あらすじ
ゲルツェン(1812-1870)は近代ロシア史上,最初の政治的亡命者であった.彼の言う革命思想とは,人間の尊厳と言論の自由を守る思想である.発祥から一九世紀半ばまでのロシアの歩みとともに革命思想の展開を描きながら,ロシアの宿痾たる農奴制と専制の非人間性を告発する.現代をも撃つ予見的洞察に満ちている.
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Posted by ブクログ
19世紀のロシアの思想家・ゲルツェンの著書で執筆年は1852年。
1848年のフランス二月革命で民衆が鎮圧されたことを受け、ロシアからの真の革命の可能性を、その歴史から語る。
本著での要点は以下の2つに挙げられる。
1)革命への希望は、ロシアの民衆、特に農村共同体の中に見られる。
2) 現在、スラブ主義のモスクワとヨーロッパ主義のペテルブルクに分裂した人々が手を差し伸べ合い、社会主義を目指すことが革命である。
また、ここに至るまでの歴史については、とても良くまとめられておりわかりやすい。
ロシアの歴史的転換点と、その影響は以下のとおり。
■タタールの軛(13~15世紀) ...モンゴルによる支配。結果として権力がキエフからモスクワに移り、そこにモンゴル勢を追い出すための中央集権体制が確立する。
■ピョートル大帝時代(18世紀初頭) ... 先進的なピョートル大帝は、ヨーロッパに倣ってサンクトぺテルブルクを建設するなど、西欧文明を積極的に取り入れた。結果、伝統的モスクワと先進的なペテルブルクという対比が生まれる。スウェーデンとの北方戦争(1700~1721年) に対応する目的もあった。
■対ナポレオン戦争(19世紀初頭) ... 「伝統的」モスクワがナポレオンの侵攻に勝利。その意義から「祖国戦争」と呼ばれる。貴族と民衆がともに戦うことで共通の愛国心を見出した、という意義を持つ。
以上、簡単な要点のメモとして。
スラブ主義とヨーロッパ主義をアウフヘーベンして社会主義、というゲルツェンの主張は、19世紀のロシア思想の発展としてとても分かりやすい。
蛇足だが、20世紀に現れてくる「社会主義」は「国家社会主義」、つまり国家と社会のために国民を結束させる、というシステムなので、ゲルツェンが想定している社会主義とは別物である。
ゲルツェンが批判の対象としているのは、抑圧的なロシア政府と、無関心で自由を求めない民衆双方である。
理念がなくご都合主義に流れるという傾向は、ドストエフスキーも『地下室の記録』で痛烈に指摘しており、当時社会に共通する危機感であったことがうかがえた。
主題とは外れるが、そのようなロシアの特性を踏まえて個人的に新しい気付きがあったのは、ウクライナの印象である。
ゲルツェンはウクライナ=小ロシアについて、
「地域の色合いはわが国(ロシア)よりは遥かにくっきりとしている。」
「小ロシアではどんな小さな村にもそれぞれの伝承があるのに対して、わが国の民衆は歴史を知らない。」(p.177)
と語っている。
要するに、良くも悪くも文明化され都会化されたロシア=大ロシアに対して、素朴で田舎のウクライナ=小ロシアと言えるだろう。
このことについて思い出されたのは、映画監督のアンドレイ・タルコフスキーに多大な影響を与えた父であり詩人のアルセニエ・タルコフスキーが、実はロシアではなくウクライナの詩人、ということである。
タルコフスキーと言えば60~80年代を代表するソ連の映画監督であり、ロシア映画大学の卒業生であるが、彼の映画が見せる素朴な痛みや人間に対する愛情深さ、ソ連中央政府への反発の中には、ゲルツェンが感じ取ったウクライナの血が流れているのかもしれない。
そういう視点で見たときに、歴史はおろか現在にも至るロシアとウクライナの反目について、
ゲルツェンが指摘するモスクワ政府の抑圧やそれに睥睨するロシアの民衆に対して、より素朴な民衆の生活感覚を持ったウクライナ、という根本的な対立の構図もあるのかもしれない。
国際社会の立ち位置は勿論、行政や宗教、言語の影響もあるロシアーウクライナ関係であるが、そこに新たな視点のヒントを得た気がした。
正教の隠忍自重の教えなど、書きたい感想はまだ山とあるが、長くなったのでこのあたりで。
Posted by ブクログ
ロシア文学を読もうと思う→ロシアの精神性について知りたい→井筒俊彦「ロシア的人間」で本書の時代が下敷きとなっている→これ読む
なかなか頭に入らずだがいつか折に触れて読み返したいと思えるくらい網羅的
Posted by ブクログ
ニコライ一世治下の強権的な専制政治を逃れて、ロシアから亡命することを選んだゲルツェン。本書では現在(=執筆当時の1850年ころ)のロシアが批判的に描かれるが、自らの祖国、ロシアが現在のような状況にあるのはどうしてなのか、その政治、思想、文化等の歴史を辿りながら考えていく。
大きなメルクマールとして著者がとらえているのは、著者が「帝冠を戴いた革命家」と呼ぶピョートル一世。そして、1825年12月14日(ロシア暦)のデカブリストの反乱。ナポレオン戦争を通して、貴族知識人は共に戦った強い愛国心と道徳心に富んだ「ロシアの民衆」を発見した、それが社会思想の変化を産み、遂には乱に発展する。しかし鎮圧後、厳格な警察体制が敷かれ、厳しい検閲により自由な思想、文学の発表は許されなくなる。
そのような厳しい中でも、著者は「革命」ーそれは人間の尊厳と個人が自由であることーの実現を信じ、祖国ロシアやヨーロッパの人々との連帯を願う。
<本書で印象に残った箇所>
・タタールの軛から脱却するためには中央集権化が必要であったことは認めつつも、モスクワの絶対主義が唯一の手立てだったとは考えない。
・農奴制がいかにして生まれたか(62頁以下)
・プーシキンがロシア文学に占める位置の大きさ
・デカブリストの反乱鎮圧後のニコライ一世治下rの受難の数々
・スラブ主義と西欧主義の対立(「第6章 モスクワの汎スラブ主義とロシアのヨーロッパ主義」)
・農村共同体(「付論 ロシアの農村共同体について」)
本書からは、著者がどのようにして「革命=社会主義」を実現しようとしていたのかを直接窺い知ることはできないが、人間の尊厳ということを何よりも重要視していたことを強く感じ取ることができた。
しかし、ボリシェビキによる共産党体制、そして現在のプーチン政権というロシアの歴史を見ていると、
ゲルツェンの期待が叶ったとは言い難いが、権威主義的な統治体制以外が実現するためには何が必要なのだろうか?