あらすじ
布施や戒名への違和感の正体
葬式仏教とは、葬送が活動の中心となっている日本特有の仏教だ。 なぜ日本人は「教え」に興味がないのに、仏教で葬儀を行うのか。
日本人の死者を想う気持ちと、すれ違うお寺の関係をひもとく。
お布施・戒名・檀家など制度や金額に釈然としない人たちが急増し、仏教離れが止まらない現代に“葬式仏教の光と影”をあぶりだす!
寺院運営の著名コンサルが説く
死者をめぐる[信仰]と[現実]
供養したいという素朴で純粋な日本人の想いを、思想的な仏教が抑圧。
日本の仏教を衰退させている要因は、お寺と檀家との感覚的なズレ。
日本人の供養文化のすばらしさを再認識し、問題点に一石を投じた一冊!
●人は死んだらどこへ行くのか?
●日本人は葬儀に何を求めているのか?
●どうしてお墓に手を合わせるのか?
●なぜお布施への違和感がなくならないのか? など
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Posted by ブクログ
思ってた以上に、全然よかったわ。
正直、葬式仏教という言葉を蔑んでいたのだが。
「葬式仏教」は日本独特の新しい宗教なのだ。
本来、人の死は穢れであって、神道、仏教の宗教はそれに関わるべきではなかったようなのである。それが、そも、人を救うにはどうしたらいいのかという、一部の、多分一部の、素朴な宗教家が、人の死を、放っておけなかったことから始まったのではないか。
日本人の宗教観は、死者を、先祖を弔うこと。
死者を供養し、死者に見守ってもらうこと。
それは全く仏教とは関係なく、仏教では一言も言うとらんこと。
日本人が仏教を取り込んだのではなく、日本の宗教観に寄り添うことで、仏教が日本人を取り込んだものが「葬式仏教」。
いや、目鱗。
肌感覚的にもその通りだと思う。
のに何が胡散臭いって、その「宗教家」が胡散臭いのだよ。葬式仏教は「本来の」仏教ではないと言いつつきっちりそこから収益を上げ。
その収益という言葉すら、お布施という言葉で、要求するのでなく、主体的施してもらうものだという綺麗事で世俗を包み込んで、税金も払わず、値付けに責任も持たず、たまの宗教行事につけ込んで強請られてるクソみたいにしか思えないからではないのか。
きっちり事業として収益にしてるのに、定価も示さない。何の対価かも提示しない。
お気持ちと言いながら、そのお気持ちが想定以下だと、この田舎者が的に扱う傲慢さ。
坊主丸ハゲ丸儲けのくせに、それを認めない。
宗教活動だというなら、世俗の生活捨てなよ。
そうじゃないなら、宗教事業だと認めなよ。
信心が足りないからわからないんだというなら、その信心を失わせているのは、一義に、宗教界の傲慢さにある。
信心が進んで、全てを寄進したとして、今度は、親族からカルトだ詐欺だと訴えられる現実がある。
大差ない。
問題は、葬式仏教ではなく、葬式坊主だな。