あらすじ
神取忍、キューティー鈴木、尾崎魔弓…。
令和の時代に昭和プロレスの忘れ物、ジャパン女子プロレスの本がついに出た!
その誕生から崩壊まで現場で奮闘した男ヤマモが、32年の時を経て魂の執筆。
メジャー全女に対抗した第二の女子団体の真実とは!?
これは読む価値がある!
ロッシー小川(MARIGOLD代表)
1986年8月17日、東京・後楽園ホールでひとつの女子プロレス団体が産声を上げた。ジャパン女子プロレス――メジャー団体である全日本女子プロレスの対抗団体として立ち上げられた第二の女子プロレス団体である。
ジャパン女子は「女子プロレス版宝塚」などのコンセプトをもとに、秋元康氏のプロデュースや大手芸能プロであるボンド企画の協力などを得て、旗揚げ前から一大キャンペーンを展開。後楽園ホールで行われた旗揚げ戦は、アントニオ猪木が来場するなど、破格の盛り上がりを見せたが……、ある意味、そこがジャパン女子のピークだった。
旗揚げ第二戦以降、目に見えて苦戦する集客。
地方での興行が次々にキャンセルされ、資金繰りが悪化。
社長が次々に代わるという異常事態。
やがて選手・スタッフへの給料は遅れがちになり、やがて出なくなる。
しかし、そんな過酷な状況にあっても、選手・スタッフたちは決してうつむくことなく、理想のプロレスを目指して走り続けていた。
いまや伝説になった豪華旗揚げ戦の舞台裏、地方興行で知った現実、ジャッキー佐藤vs神取しのぶ戦の内幕、〝過激な仕掛人〟乗っ取り騒動、そして団体崩壊の経緯……。
ジャパン女子プロレスのリングアナウンサーとして、すべての試合を見届けたヤマモこと山本雅俊が、三十余年の沈黙を破り、ジャパン女子プロレスの顛末記を執筆!
貴重写真の多数掲載、尾崎魔弓&キューティー鈴木、高橋英樹(スタッフ、後にFMWで営業部長)との特別対談、さらには選手名鑑も収録! 本書を読めば、ジャパン女子の熱い戦い、懐かしい光景がよみがえる。女子プロレスファン必見の一冊!
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Posted by ブクログ
「極悪女王」を観て胸が熱くなった方へ── ビューティー・ペア、クラッシュ・ギャルズに続くもうひとつの伝説、ジャパン女子プロレス。その舞台裏を描いた渾身の一冊。
昨年、NETFLIXで大ヒットした「極悪女王」。
ダンプ松本の極悪同盟、ライオネス飛鳥と長与千種のクラッシュ・ギャルズが一世を風靡した全日本女子プロレスを描いて、当時を知る世代にも、初めて見る令和の若者たちにも、心に深く刻まれる内容だった。
その中で、かつての大スタービューティー・ペアのジャッキー佐藤が新団体で現役復帰を示唆するシーンがある。
その復帰の舞台となるのが、本書で描かれるジャパン女子プロレスだ。
1986年8月17日、後楽園ホールで旗揚げ。
アントニオ猪木の来場。
当時はおニャン子クラブなどで若者文化を牽引していた秋元康プロデュースの話題性もあり、大きな注目を集めるかに思われた。
だが、すぐに団体は暗礁に乗り上げる。
客の入りが伸び悩む会場。
様々な人間模様。
日常茶飯事に起こる経営危機。
その中で、選手たちは確実に実力を身につけていく。
暗中模索のなかで、皆ががむしゃらにもがいていた。
昭和の終わりから平成にかけて、走り続けた。
「彼女たちは、一生懸命練習して、素晴らしい試合をしています。
是非、応援して下さい。会場にも来て下さい」(筆者が尊敬する人物・山本小鉄氏。団体旗揚げ時からのコーチ)
30年ほど前、新日本プロレス両国国技館大会前のロビーで、私が若気の至りで話しかけた際に、真剣に語ってくださった。
本書を読みながら、当時のことを思い出す。
それは筆者が描き出す、過去、現在、未来に燃えたぎる熱に触れたからだろう。
旗揚げ戦から、団体最終試合まで。
全試合をリングアナウンサーとして見届けた筆者でしか記せない、圧倒的な熱量の記録。
それは、プロレスを愛する情熱に裏打ちされている。
読み終わって思う。
「プロレスとは、ゴールのないマラソン」(武藤敬司)であり、「プロレスとは、他に比類なきジャンル」(村松友視)なのだ。
当時の記録は、いまなお、そして未来にも、語り継がれていく。