そのスイッチだといえる。
実際に見つめているのは萌歌さんの写真といえど、ほんとうに見つめているのは、僕自身の胸の内。萌歌さんの写真、右目に惹かれ何を感じるか。何を考えるか。そこに去来する何らかの思いを見つめているのです。その思いは、全て写真の中に帰結する。
写真集“charm charm”は、いわば言葉のない物語。写真集を“読む”とは、そういうこと。