あらすじ
暮らしてみたら、ちょっとした「出来事」でも満足できる自分になりました。イタリア在住20年余りの日伊通訳&コーディネーターが、なんだかんだあっても「人生を楽しめる天才」イタリア人の貴いすべてを明かす。 歴史ある街並みや数々の芸術、そしてライフスタイルへの憧れなど、全世界から人気があるイタリア。アモーレの国、食が豊かな国、陽気でとても楽しそうな国……そんなイメージを持つ方も多いと思います。(中略)しかし当然ながら、リアルなイタリア生活は、旅行とはまったく別のものです。日本での常識が見事に覆され、最初の数年は驚きと戸惑いの連続でした。そんな私をよそにイタリア人は当然ながらマイペース。いったいどうして、こんな風にいられるんだろう? と、日々翻弄されていたある日のこと、私は、彼らがよく使うフレーズに気づきました。(はじめにより)
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Posted by ブクログ
イタリアに滞在することがあったら、イタリア人マインドになることを誓います!
日本人的常識、あたりまえ、正義などを横におかないと、
毎日毎日イライラし続け、役所の窓口でブチ切れるハメになるでしょう。
我々が「イタリア」という言葉から思い浮かべるものは、きっとどれもキラキラしていますね。
おしゃれ、ピザ、ワイン、ジェラート、太陽、建築物に絵画。
でも暮らすとなるとキラキラはしていられないようです。
ビジネスでもプライベートでも約束が破られたり、
例え公的機関であっても人によって言うことが違ったり、
折り返しの電話がなかったり(!)、
電車やバスは時間通りに来なかったり、、、
日本人からするとこれはクレームものでしょう!というトラブルがイタリアでは日常茶飯事のようです。
どのイタリア滞在者のエッセイを読んでもこの手のトラブルが書かれていますが、
イライラしながらも、賢く対処する術を手に入れたり、イタリアあるあるとして笑いに昇華したりして、すごくイキイキ楽しそうな姿が見てとれるのが面白いです。
作者はイタリアのことを「出来の悪い息子」のようなものだと書いていました。
「ダメダメなことが多くても、いくら裏切られても、どうしても憎めない、どうしても嫌いになれない」んだそうです。
なるほど!!と笑ってしまいました。
ガチガチに堅い日本人な私は、だからこそイタリア人的思考に憧れつつ、でもやっぱり住むとなったらしんどそうなので、短期旅行でいいかな。
来世はイタリアにイタリア人として生まれたいです。
(娘か息子が移住してくれないかな、という密かな野望を持ちつつ本を閉じます)
Posted by ブクログ
「いい加減」とは、いい加減ではないという意味。「適当」とは、適当ではないという意味。
「いい加減」「適当」この二つの言葉は、本来は「良い加減」「適切で当を得ている」というポジティブな意味であるはずなのだが、ほとんどは逆の意味で使われる。そしてイタリアの社会やイタリア人については、その言葉がとても当てはまるようだ。この本の前半では良い意味の話が書かれているのだが、後半は悪い意味の話も書かれている。
最近の日本では、「いい加減」や「適当」が意味で使われることが少ないのは、そういう言葉が入り込む余地がない状況が多いからだろう。そして次第にその余地は少なくなってきている。基準やルールが細かく明確に決められていることが多くなり、日本は、それに沿わない、合わないことに厳しいのだ。
多くの人が快適に過ごすためにはそのルールを守ること。そしてそのルールを守る人が大半であるから、日本は社会がうまく動いているのだと思う。うまく動いていた、と言うべきか(うまく動かなくなってきていると思うのだが)。
「いい加減」「適当」がたくさん入っているイタリアは、そのデメリットも多いが、この著者はそれに適応し、イタリアでの人生を楽しんでいる。最近は、「いい加減」「適当」のデメリットを含めても、「いい加減」「適当」が存在する世の中の方が、ストレスが少ないのではないかと思うのだ。特に最近は、もう少し、日々に気持ちの遊び(余裕)があるほうがいいと思うようになってきているので、このような環境で人生を送ることができる著者のことを、うらやましいと思うのだ。日本は身動きできる余地が少ない、凝り固まった融通の利かない世の中になってきているのではないだろうか。
本の中ほどに、ミケランジェロ広場から見下ろすフィレンツェの街の写真が見開きで載っている。寺院の塔など、少々背の高い建築物はあるが、高層ビルが一つもない。発展していながら高層ビルがない街は、世界中でどんどん減っていくんだろうな。高層ビルは経済的な発展の証と言っていいのだろうが、街の中に高層ビルがないところのほうが、心のゆとりが感じられるような気がするんだけど。