【感想・ネタバレ】シリーズ「あいだで考える」 ホームレスでいること 見えるものと見えないもののあいだのレビュー

あらすじ

著者は公園のテントに20年以上暮らし、ほかのホームレスたちと共に生きる場をつくりながら、ジェントリフィケーションやフェミニズム、貧困などをめぐる活動をしてきた。本書では、公園や路上での生活や、ほかのホームレス女性たちとの営み、街の再開発とホームレスの追い出しなどを伝え、現代社会の風景の中の「見えているのに見えないことにされているもの」「隠されているもの」「消されたもの」について、読者に語りかける。

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Posted by ブクログ

いちむらみさこさんは、わたしにとってはいちむら先生だ。20年ほども昔、わたしは会社帰りに絵画教室に通っており、そこで出会ったのがイチムラ先生だった。とても自由でindependentでpositiveな人で、わたしの描く絵に対しても詩的な言葉でアドバイスをくれて、アーティストってこういう人なんだなぁ、素敵だなぁと思っていた。
わたしが友人と発行していた『SOY POCKET』というZINE(フリーペーパー)についてもとても興味を示してくださり、励ましてくださった。京都で置かせてもらえそうなお店なんかを教えてもらったりもした。

そんないちむら先生がホームレスとして暮らしておられる。そのことはどこかで読んだ。
この本を読み先生の思いがよくわかった。なぜ自分が生きていたくない社会で苦しい生き方を強いられなければならないのかという叫びが聞こえてくるようだ。

p89
「復帰」する先の「社会」とはどういったところなのだろうか。会社に労働者として雇われ、かせいだお金で生きていくことが前提となっている社会。そこではひとりひとりの個人が生産性によって測られてしまう。そして肩書や地位、年収、成績や能力などによって価値づけられ、序列化されてしまう。

彼女は土地や物をもつということにも疑問を抱く。
p98
この地球の地面を誰かが「所有する」とはどういうことだろうか。土地の所有意識は、街に寝ているホームレスを、勝手に占拠していると見る意識につながり、ホームレスの存在を不安定にする。
惑星の上に眠る、その体のそばに食べ物、鍋、茶碗、箸を置いて生活をする。仲間を迎えて座るための敷物を広げる。体の存在によって占める面積は、生活を営むことによって広がり、誰かと共有する場所につながる。わたしがいるこの地面には、ここは誰のものでもない場所だという反発力と、だからこそ誰のものでもある場所だという引力が生じていて、共に生きていくために、どこにどのように軸足を置くのかを問いかけ、わたしたちの視界を広げている。

そして彼女はアーティストである。
高架下の段ボール小屋の周辺で火事が起こると真っ黒に焼けた壁と地面を何度も見に行き、そこにあった生活を思い浮かべる。そしてそこで野宿することにするが、通行人たちの襲撃にあう。
p123
わたしは、銀紙で星をたくさんつくり、黒く焼けた壁や地面、そして段ボールにも貼りつけて、キラキラさせることで防衛を試みた。蹴りたくなる衝動を星のキラキラで煙に巻く作戦。

なんて素敵、なんてクリエイティブなのでしょう。

最後の文章がまた素敵なのだ。

「ひとりでいる」ということは、さまざまな人や物、草木や山や海、そして、記憶や時間など、あらゆるものと自分との距離や違いを感じて、ひとりの自分を確認することです。それぞれのものとの「あいだ」には、いろんなかたちがあります。やわらかくて伸びちぢみするようなものでつながっていたり、霧がかかっていたり、固い岩のようなものがあったり。わたしは友人とけんかした時は、深い溝を感じますが、ある日突然そこに橋が現れたりすることもありました。毎日見かける木と葉そして自分のあいだに吹く風、そこにある光。また、思いだしたくないこととのあいだには、キーンと音が鳴るような闇があります。
そのように、わたしとさまざまなものとのあいだにさまざまな関係があり、その空間に気づくことによって、誰とも決して混ざることのないひとりの自分を感じます。
(略)
生きることの中で価値を決めるのは自分でありたい。生きさせられるなんて、もうこりごりだと思いませんか。
雨があがったら、乾いた落ち葉を集めて、地面に敷いて、スケッチをして過ごそうと思います。
あなたには何が見えますか?

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正直わたしにはホームレスとして生きたいという気持ちに共感はできない。安定した暮らしを求めてしまうし、そこでわたしなりに楽しく生きていける。
だけど夫に指摘されて気づいたのだけど、わたしも安定した職を辞したり、建売の家を買わずに建築家を家を建てるという選択をしたり、程度の差こそあれ、自分らしく自由に生きるための選択をしているのだと思う。
いちむらさんにとって、ホームレスでいることが彼女らしい生き方なのであり、であればそれはやはり尊重されるべきなのだと思う。
とても大変な生き方であることは間違いないけれど、そのくらい彼女がこの社会でいわゆる普通に生きることに、また福祉の力を利用して生きることにも向いていない、ということなんだろうと思う。

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2025年04月23日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ホームレスという生き方の一部を知れる。私自身はホームレスになりたいと今のところ思ってはいないが、今後なりたいと思わないとも、予定外にホームレスにならないとも限らない。ホームレスになる=全てを失うという認識であったけれど、ここで語られる人たちはどうやら違う。不便な暮らしのなかでの工夫や、物事をじっくりと考えること、時間や季節の流れを感じること、「普通の」社会から逸脱した生活の厳しさと眩さが記されていた。生きることは抵抗であることの最も原始的な行いではないかと考えられるようになり、ある意味では希望のような一冊かもしれない。
とはいえ私は今、「普通の」社会で暮らしている。労働によって得た賃金で、資本主義社会に踊らされるままに物を買い、経済的によりよい暮らしを望んでやまない。ホームレスという生き方を拒絶する自分がいないとは言えない。が、私個人が自分の生き方としてホームレスを拒絶することと、ホームレスという生き方を否定することはまったく別物だ。この本を読んで、自分と他者の境界を確認することができた。すべての人が生きたいように生きることを支持するし、そのためには共に戦うことを実践していかなければと思う。

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2025年03月02日

Posted by ブクログ

表紙を見た時に見たことがあると思った。それは『小山さんノート』。同じ人が絵を描いたのか。

82ページ、「「公共の場所」とは」。公共の場所ってみんなの場所なんだから、一部のホームレスが占有するのは良くないんじゃないか?という意見について、ほかに寝る場所のない人も「みんな」じゃないの?って。どんなに社会のしくみを細かく作ってもそこからはみ出してしまう人がいる。そんな人たちのための「すきま」、その一つが「公共の場所」何じゃないか、って。

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2024年12月04日

Posted by ブクログ

『小山さんノート』に載った文章がとてもすてきだったので、刊行をとても楽しみにしていた。

ホームレスは「仕方なくなってしまう状態」「早く脱け出さなきゃいけない生活」だと思っていたので、本書の「自ら選んで」ホームレスになるという考え方に衝撃を受けた。数ある選択肢のひとつとして、特定の家を持たず、経済に過剰に関与せずに暮らすということ。
ときにはアートやボランティアの善意が他者の人生を壊してしまうことがある。価値観を揺さぶられる本だった。

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2024年09月28日

Posted by ブクログ

公園のテント村に住む著者が見たもの感じたこと考えたこと。
視点が変わることで見えるようになるものや、見えなくなるものがある。権威や強者や世間が作った「当たり前」から外れた時に見えるもの。
支援者視点とも違う価値観が見えた。

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2024年11月19日

Posted by ブクログ

どうやって生きていくか選択するのは自分自身だし、各々の自由だからこそ、いろんな人が分かり合える世界は難しいけど作らなきゃいけないよなーって漠然思った。

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2025年04月27日

Posted by ブクログ

著者であるいちむらみさこさんは、2003年から東京都内のブルーテント村に住み、20年ホームレスとして暮らしている。
ホームレスの人たちの生活を守るために活動し、この本を書いた。

いくつものエピソードがある。
もちろん危険と遭遇することも…。

女性にホームレスはいないのでは…と勝手に思っていたが、案外存在していることに驚く。
ホームレスはなるようにしてなったのか?それとも自らここが居場所としてあたりまえのようにいるのか?
ホームレスでいつづけている理由はそれぞれ違っても、みな生きるためにここにいる。

わたしはわたしに帰るために家を出て、ホームレスで暮らしている。
その言葉は、わかるようでわからないと感じた。





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2024年10月15日

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