あらすじ
「“悪”という言葉の裏側には、だれきった日常性を破壊するデモーニッシュな力が潜んでいた」(「あとがき」より)。都市の盛り場は、遊女や役者など賤視された「制外者」たちの呪力が宿る場所だった。なぜ、ひとは「悪所」に惹かれるのか。芸能を業とする人びとは、どのように暮らし、どんな芸を生み出したのか。「遊」「色」「悪」の視座から日本文化の深層をさぐる。
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Posted by ブクログ
原著2006(平成18)年刊。
永井荷風の東京・吉原等における遊郭を舞台とした作品になじみ始め、明治期末から昭和初期にかけてのその辺の世相に興味を持つようになったので、幾らか歴史学ないし民俗学的な知識も補強しておこうと考えて本書を買った。
冒頭の方は著者自身の体験を回想するようなエッセイ調になっており、おや、と思ったが、途中からはちゃんと学問的になる。
本書ではおおまかに中世日本においては「性」にまつわる職業がさほど蔑視されるわけでもなく、あるいは逆に呪術的な象徴的存在として神話的価値体系の中で重んじられていたことを示す。それがいつしか近世にかけて蔑視され、その界隈は歌舞伎役者と共に「悪所」のラベルを貼られるようになる。
演劇に関していうと、「能」は元来宮廷の高雅なものとして江戸幕府においても保護されるが、庶民どものあいだに台頭した歌舞伎などは逆に低級なものと見なされる。
日本演劇の総体的歴史については何も知らないので、そのような両極化が怒った事情はよくわからない。ともかく、演劇の役者と、程度の差こそあれいわゆる「遊女」とのテリトリーとがひとつのイメージに包含され「悪所」と定義されたようである。
本書において不満なのは、『「悪所」の民俗誌』と言いながら、その「悪所」における実際の光景の事例が具体的には全然記述されていないことだ。結局、「悪所」の民俗誌に関して具体的に把握するには永井荷風などの文学書に当たるにしくはない、ということになる。
そんな不満を持ちながら読み終え、巻末を見ると、どうやらこれは当初「新書」として刊行されたようだと知る。
浅くおぼろげに語って決して深くまでは至らず、短時間で読めても全然記憶に残らない書物、それが新書だ。もう少し具体的な「民俗誌」が知りたかったのに、その点はやはり荷風でも読んだ方がマシなのだ。