あらすじ
日本は、2050年までに脱炭素を実現するという国際公約を掲げながら、まだ明確なシナリオを描ききれていない。
いまなお石炭火力など既存の電源に固執し、アンモニア混焼などにも注目が集まるなか、果たして再生可能エネルギー(再エネ)は本命となり得るのか?
そして、日本は再エネの大量導入なしに脱炭素を実現することが可能なのか?
気鋭の研究者が世界のオープンソース・インテリジェンス(公開された情報を基にした知見)をもとにこれまでの常識を覆す!
本当に実現可能であり、誰もが果実を手にする脱炭素シナリオとは?
世界が注目し、日本の産業界の生き残りをかけた再エネの行方を鋭く描く超話題作!
■内容
はじめに 2050年に再エネ9割
第1章 なぜ世界は再エネ9割になる?
我々は知らされていない/COP28の「2030年までに再エネ3倍」の背景/国際機関が予想発表!/日本ではカーボンニュートラル。世界ではネットゼロ/気候変動対策は「急げ」が基本/「夢のような技術」に期待しすぎていませんか?/国際機関報告書を読むべき3つの理由
第2章 再エネはコストがかかる?
なぜ日本ではコストばかりが議論されるのか?/「隠されたコスト」をご存知ですか?/あるべき市場とは?/「便益」をご存知ですか?/再エネはコストが高い?
第3章 エネルギー計画はこのままでよいのか?
そもそも科学とは? 科学的方法論とは?/科学的政策決定とは?/日本の政策は世界に逆走/日本の予算配分はバラマキ/再エネは未成熟?
第4章 再エネ普及に蓄電池は必要?
なぜ日本は高いものから手を出すのか?/「調整力」の呪縛/「~しかない」の呪縛/再エネ普及の6段階/再エネを捨てるのはもったいない?/日本はむしろ再エネに適している国
第5章 再エネはだれのため?
社会的便益の最大化/再エネは環境破壊?/差別はアカン/再エネは不安定?/停電恐怖症と「電力の安定供給」不安商法/再エネが再エネを調整する日
おわりに 再び、2050年に再エネ9割?
コラム
専門用語をコレクションしよう/海外ではビーガンむっちゃ流行ってるんですけど…/参考文献のある資料を読もう!
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
とても良かったです。自分も10年ほど前の知識で止まってました。
再エネ普及で、昼間電力の供給が増え、夜より昼間電力が安くなっている、それによりコジェネの設定が古く最適設定になっていない課題などが出ていること、蓄電池より出力抑制が優先とか、AIによるデータ計算は供給過多時間に行うと即座にピーク電力の増加につながらないことなども、言われてみたら確かにと思いました。
そしてやはり水素やCCUSはまだ実用前の技術で、先に再エネや電気自動車への切り替えなど、すでに導入されている技術から普及させるべきというのは当たり前の考え方です。私もなぜ水素とかCCUSなど不確実性もコストも高いところに投資するのか意味がわかりません…
なんにせよ、技術と仕組みの組み合わせという考え方、特に技術が悪くないのに仕組みを組み合わせないことで大きく効果を損なっている日本は、他の分野同様だなと思います。
Posted by ブクログ
知っているつもりだったり、一次情報を確かめずに論拠があるかのような言説を信じてしまうこと、あるなぁと反省。本書の論調もまた全てを信じる訳にはいかないが、エネルギービジネスの参考になる必読の書だ。欧州とて1日にして成らず。日本の再エネもこれから。
Posted by ブクログ
再エネ導入の政策、市場、技術について包括的に学べる本。一読の価値あり。特に便益を考慮することの大切さは関係者も肝に銘じるべき。コスト論争の愚に堕ちてはならない。
Posted by ブクログ
⭐︎気候変動対策は急げが基本
国連が、ウクライナ侵攻開始の2022.4声明した通り、「市場変動に影響されない再生可能エネルギーの導入を世界的に加速させ、石炭やその他全ての化石燃料を廃止する必要がある」必要性を感じた。世界でも問われ続けている脱炭素再エネが、日系企業特に中小企業においては優先順位が低く実施できていない実態を踏まえ、一定期間企業でも導入コストを検討し真剣に取組む期間を設けても良いのでは無いかと感じた。
Posted by ブクログ
巷に溢れる再生エネルギー懐疑論に対する反論文書。
ベースとなる知識は参考になったが、”反論”を中心に展開していくので(私的な感情も含まれる)、焦点がぼける感じでもったいない。
グローバルスタンダード、客観的、専門的な見地化の情報提供については知識として参考になった。
Posted by ブクログ
安田氏は、まぎれもなく電力系統工学の専門家であり、業績も多々あるが、あまりにも自分の本当の専門領域以外へ踏み出しすぎた。そういうout of rangeの話題においても権威であるかのごとく発言するために、ひたすら欧米学者あるいは機関の「権威」の論文を「世界の常識です」といって盾にとることが多い。それらの学者あるいは機関の主張が、かならずしも世界の太宗を占める意見だとは限らないのは、当然のことである。
本書は、一般向けにエネルギー論を説くように書かれているが、「山と渓谷社」であることから、どういう層に向けて発信しようとしているのかも自ずと明らかになっている。