あらすじ
第二次世界大戦後、ナチ・ドイツから解放されたフランスの思想界には、時代を牽引する書き手が台頭した。サルトルを筆頭にカミュやボーヴォワール、メルロ=ポンティ、バタイユらが次々と作品を世に問い、論戦も繰り広げた。本書は、哲学と文学を架橋して展開された彼らの創作活動に着目。実存主義が世を席巻し、知識人や芸術家の政治的社会参加(アンガジュマン)が唱えられた時代の知的潮流は、何をもたらしたのか。その内実を描き出す。
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Posted by ブクログ
読んでいて、各所で熱い気持ちが湧き上がった。
傍線と書き込みの量も多かった。
やはり、わたしは哲学が好きだし、特に、戦後フランス思想」≒「実存主義」が好きなのだな、と認識を新たにした。
カミュ『異邦人』は、わたしの生き方の指針といえる小説であり、サルトル『嘔吐』のマロニエの樹の根のシーンは、写真芸術の本質を突いていると思い、わたしは感銘を受けたのだ。
※※※
この世の真相は虚無であると覚ったうえで、そこから、どう生きるか?と考えはじめる。
実存主義の根幹とは、このようなものであろう。
さて、そこで疑問になるのが、虚無を覚ったうえで、本当は虚妄でしかない現実社会に、あらためて向き合う、その動機付けである。
この動機には、理論や理屈は存在していないと思われる。
ここで、そのまま悲観主義者になっても良いのだ。
例えば、シオランは、虚妄である現実社会に対し、悲観主義者の立場を取ったのだ。
虚無への対応の違い。
これは、何に起因するのか?
生まれ持ち、成育により培われた「性格」に起因するのだとすれば、そこには、やはり何の論拠もない。
普遍性はない。ただの偶然である。
とすれば、そこにも再び、虚無を感じざるを得ない。
この議題、特に「政治的社会参加(アンガジュマン)」に向かう「チカラ」がみなぎる、その動機とは何か?については、今後もわたしの思索対象として、大きな疑問となるだろう。
※※※
上記の議題とも重なるが、「人間が思索をする時には、時代背景の影響を必ず受ける」という認識は、本書でも強調されている重要な観点であり、大きな学びであった。
圧倒的な思考力を持っていた偉大な哲学者たちでさえ、時代背景と関係なく、自由に思考していたわけではないのだ。
「戦後フランス思想」≒「実存主義」を考える時に、第二次世界大戦の惨禍と、その後の、核戦争の危機が迫る東西冷戦構造は、当時の思想家たちの思索の背景として、必ず頭に置いておかなければならない。