あらすじ
夜中にふと目が覚めた。そんなことはこの夜に限ったことではない。若いころなら枕に頭をつけた途端に寝入って朝まで目覚めないのが当り前のことだった。今はそうはいかない。何度寝返りを打っても廊れないときは眠れない。そういう日は手洗いに行き、睡眠薬を服用してから寝床に戻る。そうして何とか朝方まで寝入る。目覚めた時間が六時、七時だと起きてしまう日もあれば、それから九時、十時までぐっすり睡る日もある。
今夜は私一人である。隣りで寝息をたてたり寝返りを打つ音がまるで聞こえてこない。私は臆病だから私を取り巻く静寂な闇が、私を抑えつけて胸を圧し潰したりしないか、とビクビクしている。
でもその夜は一人きりのわりには、不思議なほどこわくなかった。もう老人だものなぁ。私がお化けになって人に恐がられる日も間近いのかもしれない。そんなことを考えた。
夫は今朝入院して、今はいないのである。……
夫が救急車で入院するのもおそらく珍しいことではなくなって、その回数も増えていくであろう。私がその都度うろたえないように、あわてないように、と神様が私に練習の機会を今日は与えて下さったのであろうか。
八十七歳と八十二歳の夫婦には、やがては無に帰する日が来るのであるが、その日が来るまで長く生きていくのは、それほど容易なことではない。試練はまだこれからか。とにかく年を取るということは、避けることができないだけに、大変な大仕事なのである。
年を重ねると同じものが別のように見え、かぎりなく愛しくなってくる。一族の歴史、近所のよしなしごと、仲間たち、そして夫との別れ。漱石の孫である著者によるエッセイ集。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
いつもどおりの辛口エッセイで、安心する。なかでも辛口が冴えているのは、漱石のドラマをめぐるNHKについての2つのエッセイ。あとがきには、本書が「毎度おなじみちり紙交換のようなもの」とある。自分にも辛口だ。
もちろん、烏合のカラスや家の解体工事見物、雨宮塔子さんや竹下景子さん一家が登場する日常のエッセイもある。でも、今回目立つのは、ご近所や知り合いで亡くなる人をめぐるエピソード。そして最後は、夫 半藤一利氏のことを綴ったエッセイ。これが本書のハイライトだろう。
本書を読んでいた時ちょうど、和服姿の半藤末利子さんが「徹子の部屋」に出ていた。祖父の漱石に始まり、最後は一利氏のことを話していた。一利氏とは、戦後すぐの時期に疎開先の長岡で出会った。末利子さん12歳、一利氏17歳。その6年後、ふたりは東京で再会する。一利氏いわく、「サナギがチョウに変わっていた」。なんという殺し文句。その数年後、一利氏は末利子さんにプロポーズした。