あらすじ
「目覚め」への入り口は、誰もがいつでもアクセスできる「今この瞬間」だった。
マインドを静め、エゴを超えて、プレゼンス(今この瞬間に在る意識)へと至るロードマップ!
2010年刊行の人気書籍が新訳で登場!
オーストラリア出身、アメリカ在住の覚者による、「今この瞬間」「目覚め」「悟り」へのガイダンス。
著者の「目覚め」の体験や「目覚め」のためのさまざまな事例を紹介しています!
■目覚めの二段階(ツーステップ)で、目覚め(覚醒)が定着します■
第一のステップ:プレゼンスへの導き
「今ここに実際に在るものがあなたを今この瞬間に運ぶ」ということを、ふと思い出すこと。
第二のステップ:プレゼンスの根付き
無意識のうちに過去と未来のマインドの世界に引き戻され続けるなら、あなたは自由ではなく、目覚めてはいません。完全に目覚めるためには、プレゼンスに根付くことを習得する必要があります。
■「新訳版によせて」■
「『JOURNEY INTO NOW』の日本での出版以来、もう十年以上が経過しました。
この新訳版は、初版の内容をすべて含んでいます。わたしの導きとなる覚醒のより繊細な側面をさらによりよく伝えるために、英語から日本語への翻訳を改善することができると感じ、実現したものです。
レナード・ジェイコブソン
「マインドの中にいるとき、わたしたちは分離した世界に存在しています。この瞬間に在ると、分離した世界を離れ、ひとつの世界に入ります。」
「生は今この瞬間にあり、今この瞬間以外に生はない。これが真実です。今この瞬間以外にあなたは存在しておらず、また、存在することもできません。人が思考するマインドの世界は幻想なのです。ところがほとんどの人はまだその世界が現実であると信じています。わたしたちは眠り込んでいるので、その人生は夢のようなものなのです。わたしたちはその夢から目覚めなければならないのです。」
「マインドの世界という檻からあなた自身が解放されれば、あなたは完全に生の真実であるここに在り、ここが地上の天国であることを発見するでしょう。そのときあなたの苦しみは終わり、あなたはここに在ることに深く感謝するでしょう」
「無条件の愛と受容を得る唯一の方法は、内面に向かうことです。あなたが真に満たされ癒される唯一の関係は、時間の世界に生きるエゴと、完全にこの瞬間に在る時にだけ現れる目覚めているプレゼンスの存在との内面の関係です。この内面の関係においては、批判というものは完全にありません。」
(以上、本文より)
【目次】
第1章 目覚めへの招待
第2章 目覚めの二段階(ツーステップ)
第3章 第二のステップ
第4章 マインドの性質
第5章 エゴ
第6章 感情
第7章 魂の旅
第8章 魂の学び
第9章 神と永遠なる存在の次元
第10章 時間の世界で生きる
第11章 人生の一部としての死
第12章 目覚めに関心がある読者のために…
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Posted by ブクログ
この本は、日本の出版界に爆弾をもたらしました。
日本の読書界において、これほどの恐怖はありません。
「MIND」という英語は、「心」という意味では無かったという驚愕の事実です。
根深い問題ですよこれは・・・。
この本は2人の訳者による共同訳になっており、その2人ともが著者のレナード氏と親交があります。
そのうちの一人であるアントニー氏は英語が母語の生まれです。
そのアントニー氏のあとがきにて、こう書いてありました。
「日本ではMINDが心に訳されるのが定着しているが、英語が母語の自分にとっては違和感がある。MINDは頭の中のことである」
日本の出版業界がひっくり返る事態です。
思わず自分の持っている翻訳された書籍を洗いざらい読み直してみました。
絶望しかありません。
多くの翻訳書籍が「MIND」を「心(たまに精神)」として訳していることが分かりました。
だから「心」「精神」と記載されている箇所を「頭脳」もしくは「頭」と置き換えて読んでみると、すべてのつじつまが合う・・・・。
翻訳された多くのスピリチュアル本において不可解だった「ハートと心」という珍妙な言い回しの謎も解けてしまう。
本来は「ハートとマインド」もしくは「心と頭脳」という表現だったわけです。
これなら対比の意味が分かります。
「ハートと心」だと対比の意味が分からない。
たとえば「脳を変える心」(シャロン・ベグリー著)という邦訳本がありますが、案の定「Train your Mind, Change your Brain」という原題なんですね。
本書の内容は「脳の作用それ自体が脳そのものを変えていく」というテーマの本です。
ところが、邦訳タイトルだと「心」が「脳」を変えるということになっています。
脳の外からのアプローチになってますね。まるで「心」を主題とした本に思えます。
でも本書を読んでみると、「脳の中から脳自身に脳を変えさせる」ということになっている。
Mindを心と訳す悪習のせいで、技法が日本人に正しく伝わらない。
これはゆゆしき事態です。
「Mindをリラックスさせる」「Mindに集中する」と英語圏の人が言ってるときに英語圏の人は頭の中に意識を持って行くが、
それ日本に来ると「心をリラックスさせて」「心に集中する」という言い回しに替わり、日本人は胸の辺りに意識を持って行くことになる。
日本語で生まれ育った日本人の99.9%は、「心に意識を集中させてください」と言われると「胸の辺り」に意識が行くのは火を見るより明らか。
日本人だけMindのくだりを「心」と読み違えるせいで、まったく違った方向へ進んでしまう。
日本人だけ、頭を力ませて頭に気が上ったまま、胸の辺りを必死にコントロールしようと試みてしまうことでしょう。
日本人だけ「マインドフルネス」ができないという笑えない事態が起こる。
英語圏の人たちが瞑想から着想を得て作った「マインドフルネス」は、頭の中からアプローチするものであり、まずは自分の頭の中と向き合うことを要求される。
たとえば、恐怖を司る偏桃体は脳にありますね。
恐怖の発生源が偏桃体であるのは医学的な常識であり、動物実験でも確かめられています。
恐怖の源泉と対峙しようと思えば、脳に集中するしかない。
心をいくら探っても、恐怖の源泉は無い。恐怖が発生したあとにストレスがかかるのが心だからです。
Mindを心と訳してしまえば、日本人はみな「心」からアプローチしようとする。なにせ「心」と書いてあるんですからしょうがないですね。
でも、そのメソッドは決して成功しない。
「頭の中」に意識を持って行かせたい原著の意図は、日本人だけには伝わらないのが現状です。
面白いことに、洋書で「MIND」の単語が入ってるタイトルの本を見ると、たいてい表紙に「脳」か「頭」のイラストが出ている。
日本人翻訳者は、なぜそれにも関わらず「MIND」と「心」と訳し続けるのか・・。
wikiでMINDの英語解説を読むと、「MINDは、思索、感じ、知覚、イメージ、意志などの現象を内包する」と書いてあり、そして頭のイラストまで付いてる。
もはや「MIND=頭の中のこと」で間違いない。