【感想・ネタバレ】自閉スペクトラム症の人たちが生きる新しい世界 Unmasking Autismのレビュー

あらすじ

米Amazon高評価★★★★★1,600件以上
社会に適合するために無理に「普通」を装い、自分を見失っている方へ
本当の自分を見つけて、自分らしく生きるための本!

原題の「アン・マスキング(Unmasking)」とは、自閉症的な特徴を隠し、社会に適合するために表面的な仮面を取り去るという意味。
自らが当事者であり、そのことに誇りをもつアメリカの若手社会心理学者が、自身の体験をベースに自閉スペクトラム症の人々が自分自身を受け入れるまでの過程を描きだします。

・ASDだけでなく、発達障害で苦しむすべての人に読んでもらいたい1冊
・自分に自信を持つための書き込み式エクササイズつき

【第一章】ASD(自閉スペクトラム症)とは何か
ASDのバーンアウト(燃え尽き)/ASDの神経学的側面/ASD者は危険にさらされている/ASDは多様である/なぜASDといえば「鉄道好きの白人少年」なのか/ASDの推奨用語・非推奨用語

【第二章】どういう人が仮面ASD者になるのか?
「女性のASD」によく見られる特徴/言語能力が高く、外向的なASD/「高機能」なASD/仮面ASD者との出会いとコミュニティで居場所を見つけるということ

【第三章】仮面の研究
切り替えが難しい―クリスタルの場合/オタク趣味を隠して強く見せる―ティモテウスの場合/「大人」のふりをする/「お行儀良く」することによる二重の苦しみ

【第四章】仮面がもたらす犠牲
ギフテッドの期待から逃れたくて―ドリアンの場合/「ロボット」のようになりたい/解離―脳内自分ワールドに入り込む/デジタルの世界に逃避/メディアが作るASD=「ムカつく天才」というイメージ

【第五章】ASDをとらえ直す
ASDのステレオタイプを再構成する/ASDの特性を肯定的に言い換える/敏感さが仕事に役立つ/ピート・バーンズが好き―クララの場合/特別な興味の効用/自分の価値観を再発見する

【第六章】ASDに合わせた生活を構築する
成功したインフルエンサーの素顔/ASDの感覚に合わせてインテリアをデザインする/特別な興味に没頭して回復する/ペースを落とそう/自分の好きなことを、自分なりの形で

【第七章】ASDらしい人間関係を育む
他人からの否定的な反応にひるまない/自己開示が合理的なのはどのような場合か/仮面を外した友情を育む/本当に優しい人を遠ざけない

【第八章】ニューロダイバーシティを世界に広げるには
必要なのは社会の変化/障害者に対する法的保護の拡大/神経多様性に関する公教育・専門教育の拡大/だれもが仮面を外せる世界に

※本電子書籍は同名出版物を底本として作成しました。記載内容は印刷出版当時のものです。
※印刷出版再現のため電子書籍としては不要な情報を含んでいる場合があります。
※印刷出版とは異なる表記・表現の場合があります。予めご了承ください。
※プレビューにてお手持ちの電子端末での表示状態をご確認の上、商品をお買い求めください。

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Posted by ブクログ

 教育の目的は感じよく従順に振る舞えるようにすることではない。しかし、親は子どもの行動がどれだけ自分を困らせ、多くの時間と注意を必要とするかに基づいて、重症度を評価する。ASD者は、医療や支援を与えられずに、わがままだとか自分勝手と言われると、仮面をつけざるを得ない。
 仮面ASD者は脅迫的に人の機嫌を取りがちだ。行きすぎなほど感じがよく、素直で、受け身になる。私もみんなに変な人だと思われたくなくて、優しく穏やかで自立した素敵な女性を演出しようとしていた。自分の行動や言葉が他人にどう受け取られるかという計算を常に頭の片隅でしている。そのため人と深くつながれず、孤独な状態となり、消耗も激しい。どんなコミュニティでもくつろげることはほとんどない。マスキングをしていると、人間関係に満足できなかったり、本当の自分に忠実ではないと感じたりする。なぜならそのつながりは、私たちが反射的に相手のニーズに応え、常に相手が聞きたいと思うことを話さなければ成り立たないものだからだ。なので相手の愛が条件付きの愛だと思ってしまう。
 中高生の時、学校を休みがちだった。学校は刺激が多すぎて、状況の変化についていけなかった。先生の話を聞き、周りの人たちの様子を伺い、一瞬一瞬どう振る舞うのが正解か、どんな表情でどんなことを言うか、誰となら話せそうか、どんなことをすればいいのか考えることが多すぎて辛かった。浮いていると思われていないか、気持ち悪いと思われていないかが常に不安だった。周りから浮かないように仮面を被るのに必死だった。仮病を使うことで、刺激が多すぎる教室から抜け出し、必要な休息を取ることができた。しかし、自分は怠け者でダメな人間だと自己嫌悪に陥っていた。学校を休んだことも周囲にどう思われているかも不安でしょうがなかった。周りに天然で純粋だと言われて、そのように振る舞うことを押し付けられていると感じていた。中学生の時、仲良しの子たちが私には聞かせられないと私を仲間外れにして下ネタをヒソヒソ話しているのが悲しかった。私は気にしていないふりをして、困った笑顔を作っていた。そんな表情に見えていたかは分からないが。
 ASD者は過剰に自分を修正してしまう。私は母に仏頂面で可愛げがないと繰り返し言われて笑顔を貼り付けるようになった。母にいつも「あんたは空気が読めない」と言われて、必死にその場の会話の流れを考えるようになった。傲慢だと思われないように、謙虚さを装った。後輩に指導する時、威圧的な人だと思われるのが怖くて、遠回しに言いすぎて何にも伝わらなかった。意地悪だと言われて、温かく、親切な人だと思われるように、一生懸命に人の話を聞き、自分のことは話さなくなっていった。人とうまく会話をすることができず、ぎこちなくなってしまうため、脳内で会話の予行練習をしておき、苦もなく他人と話せる人間だと思わせた。みんなについていけないと思われたくなくて、何が起こっているかわからないときでも、うなずいたり笑ったりする。自立しているように見せかけるため、自分の健康や幸福を犠牲にしてでも、自分の人生が表面上ではしっかりしているようにつくろった。浪人や留年・休学をせずストレートで進学・就職することにすごくこだわった。幼稚園児の頃、母に「好きな人いるの?」と聞かれて「今恋はお休み中です」とCMの台詞を使って答えたら死ぬほど揶揄われた。泣き虫でうんざりすると言われてきたため、泣きたい、あるいは怒りを表明したいとき、そんな自分が恥ずかしいと感じる。自分語りや自分の好きなことなど他人を退屈させる話題は避け、「正しい」話題や質問を一生懸命に考えた。ネガティブな話題ばかり話したり日記に書いたりしたことを怒られて、人に愚痴を話さなくなった。社交性に欠け、人の気持ちを読み取るのが苦手なので、人を遠ざけ興味のないフリをした。感覚過敏で要求が多い自分は不平不満だらけの赤ちゃんのようで、我慢して気にしていないフリをした。
 ASD者はフルタイムの仕事で、1日に8時間も穏やかな仮面を維持することに力を注いでいる。私は、教員として活躍する裏で、家で自己破壊的な行動を繰り返していた。職場では笑顔でテキパキと仕事をこなしていた。愚痴や弱音を吐くことすらしなかった。家に帰ってから尋常じゃない量のお菓子を食べたり、夜通し泣いたり、家出をして自殺を考えたりしていた。男性に依存して、孤独をまぎらわし、ストレスを発散しようと癒しを求めていた。
 社会生活やコミュニケーションがぎこちない人に寛容になれないのは、自分自身が頑張ってできるフリをしているからなのだと思った。空気が読めない人や余計なひと言を言う人に対して過剰に反応して裁いてしまう。私は、涙を流して同情を引く女性に嫌悪感をもつことがある。天然だねと言われている子がいると居心地の悪さを感じる。どちらも自分が人から注意を受けたことがあることだ。
 マスキングは、自分の感情をかえりみず、他人の機嫌をとって社会規範に合わせることに集中する行為にすぎない。私たちは溶け込みたい一心で、アルコール、過度の運動、働きすぎ、孤立、共依存といった自己破壊的な手段を使う。しかし、自分が欲しているものより、社会的承認や定型発達として合格をもらうことを優先させていれば、害が大きいのは明らかだ。
 私は脅迫的に人の機嫌をとり、人との会話で何を言うかを相手が何を望んでいるかを基準に考えていることに気付いた。マスキングをするのをやめていいのだと言われても、元々の私は思ったことを衝動的にベラベラ喋る人間だった。面と向かって人を傷つけることを言い、相手の話に割って入って自分の言いたいことを一方的に話していた。だから、自分勝手で空気が読めないと非難され、私は「正しいこと」を言わないといけないと考えるようになり、会話が円滑に盛り上がるように計算するようになった。それが当たり前だと思っていた。年々先の展開を計算して会話をコントロールしたり、ほとんど反射的にうまく切り抜けたりすることがうまくなっている。今更、自分の特性を隠す必要はないと言われても、相手も自分も傷付ける言動をあえてするのか?と腑に落ちなかった。しかし、そんな中で月に1回のデイリーインベントリーで仲間から、相手に共感を求められても、必ずしも共感する必要はなく、自分の言いたいことを言って良いということを聞けたことで大きな気づきを得た。私はASDの特性によって失敗した経験から、脅迫的に人の機嫌を取るようになっていたが、相手の期待に応え、相手に共感して相手を賞賛し会話を盛り上げることは私の義務でも責任でもない。私はお笑い芸人でもカウンセラーでも風俗嬢でもない。つまんない人間でいいのだ。本当に共感した時には共感するし、相手の良いところは積極的に言葉にしたい。私が楽しく会話をしたい時は会話を楽しむ。まずは、そこから仮面なしの生活を始めてみようと思う。

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2025年08月10日

Posted by ブクログ

■ まとめ

フォン・エコノーモ・ニューロン(VEN)は:
•自己意識・内省・共感・意思決定に深く関わる
•前部島皮質と前帯状皮質という重要な領域に存在する
•社会性の高い動物にしかない
•心と体をつなぐ「超ハイレベルな神経細胞」

という、非常に興味深く、精神・神経疾患の理解にもつながるニューロンです。

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2025年06月09日

Posted by ブクログ

ネタバレ

著者はきちんと自覚していて、本文にもむろん書いてある。だからこんな書き方はいけないと思うんだけど、「白人で、勉強ができて、アカデミックな世界にいられて、高い水準の給料を得られている」というのは、ASDとか、割り当てに合わない身体のつらさとかを加味しても……なんというか。属性(?)として強いんですよね。だから「『そこ』へ絶対に到達できないひと」にかれが連帯と呼びかけを行うことにモヤっとしてしまう。
必要でだいじだし、現状世界を牛耳っている白人シスヘテロ権威男性に対して立ってくれる、紹介してくれるのはとても素敵なことだし、アドバイスも実際に役にたつ。
けれど、「既に、権威に踏みつけられて息も絶え絶え」な層にとっては、立ちあがろうと、連帯を、かれの立場からいわれることがしんどい。
ヤマトも男性主権・家父長制主義・帝国主義的で、「兵士として国に対し生産的行為を行わないものは不要」という考えのもと、一般のひとまで自己責任論(≒医療モデル)から出ない。自分が擦り切れるまま働かされるのを止められないまま、弱いひとを捌け口にしてしまう。
それに、ネットでちらっと見ただけだけど、政府は社会モデルを歪曲して伝えているフシがある……
ベル・フックスじゃないけど、利益を「搾取差別抑圧している対象に怯えつつも転換ができず享受しつづける」状態がつづくかぎり、抵抗も生存も、アンマスキングもハードがすぎる。

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2025年05月04日

Posted by ブクログ

アメリカの発達障害に対する偏見は日本より根強いものだと感じた。世界共通として言えることは発達障害者は生きづらいという事。特性を治す事に注力するのではなく自分を受け入れてくれる居場所作りや見つけの方が大事なんだと痛感。やはり孤独が癒やされると悩みも軽減される気がするから。

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2024年11月16日

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