あらすじ
人間の行動や思考の多くは無意識的なものである。そのメカニズムを解明しようとする研究も少なくないが、そもそも無意識は私たちの生にとってどんな意味を持つのか、その本質を探究する。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
以前運動会の親競走に出たことがある
子供目線から言わせてもらえばほぼ余興の位置付けだろう、少なくとも僕は少年時代にそう思っていた。僕の父は駅伝に参加するほどそこそこ走るのが速かったし、特に見る側の言い分だと先頭の方で「まあまあ」戦ってくれるので負の感情を持ったことはない
さて、僕はそんな父より才能に恵まれ(何故なら努力をさほどしてこなかった)足が速かったのだ。知らない学校の知らない奴に挨拶されるほど知られていた頃があった
のだが、そこから倍の年数が経過した年齢の話になる。普通の成人は走ることがないのである。
しかし僕は未だに週1回ではあるが朝5時から6時の1時間、体力維持の名目で走っている。それでも現役時のタイムなぞ到底及ばず年々足の回転の運び、駆動のかかり、呼吸の余裕など低下してきているのがわかる。
それでも、負けないだろ。と思うのだ。そのへんのやつには。
当時まだ擦れていなかった娘にも1位でしょと期待(だよな…?)を掛けられていたし、僕も体力系の仕事の人と当たらなければ正直負けないと思った
当日、何と5組も父親が走らされると知った
なんでやねん 余興じゃないのか
僕の前の組に消防隊員の方がおり、一緒なら確実に負けていたであろう走りだった。しかし僕の組
どうにも、弱そうなのだ。
しかし娘は友達と横並びで手を振るわ、妻は輝かしい笑みで楽しそうにしている
完膚なきに叩きのめしたくなってきた
正直小学校のグラウンドなんて「滑る」地質でどこまでやれるかわからないが、今の全力はどの程度なのか自分でもやってみたくなり そりゃあまあ全力で走った。というかクラウチングした 僕一人だけである
わかっていたことだがスタートからゴールまでの間一度たりとも他人の背中を見ることはなかった
だがしかし、現役時の速度は感覚で覚えており自分の中では悲しさのようなものも感じたが圧倒したはずだ
しかし、耳に届いたのは爆笑の嵐だった
僕は振り向いて愕然とした
他のお父さん、全員転んでいたのである
そんな中僕は1人独走、これ以上の言葉があるものか。独走である
どう映ったのだろうか。滑稽な独走なんて世の中にあっていいのか。
いやわかる、普段走ってないと走っていた頃の回転が出来ると思って体が前のめりになるが足が回らず転ぶのだ。しかし、しかし、全員なのか
お陰でただ全力で走るアホみたいになってしまった
競走していないのだ。爆笑珍映像みたいな番組で投稿されないことを毎年祈っている
この本の結論として無意識は信頼できる人に指摘されることでマイナスなく意識することが出来、それは正確に知るよりも重要とある
認めたくないものである。歳故の過ちは
無意識という言葉が随分とマイナスに、特に人格形成に扱われているのがやや気になったが、確かに僕は毎年この時期、運動会シーズンになると映像が出て来ないか怯えている
3章と4章を読んでいる時にこの話を鮮明に思い出し、むず痒くなりながら読み終えた 助けてフロイト