あらすじ
ギリシャは世界初のSFが書かれた国でもある。そして「SFというジャンルは、長い歳月の果てにようやく発祥の地にもどって受け入れられた」(「はじめに」より)のだ。
隆起するギリシャSFの世界へようこそ。
あなたは生活のために水没した都市に潜り働くひとびとを見る(「ローズウィード」)。風光明媚な島を訪れれば観光客を人造人間たちが歓迎しているだろう(「われらが仕える者」)。ひと休みしたいときはアバコス社の製剤をどうぞ(「アバコス」)。高き山の上に登れば原因不明の病を解明しようと奮闘する研究者たちがいる(「いにしえの疾病」)。
輝きだした新たなる星たちがあなたの前に降臨する。
あなたは物語のなかに迷い込んだときに感じるはずだ――。
隆盛を見せるギリシャSFの第一歩を。
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Posted by ブクログ
クオリティーの高いアンソロジーだった。どの短編も面白かった。
『ローズウィード』は過度な温暖化により都市が水没した未来が描かれていた。風刺がきいていてこの先どうなるのかを長編で読みたいと思わされた。
『社会工学』は主人公のキャラクターが良い。たった一人で拡張現実を壊して見せたところが小気味よく、人間の考え出したシステムの脆弱性や人間の愚かさが可視化されたようだった。どれだけ誤魔化そうとも本当の現実からは逃れられないのだ。
『人間都市アテネ』は人本主義を悪用したような話で、最後に記憶を消される一文をサラッと入れているところが非常に良かった。どれだけ人々のためだと説こうとも、本音では管理対象なのだと読者に分からせる仕組みが秀逸。
『われらが仕える者』は人造人間目線で人間との交流を描いているところが切なく、だからこそ価値のある話だったと思う。人間の管理から逃れられない運命にありながら、命に換えてでも自分としての一歩を踏み出せたのは、友情で結ばれた人間がいたからだった。胸を締め付けられるが良い作品だった。
『アンドロイド娼婦は涙を流せない』は想像で補うしかない部分もあるが、ブリジットの魅力が私にも分かる気がして記憶に残る作品。
訳者あとがきによると、未来のアテネを想像しようという企画から生まれたアンソロジーとのことで、近未来のさまざまなギリシャの姿を楽しめたのがよかった。
Posted by ブクログ
11名の作家によるギリシャを舞台にしたSF短編小説アンソロジー。
めちゃめちゃ良い本だと思った。馴染みの無い地名や人名の感じに慣れるのに少し苦戦したが、そこを越えるととても豊かな物語が広がっていた。
ギリシャ、ひいては世界が抱える社会問題を含んだディストピアやポストアポカリプスな話がほとんどだが、そんな世界を絶望しながらも強かに生きていく登場人物たちに胸打たれる。作家ごとに異なるSF的要素も魅力だが、そこに乗ってくる様々な感情に揺さぶられる感じがした。
ギリシャは「SF発祥の地」と言える国だが、ジャンルが花開いたのは2000年代に入ってからだそう。そんな中で11名の作家陣が見つめた、ギリシャという国と描き出した未来の物語には、ギリシャ文芸の歴史と力がギュッと込められているのを感じた。
マイナージャンルで装丁も凝っているので文庫本として値段はまあまあ高いが、それを差し引いても一読の価値があると思う。
Posted by ブクログ
・フランチェスカ・T・バルビニ&フランチェスコ・ヴァルソ「ギリシャ SF傑作選 ノヴァ・ヘラス」(竹書房文庫)を読んだ。中村融による「訳者(代表)あとがき」 にかうある。「ギリシャSFと聞いて、驚かれた方も多いだろう。ギリシャにもSFがあったのか、と。じつは筆者もそのくちだった。」(267頁、「く ち」に傍点あり。)これがギリシャSFの状況を如実に表してゐるらしい。ほとんど誰もが知らないのである、ギリシャにもSFがあることを。本書自体が 英語からの重訳である。本書の序文「はじめに」にギリシャSFの歴史が書かれてゐるが、 これが日本語版のための書き下ろしであるらしい。これが英語版にも付されるやうになつたのは、英語版を読む人にとつても事情は同じだからであらう。知らないのである、ギリシャSF。実際問題、ギリシャで SFが盛んになるのは21世紀に入る頃かららしく、それ以前もごく散発的には書かれてゐたらしい。せいぜい20年くらゐの歴史しかないと言へさうである。ギリシャの国内事情があるにせよ、これは極めて珍しい事態である。言はばギリシャSF の出発点にほとんど世界中が立つてゐるのである。本書に表題作はない。「ノヴァ・ヘラス」は「はじめに」の最後で触れてあるのみ、ヴァッソ・フリスト ウ「ローズウィード」を巻頭に 計11編収録である。私の知る作家はもちろんゐない。すべて初めて読む作品と作家ばかりで ある。
・ディミトラ・ニコライドウ 「はじめに」にかうある。「『α2525』が書かれた時期の厳しい経済情勢とギリシャ の激動の歴史を考えれば、著者の大半がディストピア的未来を夢想し、過酷な時代の到来を描いたのは不思議なことではない。」(11頁)「訳者(代表)あとがき」には「ギリシャの現状が色濃く反映されている。その意味ではディストピア SF集といえる」(270頁) とある。つまり、本書は誰が読んでもユートピアは描かれてゐない。描かれるのはディストピ アである。それでも「作家たちが語りに工夫をこらしているの で、陰々滅々とした話がつづいても意外に飽きずに読める。」(同前)とある。これが救ひではあらう。イアニス・パパドプルス&スタマティス・スタマトプルス「蜜蜂の問題」は「生きている蜜蜂の存在する場所」(100頁)は博物館だけとな り、ドローンがその代はりとなつてゐる頃の物語、主人公はその壊れたドローンを買ひ集めて 修理してゐる。ある日、本物の蜜蜂が存在すると知り……当 然、主人公は蜜蜂を見つけようとする。さうして「火事だ!」 「アクラムとクリスティナは死んだ。」(114頁)目的達成である。問題はこの後、「今日の議題はまったくの別件です」「この子はアクラムの娘、アシルです」(116頁)主人公は己が罰を覚悟する……普通はさうなりさうなものである。ところがさうならない。ある種のブラックユーモアのやうにも思へるし、私達の普通の思考ができない時代だからかもしれないとも思ふ。しかし、これが「ディストピア的未来を夢想し」てゐるものなのであらう。先に出た ニコライドウ、その「いにしえの疾病」には「やまい」のルビ がつく。そのやまひは漏失症といふ。要するに年を取つて衰弱死する疾病である。70や80は短命、人は300年以上生きるらしい。「病み衰えていくのはごめんだ」と言ふ医師、場所は山の中、そんな時代とやまひに抵抗する人達がゐた。これはこれで桃源郷の物語かもしれない。短編だからか、それ以上にギリシャといふ国と時代だからか、「1984」とはずいぶん違ふ。「華氏451度」の焚書が好ましくさへ思はれる短編集、これがギリシャのSFかと思ふ。