あらすじ
広島・長崎と同様に語り継がれる蛮行の象徴
ドイツ東部の都市ドレスデンは「エルベ河畔のフィレンツェ」と呼ばれ、豊かな歴史と文化、自然に恵まれ、教会や古都の街並み、陶磁器や音楽で知られていた。しかし1945年2月13日~14日、軍事施設がないにもかかわらず、英米軍から三度も無差別爆撃され、焼夷弾の空襲火災によって灰燼に帰し、25000人の市民が殺害された。本書は、英国の歴史ノンフィクション作家が、市井の人々の体験と見聞をもとに、ドレスデンの壊滅と再生を物語る歴史書だ。
「ドレスデン爆撃」については、広島・長崎と同様に「戦争の悲劇」の象徴として長く語り継がれ、さまざまな研究がなされてきた。本書はそのような蓄積をもとに、個人と家族の物語に焦点を当てつつ、空襲以前から、三波にわたる空襲の恐怖と火災の脅威、戦後の混乱と東独時代、現在の復興までを詳細に叙述している。独英米の当事者の多様な証言、日記、手紙など新史料を駆使して肉声を再現し、都市の多難な歩みを克明に描いている。
「耳を傾けてもらえるのを待っている大勢の声がある。その多くが初めて聞かれるものである」。ウクライナが戦火に見舞われている今、本書には耳を傾けるべき声が満ちている。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
エルベ河畔の宝石箱と謳われたドレスデン。この本ではその古都への爆撃について詳しく語られます。
ドレスデンが爆撃されるまでの英米首脳部の葛藤、兵士たちの精神状況、そしてドレスデンに生きていた人たちの生活。そして爆撃が始まってからの地獄絵図・・・
これは恐るべき作品です。
正直、私は怖いです。歴史を学べば学ぶほど恐怖を感じています。この先、私たちの生きる世界がどうなるのか、改めてこの本を読んで恐れを感じたのでありました。
原爆や大空襲を経験した日本にとってもこの本で提起されている問題は重要な意味を持っているのではないでしょうか。
Posted by ブクログ
1945年2月13日から14日にかけて。
ドイツ東部の街に、爆撃機約800機が向かった。
その夜、3回に分けて行われた襲撃により、古都は壊滅的な被害を受けた。
ドレスデン爆撃。
犠牲者は2万5千人と推定されている。
ドレスデンは歴史ある美しい街で、18世紀の面影を残す建築物が多く並び、文化・芸術の中心地でもあった。
第二次世界大戦終盤、戦況はほぼ決しつつあり、果たしてこの美しい街、軍事的に重要な意味があるわけでもない街を爆撃することに意味があったのか。このあたりは当時から連合国側でも異論もあったようである。
が、いずれにしろ、ことは決まり、爆撃は行われた。
本書は、ドレスデン市立公文書館に保管された、多くの人々の日記・手紙・断章・証言をもとに、爆撃の一夜とその前後を描き出すものである。
医学者・ユダヤ人・学童・年長者、老若男女さまざまな人々が語るその一夜は、万華鏡のように、都市を襲った災厄の姿を立体的に立ち上がらせる。
災厄、いや地獄そのものの姿である。
地上で地獄を体験した人々に加え、攻撃した側、命令した側の視点があるのも本書の特長で、より多面的に捉えることができるようになっている。
一通りの爆撃ならば、防空壕で難を逃れることは可能だったろう。
しかし、この爆撃では、何度にも分け、大量の爆弾が投下され、地上では火災嵐が起こった。片付けのために地上に出た人は炎にまかれ、熱を逃れて水中にいてさえ焼け死んだ。大気中の酸素が減り、逃げることができずに倒れた人、壕の中で窒息した人も多い。
命拾いをしたが、火災のためか、大気中に漂っていた有毒物質のためか、失明してしまった人もいる。
1つ引っかかるのは、3度目の爆撃で、機銃掃射を受けたと証言している人々がいることだ。攻撃してくる兵士の顔まで見えたというのだが、研究者(本書の著者も)によれば、爆撃機が飛ぶ高度と速度を考えれば機銃掃射は現実的ではなく、兵士はガスマスクを着けていたはずなので、顔が見えることもありえない、というのだ。したがって、これは証言者の思い違いであろう、というのだが。
妄想でそうしたものが見えるのだろうか。
事実がどちらであったにせよ、どこかざらりとしたものが残るエピソードである。
当時、捕虜としてドレスデンにいたカート・ボネガット・ジュニアが、後年、この爆撃を題材に、『スローターハウス5』を書いている。彼ら、捕虜たちは爆撃後に生じた大量の遺体の処理にあたるのだ。そのままでは伝染病蔓延につながるからである。遺体の破片を集め、できる限りの身元調査をし、遺体を火葬する。大変な作業だった。
後のハリウッドスター、ジェームズ・ステュアートは、(ドレスデン爆撃に関与しているかどうかはわからないが)爆撃側にいた。多くの米兵同様、アメリカからイギリスへと渡り、フランスやドイツに任務飛行をした。彼自身は生き延びたが、多くの戦友がその間、死亡した。志願兵ではあったが、帰国後、実年齢よりも老熟した外観になったのは、おそらく、戦争のせいと思われる。
爆撃側も危険な任務であり、敵側に撃ち落される機、あるいは燃料不足などで帰還できず途中で墜落する機も多かった。
多くの人々の証言から、怖ろしい地獄が浮かびあがる。
一方で、ここに収録されているのが、「生き延びた人」の言葉であることにもふと思い当たる。さらに多くの人が言葉を残さぬまま、残せぬまま、命を落とした。
そのことに慄然とする。
ドレスデンは壊滅的に破壊された後、奇跡のような復興を遂げる。多くの建物が再建され、街はいま、昔を思わせる美しい姿を見せる。
だが、ところどころに、残骸が残る。
18世紀バロック様式の聖母教会もその1つである。美しく復元された教会には、粉々になった礎石が遺されている。
惨事の記憶を留めるように。