あらすじ
映画はどのように障害を描いてきたのか──
歴史、物語のパターン、再現による同一化、当事者性⋯⋯様々な角度から映画と障害のつながりを解きほぐす
「映画について」ではなく「映画とともに」、
私たちのいまを考え続けるために、この本はある。
――三宅唱(映画監督)
普通に存在することすらままならない。本書が照らし出すように、
障害の表象の歪さは、社会とそのままつながっている。
――田中みゆき(キュレーター/プロデューサー)
ろう者の子どもを主人公にした『コーダ あいのうた』がアカデミー賞で作品賞含む3部門に輝くほか、『ドライブ・マイ・カー』『ケイコ 目を澄ませて』『LOVE LIFE』と日本の気鋭の若手監督たちが次々と障害者が登場する作品を手がけている現在。「感動ポルノ」や「共生」といった言葉で単純化することなく、障害の描かれ方、何よりも見つめ方を考え直すべきなのではないか?
「スクリーンのなかで障害がいかに描かれてきたのか、また、より今日的な映画作品のなかで障害がいかに描かれるようになったのか」を論じる本書では、サイレント時代から現代まで「映画における障害者イメージの変遷」をたどり、「スクリーンのなかの障害」の歴史が通時的につづられる。そして、その「障害者イメージの変遷」の土台となる「社会における障害観の変化」がどのように起こったのかを「障害学」の基礎とともに提示していく。
また、歴史をつづるだけでなく、コミュニケーション、障害の再現、当事者性という切り口のもと映画と障害のつながりを捉え直していく。障害を扱う多くの映画がコミュニケーション、「不全」から「達成」へと進行する物語を描いているのはどうしてか? 視覚的・聴覚的な描写によって再現された障害に同一化する際、何かが隠蔽されていないか? 障害者の役は障害当事者しか演じてはいけないのか?といったアクチュアルなテーマが、近年の障害を描いた作品をもとに論じられる。
『レインマン』『フォレスト・ガンプ/一期一会』『アイ・アム・サム』といった名作として語られる作品から、『ワンダー 君は太陽』『最強のふたり』『コーダ あいのうた』などの近年話題となった作品まで、多くの観客を得てきた作品を新しい視点で読み直すきっかけにもなる本書は、われわれ観客はどのように障害を見つめていくべきか、思考と議論のための新しい出発点となるだろう。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
「シナリオ的にどう扱われてきたか」に留まらず、それを演じる人やスクリーンを見つめる我々観客まで射程を広げた一冊で、めちゃくちゃ面白かった。
わからない→わかる
できない→できる
の心地よさに個別の経験や構造的な問題が覆い隠されてしまう点は確かに、、という感じ。
障害者個人ではなく社会の側の問題としても捉える在り方は、最近観たドイツ映画「ぼくとパパ、約束の週末」にすごい重なるなと思って読んでいた。
いわゆる当事者キャスティングがなぜ必要なのかってとてもとても腑に落ちるので、映画の作り手も観客もみんなにおすすめ
Posted by ブクログ
映画で描かれる「障害」がどのように描かれてきたか、それによってどのような視点や問題点を浮き彫りにしてきたかを検証し、今後どのような視点から論じることができるのかについて書かれた一冊。
「障害者は保護される者、障害は個人の問題である」という前提で捉えられる医学モデルと、「障害は個人の問題ではなく、障害者にとって不利益をもたらす社会的システムの瑕疵が問題である」と捉える社会モデルの二つの軸をもとに、映画がどのようなまなざしで作られたかを分析している。
また、「分かりあうこと」や「共生」という言葉が包括する暴力性や、覆い隠してしまうことについても書かれている。
健常者から見えるもの、感じたもので作られてきた「障害」が実際に障害を持つ人たちからどう違和感をもって見られているのか、という点が興味深かった。
また、最後の章の健常者が障害者を演じることについて「是非」を問うのではなく「可否」について論じることが、今後の障害を扱った映画を作る上で新たな可能性を開く出発点となるのではないか、という問いかけはとても刺激的だった。
障害、コミニュケーションの分野にあまり詳しくない自分でもわかりやすく書かれている良書。とはいえ一度読んだだけでは「理解」に到底届かないので、もう一度、もう二度、見返したい本である。