あらすじ
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「お線香なんて誰があげるか! キヨシローをどう生かしつづけるかしか考えてないんだ」(泉谷しげる)
「泉谷は云ったよ『だってオレ、RCと古井戸のファンだもん!』バカっぽいけど素敵だろ。ジジーふたりが時間も空間も超え語りあったのさ、君のことを」(加奈崎芳太郎)
1970年、渋谷のライヴハウス<青い森>。
弱冠19歳の清志郎、21歳の加奈崎芳太郎、そして彼らの音楽に惚れ込んでいた泉谷しげる22歳。
自分たちへの音楽への絶対的な自信、世の中に受け入れられない苛立ち、不器用ながら音楽を通して育まれた友情を、清志郎との数々のエピソードと共に泉谷しげると元古井戸の加奈崎が綴る!
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
泉谷さんも、加奈崎さんも、キヨシローが大好きで、いちばん近くでおなじ時間を過ごしてきたんだなぁと感慨深い気持ちになった。
男同士の、友情という単語では足らなすぎる、決して常にベッタリ一緒ではないのだけど、濃密な関係だったんだなって思った。チャボさんなら、どういう風に思い返して書くのかな、ちょっと見てみたくなった。
加奈崎さんの【栗原清志の肉体は滅びたのかもしれないけど、やっぱり忌野清志郎がなくなったとは認めるわけにはいかないし、終わらせるわけにはいかない。ずっと生かしつづけることが大事なんだ】という言葉に胸の奥がズンと熱くなった。
今宵はキヨシローの音楽を聴こうかな。
Posted by ブクログ
ジジイどもが語る青春。
キヨシローに捧ぐ。
どっかのヤマ師が泉谷だったなんて。
あきれて物も言えません。
表紙の写真も最高ですね。
泣きそうになりました。
Posted by ブクログ
泉谷は泉谷らしく、加奈崎さんは淡々と、当時のことを思い出して語ってくれました。ありがとうございました。
とくに加奈崎さんの古井戸解散らへんの話は、グッときました。
もっと、長生きしてほしかったなー。
Posted by ブクログ
「(死んだと)思いたくなければ死んだことを信じなければいいじゃないかとオレは思うのさ。愛してるんだったら、思い出話に花を咲かせようじゃないか。その何がいかんのだってね。だからこれからも忌野宣伝隊としては思い出話にどんどん花を咲かせようと思ってて…」(泉谷しげる)P217
***泉谷しげるの好きなキヨシローの歌
「ぼくの好きな先生」
「春が来たから」
「スローバラード」
「雨あがりの夜空に」
「パパの歌」
***加奈崎芳太郎の好きなキヨシローの歌
「2時35分」
「九月になったのに」
「イマジン」
「デイ・ドリーム・ビリーバー」
「炎のバーン・バーン」