あらすじ
東京二三区の六割の面積に二二〇万人が暮らすパレスチナ・ガザ地区.イスラエル軍の攻撃により,民間人を中心とする死者は三万人を超え,人びとは家を失い,飢餓状態に追い込まれている.長年パレスチナ問題の取材を続けてきた著者が,旧知の現地ジャーナリストの「報告」を通し,死と隣り合わせの日々を生きる人びとの声を伝える.
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Posted by ブクログ
土井敏邦監督の、映画ガザからの報告を映画館で見て、このブックレット購入。映画の最後は、ガザに入ることができない土井敏邦監督が、Mさんというジャーナリスト、研究者とのメッセンジャーやり取りで得た情報、映像で締めくくられている。映画を見たのは2024年11月。このブックレットが出たのは2024年7月。
Mさんとのやり取りで食料がない、薬がない、水がないというのがすでに1年以上前の2023年10月の話で、10月7日のハマスの行動に端を発したイスラエル軍のガザ攻撃はすでに11月27日までに15,000人のガザ市民を殺しており、この時点でMさんは、この戦闘ですでに殺されたかこれから殺される人たち、と、飢餓で死んでいく人たち、の二つのグループにガザ住民は分類できると述べている。
そして同じ頃、自殺者も増えるだろうと。
ここからすでに一年たち、戦況、といっても圧倒的一方的な軍事力をもつイスラエルがハマスと言わずガザ住民を殺戮し街を破壊しつくしている。
1年以上経過してまだガザが存在していることが不思議なくらいの過激な攻撃、それを支援して恥じない英米独、、日本も加担。Mさんの家も砲撃され破壊し弟たちが亡くなる。全てのガザの家で、住民におきていること。淡々と状況を語るMさんの証言。これを今流行りの、意地悪いまでの[検証]などする必要ないくらい、詳しく淡々と語る現実、今一刻を生き延びたい、子どもたちを死なせたくないという魂の叫びがきこえる。
夜、本を読む明かりも電気もなく、インターネットもなく、夜できることは、思い出の廃墟で泣きノスタルジーに沈むことだけだ、とMさんのコラム。
残酷なイスラエル軍の攻撃、
残酷な気候、暑くも寒くも人を疲弊させ雨風は即席資材不足のテントを直撃、
飢餓の猛威、飲み水すらない。
1948年のナクバは小さなナクバと思える、今が本当のナクバだと言うのだ。
このブックレット全てを書き写して覚えて唱えたいくらい、引き裂かれる思いしかない。自分の言葉は出ない。
後半のハマスについてのMさんの考察、意見、土井さんとのやりとりは貴重だと思う、そして、なにも言えないしわからない、私たちが口出ししできることではない。それでも私がいつも思うのはパレスチナの人々にはいかなるときも、レジスタンス、抵抗、闘争、帰還する権利があるということ。
最後の20ページ余は読むのが息苦しい。崩壊したガザの価値観、社会、団結。モラルの喪失。これも辛すぎる戦争によりガザの人々が分断されているということ。
そして、イスラエルという大きな敵の存在が、ハマスにいかに不満が集まり嫌われても、住民をハマスの下に団結集結させる、というパラドクス、、、
土井監督や本書にでてくるガザの人々のハマスに対する考え、怒りは理解できる、でも、私たちは外部のものとして、イスラエルの占領植民地支配アパルトヘイトが根源的な原因だということに依拠してここからできる戦いと支援をすべきではないだろうか。状況悪化という変化しかない、1年と1ヶ月が経過したということへの虚無と悔しさと怒り。一日1時間1分でもこの不公平な戦争を止め1人でも多くの命を繋ぎ留めて、と祈るしかない。貴重な記録、証言、ブックレット。読むことしかできない自分が虚しい。
Posted by ブクログ
パレスチナは第3次中東戦争から57年、イスラエルに占領されている。また、ガザ地区は四方の壁に囲まれ、外やモノの往来を厳しく制限されており、次第に「天井のない監獄」と呼ばれるようになった。ハマスはイスラエルの植民地主義支配・占領と戦うために生まれた組織だったが、2023年にイスラエルの音楽祭で約360人を無差別に射殺というテロを起こした。イスラエルはハマスに報復し、ガザのインフラは崩壊、全人口の65〜70%がホームレスになり、住民たちは飢餓で苦しんでいる。ハマスのテロは法的・倫理的問題があり、占領に対する抵抗暴力ではなかった。故に、欧米諸国はテロが起きてすぐ被害者イスラエルを支持した。責任はハマスの最高指導者ハーニカにあるのは確かだ。イスラエル・ネタニヤフ首相が今後どうハマスに対応していくのかは予測できない。ハマスをパレスチナ分断のため利用したこともあるからだ。たとえ戦争が終結しても、ガザ地区の生活基盤の再建には2,30年はかかるとされる。占領の事実を黙殺してきた諸外国はこの現実を受け止めどう行動すべきか考えなければならない。