あらすじ
性暴力とは、同意のない中で行われる性的言動すべてのこと。
その被害者は女性であることがこの社会では自明とされてきたが、しかし、現実には性暴力被害は男性にも起こりうる。
なぜ彼らの被害は今まで見えなくされ、いかに「なかったこと」にされてきたのか?
その背景には、社会的に構築された「男らしさ」の呪縛があるのではないか?
今ようやく様々な事件が報道されるようになり、事態の深刻さが認識されつつある中、本書は男性の性暴力被害の実態、その心身へ及ぼす影響、不可視化の構造、被害からの回復と支援の在り方まで等を明らかにする。
◆目次◆
第1章 「男性の」と言わないと見えない性暴力被害とは何か
第2章 被害後の影響――心と身体
第3章 性暴力と「男性被害」――歴史と構造
第4章 生き延びる過程――回復と支援
第5章 個別的な苦しみと社会をつなげる
全国のワンストップ支援センター紹介
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Posted by ブクログ
ひととおり読んだんだけど、自分のなかにまだ偏見があることが自覚できる。頭の一方では、男性が性暴力に遭うことがありそれが心身に傷を残すことも理解できるんだけど、もう一方で、とはいえ女性が性暴力に遭うのに比べれば……と思ってしまう。
読みながら思ったのは、男の性って自由奔放でいられるようでいてないがしろにされているなということ。それは性暴力に遭ったときにないがしろにされるというだけでなく、たとえば第二次性徴期を迎えるときの準備教育であったり巷の態度であったり、異性とかと性交渉するにあたっての準備教育に関してもそうだろう。十分な知識が与えられなかったり、大切にされたり守られていることが伝わっていないと、それにまつわることに関しては自分のことも他人のことも大切にできない。
男性が性暴力に遭ったときにありがちなのが、「男なのに性暴力に遭ってしまった」とかその際に勃起や射精したことで被害を被害と認識できない、認識しようとしないところにある。自分のなかで何とか理屈をつけて(合理化)消化・昇華しようとしたりもするが、それはなかなか簡単なことではない。自分に起きた衝撃的な出来事を定義づけることができないから苦しいのだといったように書中では述べられているが、腑に落ちる感じがした。
嫌な出来事だったとしても因果がわかったり自分の被害が認識できれば次へ進める。でもそれができなければ苦しいまま。そこに男性の性被害の場合は、男なのに性暴力に遭うとうことがあり得ないがために邪魔をしてしまう。男性が弱音や被害を表出できるようであるべき。たとえば、日本では「男は泣くな」みたいなことを言われがちだけど、韓国の男性なんかよく泣く姿を見せるよね。ことほどさように文化が違えば異なるくらいのものなんだから、男たちも自分たちで自分たちに枷をはずすような動きをしないとね。
Posted by ブクログ
男らしさという言葉が悪い意味で作用している。
男性から男性への性暴力は刑務所が連想されるが家庭内などから発生となると地獄としか言いようがない。
歴史の本にある稚児とかも恐らくはその様な対象で多分昔からあったけど顕在化していなかったものと見られる。
個人的な事であるが昔全寮制の学校にいた頃、喧嘩に負けた奴が勝った奴のを口淫させられる(目をつけられた人)という絵図を見たが、あれがまさに本書の内容にあたると回想させられた。