【感想・ネタバレ】海の翼 トルコ軍艦エルトゥールル号救難秘録のレビュー

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Posted by ブクログ

ネタバレ

  明治時代に日本人が、難破したトルコの船乗りたちを助け、トルコに送り届けたことは、テレビや絵本で知っていた。けどそれがトルコの教科書に載っていて、しかも日本人に恩返しをするように教えられていたとは全く知らなかった。イランイラク戦争で、イランに住んでいた日本人を助けるためにトルコの航空機が飛び、トルコ人より優先して日本人を助けてくれたことは、知らなかった。ニュースをさらっと流してしまったのかもしない。
中国の反日運動とトルコの教育をくらべてみると、子どものころからの教育がのちのちの人の考え方に大きく影響することがよくわかる。日本もしっかりと、教えるべきことを教えないといけない。外国との関係とか知らな過ぎると思う。

 日本の自衛隊や航空機が飛ばないと分かったときの日本人の絶望。日航で組合委員長として飛行機を飛ばすことを反対したのは、山崎豊子の「沈まぬ太陽」で主人公の恩地さんだと思う。組合というものも考えさせられた。
 

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2012年09月19日

Posted by ブクログ

ネタバレ

前々回は「翼をください」でしたが、今回は「海の翼」です。前々回と同様、実話をもとにした物語で、日本とトルコの話。イラン・イラク戦争の際、イランに取り残された日本人を、トルコ航空の飛行機が
救出したという話と、100年前にトルコの船が紀州大島で難破した際、島民総出で乗組員を救出した話。
両方とも知ってはいましたが、改めて物語として読んでみると、なかなか涙腺の緩む話でした。

なお、偶然にも昨日「トリハダスクープ」とかいう番組でも同じ話の再現ドラマをやっておりました。役者がイマイチだったので、こちらは感動できませんでしたが、いずれにせよトルコとの絆を感じさせる史実でした。以下「ネタバレ」の内容ですが記録しておきたいと思います。

・イラン・イラク戦争。当初、局地戦での小さな諍いでしたが、突然イラク側が戦線を拡大。イランの首都テヘランにスカッドミサイルを撃ち込み、両国間の全面戦争に発展。

・当時テヘランには400名近くの日本人が住んでいたが、戦線の拡大により、大使館より緊急帰国命令が下る。

・しかし、日本人は簡単にイランを脱出できなかった。当時JALはテヘランへの直行便を持っておらず、従って日本人は他の国の飛行機で脱出しなければならなかったが、どこの国も同じ緊急帰国命令が出されていて、飛行機のチケットが手に入らない。手に入っても、緊急時には自国の国民が優先されるため、日本人は搭乗を拒否されるという事態に。

・自衛隊は当時海外で活動することはできず、イラン上空を飛ぶ飛行機は、全て打ち落とすというフセイン大統領の宣言によって、JALも「安全が確保できなければ」飛べない。

・大使館はあらゆる国の大使館と交渉したが、相手にされず、唯一救援の飛行機を出しましょうと言ってくれたのがトルコ。「エルトゥールル号の恩返しです」と。

・「エルトゥールル号」とは、明治23年、和歌山県串本町にある紀伊大島で座礁し、転覆したトルコの船。転覆した際投げ出された乗組員を、島の住民が命がけで救助し、また、殆ど食料備蓄のない中、ありったけの食料を与えて、600名の乗組員のうち、60名を助けたとのこと。

・助けられた60名は、日本初の軍艦でトルコまで送り届けられて無事に帰国。以来、この事故の顛末はトルコの小学校教科書によって伝えられ、いつか恩返しをしなければいけないとトルコ国民は教育されていて、「それが今です」。

・救援飛行機は2機、座席数は約400。その時残留している日本人は200名程度になっていたが、しかしトルコ人も500名ほど残留していた。つまりは席が足りず、常識的にはトルコ人が優先される。

・しかし、トルコ大使館は「日本人を先に」と指示し、「飛行機に乗れないトルコ人は車で脱出する」と。この決定に誰も文句は言わず、国民からも反対意見は出ず、日本人は無事脱出に成功した。

というのが話の粗筋であります。更には

・エルトゥール号の乗組員をトルコに送り届けた軍艦には、後に日露戦争で作戦参謀となり、「坂の上の雲」の主人公である秋山真之がいた。秋山はトルコもロシアの脅威に晒されていることをそこで知る。また、トルコ国王の願いで、一人トルコに残った日本人がいて、その日本人がロシア艦隊の動きを監視し、それを秋山に伝え(オリエント急行でパリまで走って電信したと)、その情報を知った秋山が、ロシア艦隊の動きを知ることができて、日本海海戦で勝利したと。

・そして日露戦争での日本の勝利は、ロシアの脅威に晒されていたトルコでも、「トルコは2度、日本に救われた」と熱狂的に歓迎された。

といった話とか

・イランから脱出したトルコ航空の飛行機は、トルコとイランの国境にまたがるアララト山を越えてトルコ領に入ったのですが、そのアララト山は「ノアの箱舟」伝説がある地で、しかもアララト山の形は、全く富士山と同じ。日本とトルコは、同じ聖なる山を持つ国民だとも。実際ネットで見たら、本当に富士山そっくりでした。

その他、トルコ大地震の際には、日本から「イランの時の恩返し」として大量の救援物資や仮設住宅が提供されたとか、「トリハダスクープ」では、東日本大震災の際には、トルコから多くの救助隊が駆けつけた、といった話が紹介されていました。

トルコはイスラム教の国のひとつで、今イスラムと言うのは非常にネガティブなイメージで捉えられていますが、もちろんあれはイスラムではありません。会社の卓球仲間には、それは気さくなトルコ人の友人もいます。トルコとは、「善には善で」恩返しをし合う、そんな当たり前の関係が、これからも続くことを願っております。この話は日本トルコの共同で映画にもなるようですが、ぜひお勧めの本です。

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2015年02月18日

Posted by ブクログ

ネタバレ

100年以上の長きにわたって、日本人に受けた恩を忘れず、代々にわたって語り継いできたトルコ人。
「いつか日本人に困ったことが起こったら、トルコ人は日本人を助けるんだ」って、親から子へ、子から孫へ、学校では先生からも、ずっと教えられてきた。
そして100年の時を越えて、イラン・イラク戦争の時、トルコ人が日本人215名を命懸けで救出した感動のドラマ。

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2012年07月06日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 トルコと日本の交流について。イランイラク戦争下において、邦人脱出についての顛末と、どうしてそうなったのかを紐解いていく。
 明治時代の日本がした事に、トルコがどんな気持ちで何を百余年も語り継いでいったのか。そして、それらは更にトルコ地震の際に日本とトルコを繋ぐ橋となる。

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2011年09月09日

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