あらすじ
アフガニスタン紛争地に従軍して両脚を失った作家が、義肢からBMIまで、障害の支援技術(アシスティブ・テクノロジー)をテーマに綴った出色のエッセイ。身体と機器の接合が自己の感覚、生活の質、障害のスティグマをいかに劇的に変えるか。機器がユーザーにもたらす希望や疑念、そして接合の代償とは──。心身の経験をさまざまな当事者の目線に沿って見つめる。脚を失って知った、義足の賢さと面倒くささ、日常の痛み、ただれや摩擦の飼いならし方。以前、兵士だった頃は強さこそが価値とされた(「勝てないことの結果が二位であり、二位が死であるとき、弱さの入る余地はほとんどない」)。そんな著者にとってあらたな生活は、心にくすぶるエイブリズムとの格闘でもある。「障害者」という呼称も腑に落ちない著者は、機械との接合の前線を拓いている人々の話を聞きに行く。チタン‐骨結合を用いる義足の早期導入者やその開発者たち、支援機器の研究者たち、個性としての義肢の可能性を拡げるアートプロジェクト……。その情景を曇りのない目で評価しようとする書き手の意志が、湿度を削ぎ落した語りを通して伝わってくる。義肢の歴史や、障害者の権利をめぐる闘いの足跡にも行き当たりながら、アシスティブ・テクノロジーと人間の関係の現在を描き出す。
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Posted by ブクログ
・とても面白かったけど、途中難しくてなかなかついていけない場面があった。本が難しいというより(専門的で難しく感じる部分もあったが)、私の集中力の問題だと思う。全般的に面白く読んだけど、内容は3割くらいしかわかっていないような感じがする。とはいえ面白かった。
・両脚を失った著者が、自分の障害や、友人の障害や、機械を人間に接合するインプラント技術を応用した様々なテクノロジーについてなど、障害周縁のことについて語っている本。まず、著者が使っている義足自体も充電が必要なコンピュータ制御?の膝接手つきのものを使っているということで、自分の義手・義足のイメージはガバッとつけたり外したりするもので止まっているので、すご~いと思った。全般的に、義手・義足業界はこんなに進化しているんだな~とかなり驚いた。
・障害を持つ人の中には、あえて障害を改善させようとしない人や、障害をアイデンティティとして受け取っている人もいた。ただ、必ずしも好意的に受け止めているわけではなく、ポールダンサーとして自分を売り込む肩書として意欲的に利用している人もいれば、「状況が良くなることはない」という深い諦念が底に見える人もいて、そこに至るまでの思いを思うと、何とも言えない気持ちになった。
・変な言い方だけど、著者は退役軍人であり、もう兵士として戦えないことへの深い苦しみはあったであろうけど、それでも退役軍人の場合はある程度高価な義手・義足なども無料で提供してもらえるそうなので、障がい者の中でもヒエラルキーというか、持つ者/持たざる者の格差があるんだなと思った。それは本文中にも記載がある。
・著者はかなり専門的に思える最新の技術や論文なども積極的にチェックしたり、義手・義足フェアみたいな催しにも参加していたり、とても熱心だな~と思ったけど、その"熱心にならざるを得なさ"を思うと切ない。著者は切ながってほしいわけではなく現状を知って欲しいんだと思うが。家庭を持てるのか?という不安も、実際に子どもを得る際の不安も、自分では考えられないほどのものだったろうと思う。そもそも、自分はサクサク歩けるようになるまでリハビリを頑張れるのかなあという感じがする。それこそ、「良くなることはない」と諦めてしまいそう。弘道お兄さんではないけど、そもそも兵士だった著者は身体も頑強だったと思うし、日々の鍛錬と体育会系マインドが功を奏した場面は多かったのではないかなと思った。
・手にICチップを入れるのはいいなーと私も思ってたんだけど、普通に取り出すの大変って書いてて、そうなんだーと思った。色々書くべきことはありそうだけど上手く言えない。とりあえず、障がいに関するあれこれだけではなく、まさに人間
が機械と接合すること全般について語られていて面白い本だった。