あらすじ
巨匠フルトヴェングラーや帝王カラヤンが歴代指揮者に名を連ね、世界最高峰のオーケストラと称されるベルリン・フィルハーモニー。
1882年に創設され、ナチ政権下で地位を確立。敗戦後はソ連・アメリカに「利用」されつつも、幅広い柔軟な音楽性を築き、数々の名演を生んできた。
なぜ世界中の人々を魅了し、権力中枢をも惹きつけたのか。150年の「裏面」ドイツ史に耳をすまし、社会にとって音楽とは何かを問う。
【目次】
第1章 誕生期――市民のためのオーケストラとして
べルリンの音楽環境 「音楽の国ドイツ」 ベルリンのビルゼ楽団 ビルゼ楽団の危機 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の誕生 ヨーゼフ・ヨアヒムの尽力 財政危機 ビルゼ楽団のその後 初代常任指揮者ハンス・フォン・ビューロー 芸術家としての指揮者 ホールの改築 ビューローの晩年 ビューローの死
第2章 拡大期――財政危機から国際化へ
後継者問題 ニキシュの就任 積極的な国外演奏 オーケストラ・マネジメントの進展 世紀の「大演奏家」 オーケストラ演奏会ブーム 新しい音楽活動としてのレコーディング 財政難 第一次世界大戦 戦時中の活動 ドイツの敗戦 ニキシュの死 ニキシュの追悼とフルトヴェングラー
第3章 爛熟期――ナチとベルリン・フィル
フルトヴェングラーの就任 財政的苦境 戦後の平和と国外演奏 「新しい音楽」への取り組み ワルターとメニューイン 新しいメディアへの挑戦 ベルリン・フィルと「現代音楽」 音楽とナショナリズムの交差 世界恐慌とドイツの変容 創立50周年とナチの影 ナチ政権の発足 「帝国のオーケストラ」 政権との距離 政権による圧力と「自律」の確保 音楽家の亡命 ドイツの対外イメージ悪化の中で 演奏史と文化政策 カラヤンのベルリン・フィルデビュー 対外宣伝装置として 「兵士に準ずる存在」として 同盟国や占領国での演奏 戦時下の演奏 空襲におびえながらの演奏会 フルトヴェングラーの亡命 ドイツの破滅
第4章 再建期――戦後の「再出発」
破壊され尽くしたベルリン ソ連占領軍政府によるボルヒャルトの指名 戦後最初のリハーサル ソ連占領軍政府の思惑 戦後最初の演奏会 英米によるベルリン・フィル獲得競争 本拠地決定 ボルヒャルトの死 チェリビダッケの指名 チェリビダッケの暫定指揮者就任 オーケストラの「非ナチ化」 フルトヴェングラーの復帰 団員の士気の低下 ベルリン封鎖中の訪英 フルトヴェングラーの意欲低下 カイロ遠征 主権回復後の新運営体制 創設70周年 訪米計画と国際政治 西ベルリン初の音楽専用ホール フルトヴェングラーの死
第5章 成熟期――冷戦と商業主義の中で
チェリビダッケとオケの不和 カラヤンの指名 カラヤンの来歴 常任指揮者契約 アメリカツアー 積極的レコーディング活動 シュトレーゼマンの支配人就任 フィルハーモニー・ホールの建設 オーケストラの公共性 ドイツの「和解外交」とベルリン・フィル ザルツブルク復活祭音楽祭 音楽の「映像化」 カラヤン財団創設 ソヴィエト遠征 権威化するカラヤンとその横顔 カラヤン・アカデミー ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭 団員との軋轢 支配人をめぐる軋轢 冷戦をまたいだ演奏活動 オーケストラ以外での団員の音楽活動 ザビーネ・マイヤー事件 カラヤン離れの模索 若干の歩み寄り シュトレーゼマン、二度目の引退 カラヤンの衰弱 CAMIスキャンダル 日本ツアーとカラヤンの「終わり」の予感 最後の演奏会 カラヤンの死
第6章 変革期――「独裁制」から「民主制」へ
「民主化」と指揮者選び アバドの生い立ち ベルリンの壁崩
壊 ホールの大規模改修 ヨーロッパ・コンサートシリーズ チェリビダッケの再登場 「カラヤン後」のゆくえ 古典復興、現代音楽 アバドの辞任予告 「ドイツの民主主義の50年」 アバドの闘病と9.11テロ アバドの退任 アバドの評価
第7章 模索期――新しい時代のオーケストラとは何か
ラトルの選出 ラトルとベルリン・フィルの最初の出会い 財団法人化 支配人をめぐる混乱 ラトルの音楽作り 音楽芸術の新しい位置づけ 「レジデンス」制度の拡充 新支配人の新しい試み 映像活動 歴史認識の確認作業 デジタル・コンサートホール ラトルの退任 ラトルの評価 パンデミックと 再び「政治」に直面
あとがき
参考文献 図版出典 ベルリン・フィル関連年表
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Posted by ブクログ
ベルリン・フィルがその指揮者の変遷をもとに説明されており、読みやすい。
改めて、ベルリン・フィルのデジタルで聴かれるであろう。音楽教育専攻の学生にとってもハンディで読みやすく、小学校教員になる学生にも児童にオーケストラでの交響曲を聴かせる場合に、基礎的知識となるであろう。
Posted by ブクログ
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の誕生の過程から定期的に訪れる財政難危機への対応、ナチスのプロパガンダとして利用された後ろめたい過去など現代のベルリン・フィルへと続く軌跡がよくまとめられていた。
Posted by ブクログ
世界最高峰の一つとされるオーケストラのベルリンフィル。ドイツ苦難の歴史とともに歩んできたとも言える。設立当初は団員待遇も良くなく、財政難続きの時代もあった。フルトヴェングラー、カラヤン、アバド、ラトルと時代の変化とともに歩み、カラヤン時代には名録音を数多く残し知名度も確保。カラヤンの長期政権だったこともあり、アバドやラトルに批判もあったかと思うが、教育プログラムやデジタルコンサートホールなどベルリンフィル独自の取り組みもあり、一段と輝きを増しているオーケストラである。
Posted by ブクログ
ベルリンフィルの歴史がよく分かって面白かった。カラヤンは楽団員とあまり仲が良くなかったのは知らなかった。楽団員一人一人が我が強くてまとめるのは大変そうだと感じた。
Posted by ブクログ
ベルリン・フィルを一流にしたのは、演奏家もさることながら、マネージメントが上手かった、ということもあるのではと思わせられた。
フルトヴェングラー、チェリビダッケ、くらいから名前だけは知っているけれど。実際に演奏を聞いたことがあるのはカラヤンだけだなあ。
Posted by ブクログ
世界最高峰のオーケストラ、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団、通称ベルリンフィルに関する本が出版された。これまでにもベルリンフィルの歴史についての著書は沢山あるものの、自宅には1冊も無かった。確かに、ナチとフルトベングラーが接近して以降の話は良く知っているが、それ以前の歴史については殆ど知識が無かった。本書は中公新書で1,050円と廉価で、歴史を勉強するには丁度良い分量だったので駅前の書店で購入した。
ベルリンフィルは設立当時から素晴らしい楽団という訳ではなく、市民オケに毛が生えた様な楽団だった。当時ドイツは、美術等の芸術で先行していたフランスに対抗して、音楽を建国の柱とし支援を強化していた。その流れに上手く乗った形でベルリンフィルは急成長していったとのこと。ただ、ドイツ政府の力の入れ方が不安定で、指揮者・練習場の選定及び楽団員の待遇面でマネージャー(支配人)は苦労に苦労を重ねていた。日本でもプロ・アマ問わず、弱小オケの運営が赤字であることと何故か重なって見えてしまう。金回りの一喜一憂で右往左往する時期が長く続くのは本当に痛ましい。
ただ、こんな中でも音楽の実力が徐々に上がっていき、読んでいる私も思わず頑張れ!と何度となく心で呟いた。しかし、この辺りからナチとの関係が深まっていった。所謂「広告塔」になり下がって国内での名声が高まり、海外での演奏旅行で金を荒稼ぎして、急激に巨大化したベルリンフィルの運命や如何に!ジャ、ジャ、ジャ、ジャーーン!
それ以降は既知情報の嵐だったので、読むスピードが急激に上がった。終戦以降の話は数時間で読み終えた。ななめ読みしても良かったのだが、知らない情報が少しでも含まれているかもしれないと思い、文字はしっかり追った。だが、結果的にはあまり実りはなかった。
ほぼ毎年来日するベルリンフィルの演奏会は今年も来週から始まる。ドジャースのチケットには遥かには及ばないが、それでもいい値段はする。日本だけではなく世界各地で演奏し、それこそ荒稼ぎして帰国する。最近ではデジタルコンサートを観ることもなくなった。いつもベストメンバーで演奏するとは限らないからだ。CD・DVD・Blueでは常に完璧な演奏をしているが、最近ではCDすら買うこともなくなった。昔は、ベルリンフィルに入ったら定年まで活躍する人が多かったのだが、最近では入団しても短期間で退団してしまう人が多い。人間関係に問題があるのだろうか。それを反映してかは不明だが、他の一流オーケストラの演奏にハッとすることが多くなってきた。これからベルリンフィルは再度迷走するのではと心配が重なる。頑張れ!ベルリンフィル。
Posted by ブクログ
創設から現在までのベルリン・フィルの歴史について。音楽書というよりかはあくまでも歴史書である。
どちらかというと歴代の主席指揮者にスポットを当てていて、個々の奏者については、少し名前が出てくる程度でほとんど触れていない。
歴史を著したものではあるが、指揮者に対する著者の見解(というよりも好み)が透けて見える(特にカラヤンに対する評価)のが興味深い。
Posted by ブクログ
ベルリン・フィルという組織の成り立ちを紐解いている。一方、ベルリン・フィルの優れた音楽性については、多くを触れていない。例えば、スーパースター級の奏者がその当時に与えた影響等を感じ取れる書物ではない。