あらすじ
どうぞこの本を手に取って、クラシックの世界の中へと踏み込んでみてください。先は急がなくてもいいのです。ゆるゆると散策するつもりで。飛ばし読みでも大丈夫です。そして、気になる作曲家、作品、演奏家がいたら、聴いてみてください。そして、「あなたの美」を見つけてください。
クラシックは縦横の線だか表のようなものだと思ってください。縦線は作曲家や作品、横線は演奏家です。作曲家がいなければ、音楽は生まれません。しかし、演奏家がいなければ、現実の音として聞こえてきません。作曲家と演奏家の絡み合いにこそが、クラシックの楽しさであり、ややこしさであります。どちらに興味をひかれてもいいので、おもしろそうだと思ったら聴いてみる、ただそれだけを考えればいいのです。
(「はじめに」より)
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
クラシック音楽の初心者に向けて、疑問に感じがちな項目をやさしく解説した一冊。交響曲とは?絶対音感とは?など単なる教科書的な説明だけではなく、雑学的に楽しめました。知っておくべき作曲家や演奏家の解説もあるので、これからの鑑賞に役立てたいと思います。
Posted by ブクログ
クラシックに関する本は、「やさしい」や「初心者向け」を謳っていてもある程度知っている前提に立っているものが多いように思ったが、この本はわかりやすくて読み易かった。
作曲家等の解説と、交響曲等の概念の解説と全般的にあって「はじめて」というタイトルにふさわしくすぐに読み進められた。
同じ作者の方の別の本も読んでみたい。
Posted by ブクログ
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これ読んでヴィヴァルディの四季をちゃんとコンサートホールに聴きに行きたいと思った。
社会主義や共産主義は芸術が潰される。ハンガリーに数年共産党に支配された社会主義時代の建築が今も残ってて、オウム真理教のサティアンみたいな美的要素の無い殺風景で箱みたいな建築がある。
これカルメン=パパ活女子、ホセ=パパと考えると、現代にも息づく物語なんだね。古典文学の普遍性は半端ないね。
ヴィヴァルディ 四季
メンデルスゾーン フィンガルの洞窟
ブラームス
グフタスマーラー
スメタナ モルダウ
ムソルグスキー
セルゲイ・プロコフィエフ
ジョルジュビゼー カルメン
武満徹 弦楽のためのレクイエム
許光俊(きょ みつとし)
1965年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部美学美術史学科卒業。東京都立大学修士課程人文科学研究科修了。同博士課程中退。横浜国立大学教育人間科学部マルチメディア文化課程を経て現在、慶應義塾大学法学部教授。近代の、文芸を含む諸芸術と芸術批評を専門としている。 コロナ以前には頻繁にヨーロッパを訪れ、現地でのコンサート体験は数知れず。日本有数の海外コンサート通として知られる。『邪悪な文学誌 監禁・恐怖・エロスの遊戯』(青弓社 )、『オペラに連れてって! お気楽極楽オペラ入門』(青弓社、のちポプラ文庫)、『クラシック批評という運命』(青弓社)、『世界最高のクラシック、『世界最高のピアニスト』(ともに光文社新書)、『最高に贅沢なクラシック』『オペラ入門』(ともに講談社現代新書)、『昭和のドラマトゥルギー 戦後期昭和の時代精神』、『クラシック魔の遊戯あるいは標題音楽の現象学』(ともに講談社選書メチエ )など多数の著書がある。
はじめてのクラシック音楽 (講談社現代新書)
by 許光俊
コーヒーは苦い。赤ワインにも苦みがあります。要するに、大人の 嗜好品 はしばしば苦みを味わうものです。 若やいだ一直線の情熱や盛り上がり。それだけではクラシック音楽は成立しません。光と同じくらい闇がなければ、光の価値は薄れます。苦しみがあるから、喜びはいっそう晴れやかなものになります。抑圧があるから、解放感は気持ちがいいのです。
若いうちは、威勢のいい音楽にひかれます。私もそうでした。しかし、徐々にゆっくりした、しんみりした音楽のよさがわかってきます。聴きなおすと、新たな美を発見したりします。ですので、クラシックの作品は、そのとき聴いておもしろくないと思っても、またいつか聴きなおしてみてください。 手 練れの作曲家が渾身で書いた曲を、しろうとが一度や二度聴いたくらいで、完全に理解できるはずがありません。いや、プロだってわからないから、指揮者は八〇歳を超えてもベートーヴェンの楽譜を研究し続けているのです。何度も聴き返すうちに、気がつくとその曲が好きになっている、そんなこともよくあることです。
もしかしたら一生聴き続けてもピンとこない曲もあるかもしれませんが、それはそれで仕方ありません。特に嘆くこともありません。正直なところ、大作曲家としてこの本で紹介している作曲家のうちの何人かは、私にとっては苦手というか、価値を認めないわけではないけれど、あまり好きになれません。そういうものだと思います。好きでないものは堂々と好きでないと言えばいいのです。
クラシックという言葉は、英語の辞書を引いてみると、一流の作品、権威ある書物といった意味があります。 一流と見なされたり、権威を認められるためには時間が必要です。長い年月、多くの人々の厳しい目にさらされて生き残らないといけないのです。案外これはたいへんなことです。現代作家が書く小説のいったいいくつが一〇〇年後にも読まれるか。ノーベル文学賞を取ったのにほとんど忘れられてしまった作家は、世界中にたくさんいます。名画と呼ばれる映画にしたところで、制作から数十年たった今、若い世代のどれほどが見ていることでしょう。
つまり、古典的という言葉には、単に古いだけでなく、のちの時代にでも通用するような美や真実が表現されているという意味が含まれているのです。
バロック音楽がどういうものかと言えば、喜怒哀楽が明快で、メロディーがあって、伴奏がある音楽です。たとえば、ヴィヴァルディの『四季』のように、独奏ヴァイオリンが美しく歌い、ほかの楽器がそれと同じメロディーを弾いたり、低い音で支えたりするような音楽です。私たちがもっとも慣れている音楽の姿と言っても過言ではないでしょう。
さらには、社会主義国における自由な芸術活動への弾圧。世界的企業による(必ずしも意図的ではないかもしれないが、結果的には) 文化の均一化。その一方で、権威となった芸術家は文化産業の成功者となって、途方もない富を得るようになりました。
このような時代の変化を見ていると、おのずと第一次世界大戦が始まるあたりまでがクラシックの全盛期だったのではないかと想像できるでしょう。そして、それまでのいわば楽観的な芸術観の枠組みを踏み越えた作品がその後は作られたことも想像できるでしょう。ですが、楽観的な芸術観、というのはつまり、「芸術とは美しいものだ」ということですけれど、この外側に一歩を踏み出せば、それは時代のリアリティを表現するという点では間違っていないけれど、ごく普通のきれいな音楽を聴きたい人が求めるものとは違うものを作るということになるのは自明です。きれいでないもの、わけがわからないものを弾いたり聴こうとするのはよほどの変人です。ですので、ごく簡単にまとめると、普通のクラシック愛好家が聴く作品は、一九一〇年代までがほとんどです。それ以降のものもいくらかはありますが。
また、クラシックの世界にも流行がないわけではなく、数十年前にはたいして注目されなかった作曲家が、いや、あれは実はすごいんだと復活したりもします。極端な例はモーツァルトかもしれません。二〇世紀まんなかごろまで、モーツァルトは貴族のために耳当たりのよい音楽を書いたつまらぬ作曲家だと信じられていたのです。逆に、一時持ち上げられていたものの、一〇年、二〇年で飽きられてしまう作曲家もたくさんいました。
これは案外、大事な話です。誰かがものすごい小説を書いても、自分のノートに記しただけなら後世には伝わらず、そもそも存在自体がわかりません。しかし、印刷されれば、どこかに残っている可能性が高まります。作品が後世に伝わるためには、印刷というテクノロジー、出版という産業が必要だったのです。文学の世界では、『変身』で有名なフランツ・カフカという作家がそうでした。「自分が死んだら、すべての原稿は焼いてほしい」と友人に頼んだのに、友人は焼く代わりに出版し、おかげで私たちは名作を読めるのです。
昔の人々のみながみなクラシックを好んで聴いたかどうか。少なくとも、一八世紀のヨーロッパの人たちにとって、音楽は高級な「芸術」ではありませんでした。あくまで耳のための娯楽であり、夜の暇つぶしであり、あるいはミサや儀式のための実用的なものでした。今日の私たちがクラシックに対するような態度で聴いていたわけではないのです。演奏中の私語や拍手も普通でした。
ところが、音楽とはオリジナリティが重要な芸術作品であるという考えが一般化するまでは、盗作は日常茶飯事でした。そもそも盗むという概念すらありませんでした。他人の作品がすばらしいならまねをするのが普通だったのです。当然、そんな時代には、著作権も存在しなかったのです。引用や編曲も好き勝手にできました。あのバッハもたとえばヴィヴァルディのコンチェルトを「編曲」して自分の作品として発表しています。もしバッハが現代に生きていたら、大量の訴訟を抱えたことでしょう。
そんな時代の作曲家たちは、芸術家というよりも、音を扱う職人でしたから、次から次へと大量の作品を書き飛ばしました。ヴィヴァルディは数百もの協奏曲を書きましたし、バッハの作品数も現代では考えられない異常な多さです。
イギリスやアメリカのオペラで世界的な人気作は、残念ながらひとつもありません。ですので、オペラハウスで英語が歌われるのは、ごく限られた作品の場合のみです。
こう言ってはなんですが、たいがいの演奏家は、自分流に勝手に読んでしまっているのです。なぜなら、正確に読むためには、その作曲家やその時代について徹底的に勉強しなくてはなりませんし、程度の差はあれ、ひとは自分の視点からしかものごとを眺められないのですから(おまけに、演奏家は自我が強い人が多いし)。 考えてみれば、私たちは親しい人の発する言葉すら、時には誤解するではありませんか。ましてや遠く離れた場所、時代の作曲家の考えが一〇〇パーセントわかるはずもありません。 楽譜は料理の素材やレシピのようなものです。そこからどのようなものが生まれてくるのか。聴き手はそれを一生懸命感じ取ればいいのです。ただひとつの正解が存在しているわけではありません。また、だからこそクラシックは豊穣なのです。
クラシック音楽では、基準になる音、それを西洋風にはA、日本語ではイ音(イロハのイです) と言うのですが、その高さが決まっていて、四四〇ヘルツです。その音を基準にして、ほかの音の高さも決まっていきます。絶対音感の持ち主は、鳴っている音を聴くと、あ、これはAだとか(当然、B、C……とあるのですが)、あるいはドレミファ……のどれだとかすぐにわかるのです。
さすが音楽家、そんな能力をみなが持っているのかと思う人もいるでしょうが、実はそんなに簡単な問題でもないのです。プロの中にもこの能力を持たない人はいます。それでもプロになれるどころか、世界の一流にもなれるのです。 なぜなら、実は基準になるAの音の高さは、時代や地域によってちょっと、あるいはかなり違うのです。おおざっぱに言うと、昔のほうが低かったのです。ですから、バロック音楽をバロック時代のやり方で演奏したいと思うと、おのずと全体の音が低くなります。四四〇ヘルツが基準で感覚ができあがっている人は、それが気持ち悪くてたまらないとも言います。
音楽院がまだなかった時代、モーツァルトやベートーヴェンはもっぱら親によって音楽の手ほどきを受けました。ワーグナーにしても、作曲法に関しては自分で試行錯誤しました。もしかしたら、あまりにも効率的な学校教育は、個性を押し殺してしまうのかもしれません。有名な先生に習い、音楽院に通い、作曲や演奏の力をつけて、賞をもらう。こういうルートでは、常識を常識とも思わない 奔放 な芸術家はなかなか育たないでしょう。フランスでは、パリ音楽院を卒業し、ローマ賞という作曲の賞をもらうのが理想的なキャリアだったのですが、ラヴェルのように突き抜けた才能の持ち主は、かえって容易に受賞できなかったのです。二〇世紀の日本でもっとも国際的な評価を得た 武満徹、また独特の抒情美で人気を得た 吉 松 隆 のような作曲家も、一般的な音楽アカデミズムからは遠いところで自分の音楽を紡ぎました。
いずれにしても、いろいろな音楽家と知り合って私が思ったことは、将来どんな仕事をしようかと考えるような人は音楽家には向いていないということです。はっきりと自分は音楽家になるのだ、それが当然でそれ以外の道はないのだと思い込める人でなければ、音楽家にはなれません。どの程度成功できるのか、そもそも成功できるのかもわからない世界です。手に不具合が生じれば、楽器は弾けなくなりますが、そういうことを心配する人は向いていません。 そして、演奏家にとって何よりも大事なことは、今この瞬間に燃え上がり燃え尽きること。演奏家と話すと、過去のことをあまりにも簡単に忘れているので驚かされます。終わったことにはもう関心がありません。それより今、あるいはほんの少し先のことが大事なのです。
とはいえ、戦場ジャーナリストのように命を危険にさらしたり、変名で企業に潜り込んで真実を暴くわけではありません。そこで、今では「音楽ライター」を名乗る人が増えました。ライター、書く人とは、何とも軽いですね。責任を持ちたい、自我を表現したいという感じが全然しません。猫も 杓子 も評論家を称するのもいかがかと思いますが。
いずれにしても、このような人々が広告、雑誌、ウェブなどでいろいろな文章を発表して、音楽産業の一角をなしています。おかげであちこちに 誉め言葉があふれています。まるであらゆる演奏家が大芸術家であるかのようです。でも、すごい人がそんなにたくさんいるものなのかな? このような人々は、音楽をたいへん愛している善意の人が多いのですが、それゆえに賛辞のインフレーションが生じるのです。いつもいつもみなが 褒めていては、せっかくの褒め言葉の価値が減ってしまいます。
何を言いたいかって? ひとの審美眼はまことにさまざまでありまして、私が「なんてお粗末な演奏なのだろう。音が鳴るたびに問題点をいちいち指摘できるくらいだ」と思うような演奏に、涙を流して感激している人もいるのです。どちらが正しいのでしょうか。女性や男性に対する好みがいろいろであるように、いろいろであるほかないのではないでしょうか。 自分が感じていることに近い評論家なりジャーナリストなりライターなりを見つけたら、その人の意見を参考にするのは、知識や経験を増やしていくためにはよいでしょう。たくさんの曲や演奏家を知ると同時に、こういう音楽をこう言葉で表すのかというぐあいもわかってくるかもしれません。
無料の音源のクオリティが一定ではないのは、また版権などの問題があるのは言うまでもありません。ならば、ひと月に若干のお金を払って有料で聴くほうがベターです。CD一枚にも満たない金額で、無限と言ってよいほど多くのものが聴けるのですから。
ですが、私は初心者にはあえてCDをお薦めしたいと思います。何なら、これはという曲や演奏家をオンラインで聴いてみて、気に入ったものだけを買ってもいいのです。というのも、オンライン音源は、ものすごいデータ量なのではありますが、曲名の表示、演奏家の表示、楽章や曲の構成のわかりにくさという点で、とてもではないですが初心者の手には負えないからです。たとえば、ショパンのCDを買えば、ピアノ・ソナタが四つの楽章でできているとか、『二四の前奏曲』がどういう二四曲なのかとか、一目見てわかるのです。目下のところオンラインでは日本語と外国語が混在していたり、表記の仕方が混乱していたり、文字通りカオスです。
そして、人間の記憶は、さまざまな感覚と結びついているものです。なるほど音楽は耳の愉しみではありますが、CDを手にすれば、その感触、重み、デザイン、さらにはそれをどこで買ったか、どんな状況だったか、誰といっしょだったか、アルバイトしたお金だったかとか、そういうことが全部ひっくるめて記憶にインプットされます。音楽を聴くことは、人生の一部であり、決して耳からの情報だけの問題ではありません。私なども、ちょっと古びたCDやレコードを久々に手にすると、昔の思い出が蘇ったりします。そういうこともあって、もはや聴く可能性がほとんどないであろうCDやレコードも手放せないでいます。
音楽家やレコード会社が一枚のCDのためにかける労力や情熱は、おそらく一般の人々の想像以上です。その一枚のCDを、たとえば安売りされただけでも彼らはひどく傷つきます。もちろん客には客の言い分があるわけですが、本でも何でもそうですけれど、誰かがお金を払わないと、なくなってしまいます。音楽も、ごく少数のスターと、あとはアマチュアばかりという世界になってしまうかもしれないのです。
録音は、すばらしい発明です。私も大いにその恩恵をこうむっています。 しかしながら、頭のすみっこにはいつでも、「これがナマで聴けたら、もっといいな」という考えが潜んでいるのです。特にCDやオンラインで聴く演奏がすばらしければすばらしいほど。
ただし、ピアノでもオーケストラでも、一級の演奏をナマのステージで体験してみてください。文学、科学などなど、いろいろな分野に天才がいますが、本当の天才たちが、場合によってはあなたの目の前二メートルのところで最高の仕事を見せてくれるのです。その圧倒的な存在感は、せっかくこの世に生まれたのなら、ぜひとも経験しておくべきです。そして、もし彼らの調子がよくて、機嫌がよくて、コンサートに来てくれた人たちのために、自分のすべて、自分のベストを差し出そうとする瞬間──それはこのうえない幸福の瞬間です。もはや金額の問題ではありません。そこに来られること、いられることがもっとも大事であり、逆にそう思えない人は死ぬまでコンサートの本当の歓びを知らずに終わるでしょう。
実は私はそもそもオーディオには興味がなかったのですが、オーディオ雑誌に執筆するようになってからその世界のすごさというのが徐々にわかってきました。当たり前と言えば当たり前なのですが、多くの人が人生を 賭けて打ち込むものですから、やはりそこには圧倒されるしかないという高い境地があるのです。本当に目の前に歌手やピアニストがいて歌ったり弾いているような感じがします。何という生々しい幻影。私も含め、おそらくほとんどの人が知らなかった境地があるのです。もっと若いうちにこんな境地があることを知っていたら、家を建てるときにオーディオルームのことも当然考えたことでしょう。もっとも何事も高い境地に達するためには、お金があればすむというものではなく、積極的な関心や試行錯誤が不可欠であることも疑いなく、人生の限られた時間の中で多方面を極めることはできるものではないのですが。 ですので、ごく簡潔に記します。あなたがいる環境で可能な限りよいオーディオで聴くほうがはるかに愉しいはずです。今は難しくても、将来いつかは、と漠然とでも考えていて悪くはありません。
音楽とは、音楽でしか表現できないもの。言葉で言いかえることはできないもの。絵のように音で風景を描写した作曲家はいますが、音楽的な美しさが伴っていなければ、何の意味もありません。 ですので、純粋に音楽の美や力で勝負したい作曲家たちは、具体的な名前をつけることを嫌う場合が多かったの
やはり作曲家は、言葉のイメージに縛られないで音楽自体を聴いてもらいたいのです。
モーツァルトは交響曲を第四一番まで書きましたが、おもしろいことに、彼の時代には、交響曲は必ずしも一番の人気ジャンルではなかったのです。それよりも、有名歌手が登場する歌とか、名人が弾く協奏曲のほうが大事で、交響曲はむしろおまけだったのです。例外はハイドンで、彼は人々を思わず微笑ませるようなユーモアを含んだ作品を次々に発表して、この分野における並ぶ者なき巨匠とされていました。 ところが、ベートーヴェンによって事情が大きく変化しました。ベートーヴェンは、最後に向かって盛り上がっていくドラマティックな交響曲を書いたのです。その効果は絶大で、以後、さまざまな作曲家がベートーヴェン風の、最終楽章(フィナーレ) において全エネルギーが爆発するような曲を書くようになりました。また、曲全体として、暗く始まって明るく終わるという、要するにハッピーエンド的な構成が好まれるようになりました。
また、ショスタコーヴィチは、社会主義が勝利へ向かう音楽として交響曲を書きましたが、本当に勝利を信じていたかどうかは大いに議論されています。
このようにソナタ形式はなかなかに手がこんだ書き方です。しかも、最初のうちは、モーツァルトのピアノ・ソナタのように、それほどでもなかったのが、ブルックナー、マーラーとなると、分析する専門家によっても意見が異なってくるくらいに複雑になっていくのです。そうすることによって、いっそうドラマティックで巨大なクライマックスを作れることがわかったからです。何人もの登場人物が出てきては消え、裏切ったり、絶望したりしたあげく、最後、すべてが明らかになる推理ドラマのようなものです。
変奏曲という言葉も、前述のソナタと同じくらいよく使われています。有名なところでは、バッハの『ゴルトベルク変奏曲』、モーツァルトの『きらきら星変奏曲』など。後者は有名な歌をもとにした愛らしい作品なので、初心者にもお勧めです。
ひとつの主題の可能性を徹底的に追求する、それこそが作曲家の腕の見せ所です。たとえて言うなら、ひとつの素材を主人公にした○○尽くしという料理のコースのようです。ふぐはしばしばこのようなコースで供されます。刺身があり、焼いたり、揚げたり、鍋にして、雑炊にして……。 ですので、ひとつのことにとことん集中するマニアックな傾向を持つ作曲家が特に変奏曲を好みました。ベートーヴェン『ディアベリ変奏曲』は、主題は実につまらないのですが、そんなものをもとにしても自分はここまでやれるぞと言わんばかり、一種狂気を感じさせるまでに徹底的な変奏曲です。もう、聴いてくれるお客のことなど眼中になさそうです。
それはあながち誤った印象ではないでしょう。クラシックの特徴あるいは魅力のうちには、くどさも含まれているのではないか。必要のないものは切り落としていくミニマリズムではなく、「過剰の美」の世界とも言えるのです。 『ゴルトベルク変奏曲』では一時間もかかる変奏曲を書いたバッハの絶筆となった『フーガの技法』という作品も、主題をああだこうだといじくりまわした、すごいと言えばすごいのですが、何ともしつこい音楽です。
そのしつこい繰り返しの中に、長年かけて磨かれた技巧が表れているとはいえです。くどくてしつこい作曲家はドイツ系が多いのは、お国柄でしょうか。
クラシックに興味を持つようになると、レクイエムという言葉をあちこちで見かけることでしょう。モーツァルトなど、何人もの大作曲家がレクイエムの傑作を書いているからです。 死んだ人の魂が永遠に安らかでありますように。地獄に突き落とされたりしませんように。そう祈るための音楽がレクイエムです。
ところが、日本からそうした教会や宮殿を訪れた人の大半は、最初のうちは、大きいなあ、立派だなあと感心しても、いくつも見ているうちに満腹感がしてくるのではないでしょうか。それはやはり歴史を知らないからなのです。だから、みな同じように見えてしまう。ルネサンス建築だろうがバロック建築だろうが、どうでもよくなってしまう。
日本の建物は木造でしたから、有名な寺でさえも、火事で焼失して建て直されたりしています。お城に至っては、戦争の場ですから、燃やされたり破壊されたりするのが当たり前です。そして、お城は侍の仕事場ですから、華美な装飾は必要ありません。 ヨーロッパの建物は石づくりが多かった。そのときの必要や、君主の考えや、時代の 趨勢 によって、増築や改良を施し、装飾を加えていくのです。たとえばヴェルサイユ宮殿でも、いくつもの建築様式が混交しているのです。
もしかしたら、そのようなことが背景にあって、歴史的な感覚や好奇心がヨーロッパと日本は決定的に異なっているのではないか。世界各地の名所に出かけると、世界中から観光客が来ています。ガイドの細かい説明に熱心に耳を傾けているのはヨーロッパの人たちなのです。ちなみに、観光ガイドブックの類を見ても、歴史に関する記述量の差は歴然です。
また、ローマはヨーロッパでもっとも見どころが多い町ですが、日本人にはあまり人気がありません。古代ローマから現代までの歴史を知らなければ、そのおもしろさがわかりませんから。 ついでに言いますと、同様のことは美術にも言えまして、ヨーロッパの絵画は宗教的な名作が多いのですが、そうした作品は日本では受容がごく限られてしまいます。王侯貴族の肖像画も人気がありません。フェルメールが異常なまでに人気が高いのは、もちろん作品自体のすばらしさも理由ですが、彼の絵が宗教や偉い人の経歴とは無関係な、市民の家の室内画だということもあるのです。
一生をドイツで過ごしたバッハの音楽には、イタリアやフランスの音楽の影響があります。バッハのすぐそばで生まれたヘンデルは、イタリアで修業し、ロンドンで活躍しましたが、英独伊語を混ぜてしゃべっていたそうです。 気楽に音楽を楽しむのも結構ですが、もうちょっと詳しく知りたくなったら、途方もなく広くて深い歴史、そして宗教や哲学や文化の世界があなたを待っています。ヴェネツィアを訪れて、きれいな町だなあと感嘆するのは大いに結構、しかしその歴史を知ればなおいっそうおもしろい。クラシック音楽もそれと同じです。
どこまでがクラシックなのかという線引きは必ずしも容易ではありませんが、ひとつの考え方として、「音楽が音楽自体のために存在している」という純粋性が挙げられると思います。つまり、何かほかのもののために存在しているのではないということです。たとえば、映画や劇を盛り上げるためではないということ。音楽が(難しい言葉だと自律性というのですが)、それ自体の美しさのために書かれているかどうか。音楽の目的とは音楽としての美である、それが芸術としての音楽の基本ではありましょう。
クラシック音楽では形式が大事だ。しかるべき形式を持つものこそがクラシック音楽である。そのような考え方もあります。たとえば、ソナタ形式がその代表です。ところが、こういう常識が通じるのは、ほぼ二〇世紀初頭まででしょう。そこまでがクラシックなのだと言ってしまえばそれまでですが、現代においてもクラシックのコンサートで演奏される最新作が次々に生まれています。
ベートーヴェンは耳が聞こえなかったという話は、おそらくどなたもご存じでしょう。しかし、彼は生まれたときから耳が聞こえなかったわけではありません。むしろ逆で、若くて耳が聞こえているときには、誰よりも鋭敏な感覚を備えていたと思われます。それだけに聞こえなくなったことがショックだったのです。「人一倍聴覚が鋭いおれに限って、なぜこんなことが」というわけです。 ベートーヴェンは最初、ピアノ演奏家として有名になるつもりでした。が、まだ現代のようなピアノはない時代です。ベートーヴェンの生涯は、鍵盤楽器の改良と並行したものでした。ヨーロッパ各地の楽器製作者が、さまざまな工夫を凝らした新楽器を作っては、ベートーヴェンに弾いてもらいたがったのです。ベートーヴェンのピアノ曲は、晩年になるほど、機能を拡大したピアノのために書かれたとも言えます。より大きな音、幅広い音域、音色の変化……。
彼らが作った楽器はどれくらい響きがすばらしいのか。これは、世界的なヴァイオリニスト(たいていここに挙げたような名器を用いています) がオーケストラと共演するコンサートに行ってみれば気づくことですが、オーケストラのヴァイオリンよりもはるかに音が大きく、朗々と鳴り、音色も艶やかでかつ多彩なのです。ニスに秘密があるとか、さまざまなことが言われており、研究もされましたが、本当のところはよくわかりません。また、素材が木材であるからには劣化を免れず、やがて今のような芳醇な響きは出なくなるとも言われていますが、これもまた本当のところはわかりません。
というわけで、作曲家が生きていた当時の楽器や、その複製品で演奏する人たちが現れました。考え方としては実に正しいでしょう。 楽器が異なるだけではありません。昔の人の演奏習慣は、今とは異なりました。たとえば、弦楽器のヴィブラートは特定のケースでしか使わなかったことが知られています。こうしたことは、昔の教本を読めば書いてありますが、いちいち書かないくらい常識的だったこともあるに違いありません。しかし、できるだけ作曲者の時代の演奏法に忠実でありたい。これもしごくまっとうな考え方です。古楽あるいはピリオド演奏はその路線です。
そういうわけなので、現代の演奏家は、昔の楽器や演奏法をある程度参考にしつつも、自分の感性も大事にしようとします。それはそうです。音楽家、芸術家が自分の感性を信頼しなくてどうするのでしょう。
日本では長いこと、特に学校のクラブ活動として盛んだったマンドリンもクラシックではあまり使われませんが、マーラーの交響曲第七番『夜の歌』の演奏には不可欠です。夜に奏される求愛の音楽の雰囲気を出すために、ギターともども登場するのです。また、これより前、モーツァルトが、『ドン・ジョヴァンニ』というオペラの中で、主人公が女を口説く歌(セレナーデ) を歌う際の伴奏としても使われています。
さて、時代的には先にフランスの作曲家について述べましたが、バロック音楽と言えば、やはり故郷はイタリア。この人について書かないわけにはいきません。
ヴィヴァルディが活躍したのはもっぱらヴェネツィアで、この名高い港町には、船員の相手をする娼婦もたくさんいました。となると、親に捨てられる子どもも多いということになります。この町には親がいない子どもを養育し、手に職をつけさせる施設がありました。ヴィヴァルディはそこで音楽を教えており、生徒たちのために作曲もしました。演奏水準の高さははるかかなたのイギリスまで伝わっていました。 ヴィヴァルディは何百という膨大な数の協奏曲を書きました。しかし、安心してください。それをすべて聴く必要はありません。ヴィヴァルディが書いた最高の協奏曲は間違いなく『四季』で、これほど変化に富み、ひとつひとつの楽章が生き生きしている作品はほかにありません。
一八世紀においても今日同様に流行というものはあるもので、一時はヴェネツィアを訪れたらぜひ聴くべしとまで言われたヴィヴァルディの音楽は、彼が生きている間にもう飽きられてしまいました。再び成功を夢見たヴィヴァルディは、はるばるウィーンにまで出かけたものの、栄光を回復することはできずそこで客死しました。
ヴィヴァルディが書いた作品は、旅行が容易ではない時代でも、楽譜の形ではるか北方のバッハの元まで届き、バッハも彼の音楽を大いに参考にしたのです。また、当時の作曲家の例に漏れず、ヴィヴァルディもたくさんのオペラや宗教曲を書き、その中には大いに魅力的なページも含まれています。 そしてもちろん、バロック最大の作曲家となれば、この人です。
ただともかくも、バッハの作品と信じられてきたこの曲は、あるイメージを私たちに与えてくれるのです。つまり、バッハはパイプオルガンを弾いていたこと。つまり、教会の音楽家だったということ。そして、たいへんな名手であったということ。
バッハの時代、一流の音楽家がする仕事は三種類でした。教会音楽家。王様や貴族に仕える宮廷音楽家。でなければ、人気オペラを作るか。バッハはオペラこそ書きませんでしたが、教会と宮廷で活躍した人でした。教会と宮廷とは、聖なる権力と世俗の権力。まったく反対のものとも思えますが、実は教会に来る人たちは音楽を愉しみにしているという一面がありました。また、宮廷でも頻繁に宗教的な催しがありました。
バッハの最高傑作は何か。『マタイ受難曲』だという声が昔から強い。処刑されるキリストを描いた、実に悲痛で感動的な、三時間にも及ぶ大曲です。でも、キリスト教になじみが薄い人にはとっつきにくいでしょう。
バッハの音楽にはいろいろな面がありますが、ほかの作曲家にはない個性としては、独特の神秘性、幽玄さが指摘できるでしょう。『管弦楽組曲第二番』は、小さなオーケストラとフルート独奏のための曲ですが、サラバンドという楽章は、ろうそくが静かに揺れているような味わいがあります。『管弦楽組曲第三番』のアリアもそうです。「G線上のアリア」としても知られているこの音楽は、ほかの作曲家にはない静謐さを 湛えています。オルガンのための『パッサカリアとフーガ ハ短調』も、吞み込まれそうな、潮の満ち干のような音楽です。
バッハと同じ年に、しかも近い町に生まれたヘンデルは、若い日にイタリアに渡って以来、故郷ドイツにはあまりいたがらず、結局ロンドンに住み着いた作曲家です。そこで、オペラとオラトリオをたくさん書きました。特定の領主に仕えるのではなく、もっと気ままでとらえどころがない一般客を相手にしたわけです。
ベートーヴェンはフランス革命の精神に共鳴し、自由や平等に価値を認めました。これも私たちの現代社会の価値観と一致しています。とはいえ、彼には親切にしてくれる(ということは、お金をくれる) 貴族のパトロンたちがいて、ベートーヴェンが心を寄せる女性も貴族が多かったのですけれど。彼の作品の多くは貴族に献呈されていますが、これは報奨金を目当てにしてのことです。どんな天才も生きるためにはパンが必要です。
ベートーヴェンの作品に対してはよく「中期」だの「後期」だのと言われます。「中期」は、もうベテランだけれど、元気がいっぱいで、エネルギッシュな音楽。「後期」は、いっそう自由かつ大胆な作風だが、通好みとでも考えておいてください。弦楽四重奏曲でも、後期作品と呼ばれるものは、普通に聴いて美しいというよりも、実験音楽的な趣があります。よくワンセットで演奏されるピアノ・ソナタ第三〇、三一、三二番は、すべての枠組みから自由になった人の自由な創作という感じがします。
ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンをまとめて(ウィーン) 古典派と呼んだりします。知情意のバランスが取れているというのですが、正直言って 眉唾 です。円満な大人のような曲を書いたハイドンの音楽と、情熱的で奇人とも見なされていたベートーヴェンの精力ではち切れそうな音楽を同一視するのは無理です。
それはともかく、このあと、ロマン主義と呼ばれている傾向が、ヨーロッパ中で一気に広がります。どこからがロマン主義で、どこまでがロマン主義なのか。それは考え方によって異なりますが、そういう風潮、言葉があることは知っていて損はありません。
後述するワーグナーはウェーバーを尊敬し、参考にしていました。ウェーバーがいなかったら、ワーグナーの音楽もまったく違う形になっていたかもしれません。
フランツ・シューベルト 一七九七‐一八二八 シューベルトはそれまでになく暗い音楽を書いた人です。もちろんモーツァルトもベートーヴェンも暗く悲しい曲を書きましたし、バッハはキリストの受難をテーマにした曲を書きました。ところが、シューベルトの音楽はそれらよりもはるかに暗いのです。不気味なほどに暗いのです。
この曲はいかにも不気味な、お化けが出てくるような始まり方をします。のっそりとお化けが出てきたあとで、せかせかとした音楽になります。しかし、これはまだいい。そのあと、また冒頭のお化けみたいな旋律が出てきて、地獄の深淵に一歩一歩下りていく、いや、引きずり込まれるような音楽になります。こんな音楽をシューベルト以前に書いた人は誰もいませんでした。
「魔王」というリート(歌曲) は、高熱を出した子どもを父親が馬に乗せて急いでいるのですが、子どもは魔王の幻覚を見て怖がり(「いっしょにおいで」と子どもを誘惑するのです)、到着したときには死んでいたという内容です。まさしくホラーです。こんな歌詞をまだ一〇代の少年シューベルトは生々しく歌にできてしまったのですから、呪われている天才としか言いようがありません。
歌曲集『冬の旅』は失恋した青年の嘆きや絶望を一時間にもわたって執拗に表現した作品で、確かにとんでもない名作なのだけれども、聴いて楽しいとは言いかねます。シューベルトの友人たちも、初めて聴かせてもらったときにはあまりの暗さに衝撃を受けたと伝えられています。中では「菩提樹」という歌が、比較的明るいトーンで、愛唱されていますが(私が中学生のときの教科書にも載っていました)、油断してはなりません。この木は失恋した男が首を吊るにはかっこうの木なのですから。また、『冬の旅』…
シューベルトは梅毒にかかり、脳を侵され、晩年の作品にはむやみと繰り返しが多くなりました。最後のピアノ・ソナタ、第二一番は、ピアニストによっては一時間もかけて弾きます。まるで自分がどこにいるかもわからずにさまよっているような感じがする音楽です。突然ふっと音が途切れるのが何度聴いても衝撃的です。足を止めて周囲を見回し、「…
当時の前衛だったベートーヴェンを聴いて大感激し、またシェイクスピア劇も熱愛したベルリオーズは、思い込みが激しく、何をしても極端に走りたがる人で、熱烈な恋をすればナイフを持ち歩き、死者のための曲を書こうとすれば教会を轟音でいっぱいにしたくなり、長くておもしろい、そしておそらく大いに話を盛った自伝を書き残しています。現実と妄想の区別が常識人のようにはできなかったのかもしれません。
メンデルスゾーンは、音の風景画家とも呼ばれており、スコットランド旅行中に着想を得た序曲『フィンガルの洞窟』は冒頭からして目の前にわくわくするような風景が広がるようです。序曲とされていますが、オペラの最初に演奏されるわけではありません。
メンデルスゾーンは抜群の才能に恵まれ、生活も裕福で、活動も順調でしたが、早死にしました。そういう人だからなのか、音楽には品があると同時に、風が吹き抜けていくような 儚 さが感じられます。ナチが、メンデルスゾーンがユダヤ人であるがゆえに作品を演奏禁止にしたのは、とてつもない暴挙でした。
たとえば、私たちは「天才」という言葉から何を連想するでしょうか。大恋愛、狂気、不幸、挫折、破滅、孤独、自殺……。案外、否定的な言葉が思い浮かぶのではないでしょうか。それは私たちが知らず知らずのうちにロマン主義的な天才観を身に着けているからです。シューマンは、まさにそのような人でした。
若きシューマンは、ピアニストを目指していました。ところが、彼の手は小さかったのです。指と指の間をむりやり広げようとした彼は、かえって手を傷め、ピアニストになる夢を断念せねばなりませんでした。そんな彼が深く愛し、とうとう結婚したのが、名ピアニストのクララでした。クララの父親(この人も名ピアニストでした) は、あんな男といっしょになるのはだめだと大反対しましたが、何とかその反対を押し切っての結婚でした。
しかし、シューマンはどこへ行っても、「名ピアニストのだんなさん」ということで、おまけのように見られ、作曲家としての名声はなかなか得られませんでした。 徐々に彼の精神は病んでいきます。そして、最後には真冬のライン川に飛び込んで自殺しようとし、一命こそ取り留めたものの、完全に理性が崩壊してしまったのです。脳を梅毒に侵されたのでした。
交響曲や歌曲もしばしば演奏されますが、やはりシューマンの本領はピアノです。シューマン作品をまったく弾かないピアニストはほとんどいないでしょう。
クラシックのピアノ曲となれば、誰しもまっさきに思い浮かべるのがショパン。デリケートでロマンティックでドラマティックな彼の名作は今でも大いに好まれるところです。 ショパンは当初ピアニストとして名を上げましたが、意外なことに、生涯を通じて演奏会の回数はそれほど多くないのです。体力的、精神的な理由で、彼は大会場の客を沸かせることに興味がなかったのです。
確かにショパンの曲は、大勢に訴えかけるというよりも、自分の心の中をこっそり打ち明けるかのような趣があります。もしかしたら弾き手、聴き手は、「ショパンが自分に話しかけてくれている」と錯覚するのかもしれません。
ショパンのバラードは具体的な物語を描いているわけではありませんが、何か物語が暗示されているように感じられるのです。
ショパンの音楽にはヒロイックな感じがします。古代ギリシア以来、英雄には破滅のイメージがつきまといます。英雄は、勝つだけでは本当の英雄として物足りないのです。最後、全力を尽くしたあげく破滅しなければなりません。そう書いたのは誰だったか。そのような破滅の淵を歩む悲劇的な英雄の面影がショパンにはあるのです。 また、ショパンの音楽の盛り上がりには、どこかエロティックな感じがします。アクセルを踏むとエンジンの回転数がなめらかに上がり、音が高まる。その音がさらに高めてほしいとそそのかす。車好きなら、こう言えばわかるでしょうか。ただうるさいだけ、力があるだけではなくて、シルキーなエンジンの感触。
フランツ・リスト 一八一一‐一八八六 ショパンが美しく洗練された邸宅だとするなら、リストは大きな城です。細やかさでは劣るかもしれませんが、何しろ大がかりです。
ハンガリーの音楽家とされ、本人もそれを売り文句にしていましたが、当時ハンガリーはオーストリア帝国の一部で、リストはその言葉もあまり話せませんでした。とはいえ、『ハンガリー狂詩曲第二番』のように、音楽にエキゾチックな要素を取り込んでいたことは事実です。
リストは長生きしましたが、最後は僧籍を得ました。音楽家としての大成功、貴婦人との情事、そして宗教者になるとは、まさに物語のような人生です。
たとえば、禁じられた恋の物語である『トリスタンとイゾルデ』は、最初の前奏曲と、最後の「愛の死」という部分がしばしば単独で演奏されます。四時間もかかるオペラの最初と最後だけ、二〇分弱で要約してしまうようなものです。 主役は一〇代の男女。まだ恋をしたことがないのです。そのふたりが、禁じられている恋をしてしまいます。その愛に溺れて幸せの極致を知ります。しかし、愛すれば愛するほど、破滅に近づきます。おのずと、重苦しい愛になるほかありません。死にたどりつくしかない宿命的な恋をワーグナーはどう表現したか。第一幕の前奏曲をお聴きください。
『タンホイザー』はセックスの快楽に溺れてしまった男が 改悛 する物語です。序曲は、壮麗、壮大かつ敬虔な雰囲気もある名作です。最後の盛り上がり方もすごい。ワーグナーは、危ない恋、破滅的な愛を描き続けました。これほどまでに愛にこだわった作曲家もいません。
エドヴァルド・グリーグ 一八四三‐一九〇七 ノルウェーの作曲家で、特にピアノ協奏曲の人気が高い。ゴージャスでダイナミック、ロマンティックな味わいも濃いので、それも当然です。ティンパニとピアノによる鮮烈な出だしには、人をはっとさせるものがあります。
ヨハネス・ブラームス 一八三三‐一八九七 ブラームスはひとことで言うと、音がたくさんある曲を書いた人でした。作曲家は、どんなに天才的な人であれ、こと音楽の点では勤勉でないと成功しません。技術を一通り身に着けるだけでもたいへんですが、過去や現在の作品を学び続けなくてはいけません。 なかでもブラームスは特に勤勉な人で、彼のまじめな人柄は作品によく表れています。逆に言うと、それがために息苦しく感じられることもあります。同時代人チャイコフスキーは、「見事は見事なのだけれど、わざとらしくて人工的な感じがする」と評していました。このような意見は当時まれではありませんでした。
また、基本的には、根が暗い人です。ブラームスが書いたもっとも明るい曲としては『大学祝典序曲』が挙げられます。存命中から高い評価を得ていた彼は、ある大学から名誉博士号をもらうことになり、お返しにこれを作りました。ですので、一見すると華やかで、楽しげな躍動感に富んでいるのですが、最後のクライマックスに、何か壮大な夕日のような崩壊や終焉の気配が漂ってはいないでしょうか。
ブラームスは、理屈っぽい、頭で納得できる音楽を書きたいという気持ちを持っていた人ですが、さらっとすばらしく美しいメロディーを書く人でもありました。三曲書いたヴァイオリン・ソナタはそういう彼のよさが素直に出ています。けだるく、メランコリックで、だけど甘美で、情熱的な瞬間もあり……。
歳を取るとよけいな雑念が消えたのでしょう、すっきりとした透明感ある美しさを持つピアノのための『間奏曲』(作品一一七) も絶品です。 やはり晩年の『クラリネット五重奏曲』は、茶色の中には黒に近い茶もあれば、黄色のような明るい茶もある、そんな色とりどりの茶色がカプチーノのように渦巻いているような名作です。ただ、…
シュトラウス一家 クラシックに興味がある人なら、あるいはない人でも、シュトラウス一家のワルツやポルカを耳にしたことがあるはずです。この音楽一家からは何人もの作曲家が輩出されましたが、『ラデツキー行進曲』を作ったのがヨハン・シュトラウス一世(一八〇四‐一八四九)、『美しく青きドナウ』を作ったのがヨハン・シュトラウス二世(一八二五‐一八九九)、実はもっとも才能…
ヨハン・シュトラウス一世と二世の父子の衝突は、音楽史では有名です。売れっ子ではあったものの、音楽家は安定した職業ではないことをよく知っていた父は、息子が音楽家になるのを邪魔し、ヴァイオリンを壊したりしていたのです。しかし、息子はこっそり勉強を続けました。父の死後、ワルツの名声や人気をより高めたのは息子でした。ワルツはもともとは品がよいとは言…
当時のウィーンでのワルツの人気はちょっと現代では考えられないほどで、理屈っぽいブラームスですら、夢中だったのです。とはいえ、シュトラウス一家の作品を愉しむためには、特に説明はいりません。
グスタフ・マーラー 一八六〇‐一九一一 現代でもっとも人気がある作曲家のひとりと言えます。彼の交響曲はブルックナー同様、どれも長めで、八〇分に達するものがいくつもあります。
やや短めで、マーラーらしい雄弁さ、表現性にも欠けていないという点で、『第一番「巨人」』から聴きはじめるといいでしょう。暗く悲しげな部分も、それがあるから、明るい部分がより輝かしくなることがわかります。ナマでこの曲のフィナーレを体験すれば、一〇〇人の音楽家が音を出すオーケストラはすごいものだなあと理屈ぬき、身体で理解できるでしょう。この曲が好きになったら、ほかの交響曲にも手を出せばいいのです。
リヒャルト・シュトラウス 一八六四‐一九四九 シュトラウスという名前の作曲家はほかにもシュトラウス一家がいるので、リヒャルトとファーストネームもいっしょに言うのが習わしです。 オーケストラを扱う技巧という点では、まさに達人です。実にカラフルで雄大な響きがします。基本的にはロマンティックなのですが、前衛的、革新的な部分も巧みに混ぜ合わせているのが、またテクニシャンならではです。
演奏が難しい曲が多いことでも有名です。オーケストラや歌手に対する要求が高度なのです。たとえば、『英雄の生涯』という交響詩では、愛する妻を表現するために独奏ヴァイオリンが用いられているのですが、このソロを文句なしの見事さで弾いてのけられるコンサートマスター(オーケストラのヴァイオリンのトップ奏者…
オペラをたくさん作っていますが、それよりも世界中で頻繁に演奏されるのは、オーケストラのための交響詩です。『アルプス交響曲』は、交響曲と称してはいるものの、実際は交響詩で、アルプスを登山、下山するさまを描いたもの。正直言って、たいした思想性も何もないのですけれど、技巧のお化け、刺激のオンパレードみたいな大作です。凄まじい嵐の描写に一種の恐怖、それが転じて愉楽を覚えない人…
解説に「国民楽派」と記されている作曲家たちがいます。チャイコフスキー、ムソルグスキー、ドヴォルザーク、スメタナ……なかなか壮観な顔ぶれです。 楽派と言っても、彼らがみなで徒党を組んでひとつの考えの下に作曲を行ったわけではありません。しかし、もちろん共通項があるから、このように一括されているわけです。 彼らが生きた一九世紀後半、各民族が自分たちの国家を持つべきだという国民国家の観念が広まっていました。たとえば、ウィーンを首都とするオーストリア帝国は、チェコやハンガリーも領土にしていましたが、各民族には独自の言葉や文化があるのだから、支配者の価値観でむりやり統一されすべてを決められてしまうのはかなわないというわけです。
作曲家の場合は、民謡の旋律を取り入れたり、民話や伝説をオペラの題材に使ったり、地元の言葉で書かれた歌詞を使ったり。地元の言葉の歌詞を使うなど、ごく当たり前のように思われるかもしれませんが、たとえばチェコ語やハンガリー語の歌詞は、多くの国々の人にはまったく理解できません。特にドイツ、フランス、イギリス、イタリアあたりの出版社が楽譜印刷の大手でしたから、これらの国々の人たちに通じないことはかなり致命的なのです。何しろラジオも録音もまだ存在しない時代で、自分の曲を知ってもらうためには楽譜を広めるしか手段がありません。そこで、各国語の歌詞を添えたりしました。
また、独得の情緒があるロシアの作曲家の音楽は、フランス人にはエキゾチックでおもしろいと好意的に受け取られるのですが、ドイツ人には田舎くさいと感じられることが多かったようです。その点、どんな音楽でも貪欲に受け入れたのは、イギリスだったかもしれません。 もっとも、民族性、あるいは地域性に価値を認めるということでしたら、ワーグナー、ウェーバー、さらにはブルックナーあたりにも言えることですが、一般的には国民楽派という言葉は、東欧の作曲家たちに用いられます。
ベドルジハ・スメタナ 一八二四‐一八八四 ドヴォルザークに先行するチェコの大作曲家。もっとも有名な作品は「モルダウ」です。モルダウはプラハを流れる川で、チェコ語ではヴルタヴァ川と言います。この川が源流から大河へ変容する様子を、付近の風景や歴史を振り返りつつ描いた交響詩で、抒情的な美しさもあれば、荒れ狂う奔流もあり、壮麗でもあり、名曲と呼ばれて当然です。
アントニン・ドヴォルザーク 一八四一‐一九〇四 ブラームスが大いに敬意を払っていたのがドヴォルザーク、チェコ最大の作曲家です。何事も考え抜かないと気が済まないブラームスにとって、素朴で美しい旋律が次々となめらかに続くドヴォルザークは 羨ましかったのでしょう。 何といっても交響曲第九番『新世界から』が有名です。魅力的な旋律、憂愁の色合い、野性的なエネルギー感、余韻を残すような印象的な終わり方、とにかくさまざまな要素が詰め込まれています。それも、ごった煮ではなく、実にスマートですっきりと。傑作と呼ばれてしかるべき作品です。破格のギャラでアメリカの音楽学校に雇われたドヴォルザークが、そこで得たアイデアも盛り込まれています。
レオシュ・ヤナーチェク 一八五四‐一九二八 チェコのモラヴィア地方出身の作曲家で、一九世紀半ばに生まれた人とは思えないモダンな音楽を書きました。と言っても、彼の主要作は二〇世紀になって書かれたのではありますが。このような大器晩成は作曲家では珍しい。五〇歳を超えた作曲家は創作力が衰えるのが普通なのです。
イタリア、フランスといった長年ヨーロッパの文化的な中心だったところから遠く隔たったロシア。貴族はフランス語で会話し、輸入した文化が高級とされてきました。しかし、一九世紀には、ロシア独特の芸術が必要だという考えが強まり、何人もの魅力的な作曲家を輩出しました。
「だったん人の踊り」は、オペラ『イーゴリ公』に含まれていて、このオペラはボロディン 畢生 の傑作になるはずでしたが、完成せずに終わってしまいました。というのも、ボロディンの本業は化学者で、すべての時間や能力を作曲に捧げることは不可能だったのです。
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー 一八四〇‐一八九三 ロシアの大作曲家と言えば、真っ先に名前が挙がるのはチャイコフスキーです。何を隠そう、小学生だった私が最初に感動したクラシックの曲が、この人の『ピアノ協奏曲第一番』です。自分が見たこともない 絢爛 たる美の宮殿に招き入れられたかのごとく、恍惚としたことを覚えています。
モデスト・ムソルグスキー 一八三九‐一八八一 狂気の天才というイメージにもっともぴったりとくるロシアの作曲家は、ムソルグスキーです。 とにかく、常識を超えた人でした。彼の代表作でロシア・オペラの最高傑作とまで褒めたたえられている『ボリス・ゴドゥノフ』は、最初完成されたとき、一般的な観客が期待しているソプラノの美しいアリアや、甘い愛のシーンがいっさいありませんでした。慣習や常識に一〇〇パーセント従うことがよいとは限りませんが、ある程度世の中に妥協しないと成功は覚束ない、こんなことをムソルグスキーはまったく考えなかったようです。この作品はロシア人、特に民衆はどういう人たちなのか、ロシアという国はどういうものなのか、二一世紀の今になっても 示唆 に富んでおり、このオペラを聴かずしてロシアを語ることはできないとすら私は思っています。
セルゲイ・ラフマニノフ 一八七三‐一九四三 リストやブラームスも名ピアニストとしての名声に恵まれていましたが、ラフマニノフも巨人的なピアニスト、世紀のピアニストとまで賞賛された人です。ぎりぎりで録音を遺した世代なので、音質がすばらしいとは言えませんが、彼の芸風の片鱗はうかがえます。 当然、ピアノ曲が一番得意です。『ピアノ協奏曲第二番』は甘く陶酔的。『第三番』は華麗なテクニックが見せどころ。独奏曲なら、『前奏曲集』が近づきやすいでしょう。 おもしろいことに、ピアノというひとつの音をずうっと伸ばすことが難しい楽器の名手だったくせに、ラフマニノフは弦楽器や管楽器に向いた、えんえんといつ果てるともなく続
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クラシック音楽の入門として最適。堅苦しくなく難しくもなく読みやすい。作曲家や演奏者についても、好事家への目配せもありつつ、ほどよくライトな感じで好印象。
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クラシック初心者のために、著者が遠慮のない文章でそれを解説していく。
前半はクラシックの歴史や基礎知識が述べられ、後半に時代ごとの辞典という構成だ。初心者に特に参考になるのが後半だろう。紹介されている曲をyoutubeやサブスクで調べながら読み進めれば、聴いたことがある曲がたくさん出てきて多くの発見ができるだろう。
個人的な注文として、「〜短調」の意味も記載していただけるとよかった。オペラ編もあるようなので、いずれそちらも読むつもりである。
Posted by ブクログ
この手の本は何度か読んだが、そんなにはまらず現在に至る。一方、クラシック好きは身近にいて楽しそうだし、興味はある。そんな恒にあって満たされないニーズで読んでみた。きっかけは書評。
はじめに、おわりに、に本書の特徴が凝視されている。入門書や魅力を説く内容でなく、俯瞰的にクラシックをとらえて、面白さがわかるようなコンパスのような内容を目指したとのこと。クラシックでない、釣りの著者の体験が紹介されており、コツをつかめば沼にはまるという例えはその後の内容を読み方につながった。
曲の種類から作曲家、楽器、演奏者の概説、おすすめ曲、世間一般の評価と著者の評価と、客観的つつ、著者の言葉も感じられる。
クラシック音楽だけでなく、西洋絵画も教会や歴史を理解しなければ、深く味わえないという内容からも、今までのとっつきにくさの理由がクリアになった。
本書では、音楽を聴いたときの表現法がいろいろとあり、それが斬新で刺激的だった。食事の表現と同じように、わかると価値観も広がると思う。
Posted by ブクログ
クラシック音楽はいつも身近にあった。でも、反抗期を迎えてからは一切聴かなかった。それが変化したのは一人暮らしを始めた時。
初めて買ったレコードはグルダが弾くモーツァルトのピアノ協奏曲第20番、21番だった。それからというものフォークソングとクラシック音楽が肩を並べるようになっていった。
学生時代、ブルックナーの好きな友達がいて、私も影響を受けてよく聴いた。フルトヴェングラーに耽溺している友もいた。「亡き王女のためのパヴァーヌ」が好きな友人もいた。アリアや歌曲を朗々と歌う友もいた。クラシック音楽の生き字引のような友もいた。ピアノクラブでショパンを弾く友もいた。狭いアパートで、煙草を燻らせながらバッハを聴く友もいた。ああ、懐かしい。
この本はわかりやすかった。馴染みのない作曲家、演奏家に興味がふくらんだ。
シベリウスの交響曲は2番以降がシベリウスらしいこと。チョン・キョンファの弟さんがピアニストから指揮者になったこと。ベートーヴェンのピアノソナタの30,31,32に味わいがあることなどなど。
オペラも含めてさらにクラシックが聴きたくなった。
Posted by ブクログ
今まで学校でしか聞いた事のなかったクラシック。なんとなく興味があるなぁ、と手に取った本だったが、はじめにで「入門書。これほど空しい本もありません。」とバッサリきて面食らった。たしかに「好き」を認識する時って、何かを実際体験したり味わったりした時に自発的に思うもの。好き嫌いって運命的なんだな。
著者も語っているが、この本はクラシックに好奇心を抱いた人にクラシックの俯瞰的な見取り図を示したもの。
そもそもクラシックとはなんぞやからはじまり、聴き方や音楽の種類、はたまた具体的な作曲家について、時折毒づきながら述べていく。
つらつらと説明的にならず、作者なりの見解が随所にあるため飽きずに読み進めることができる。
曲名にあまり意味を盛り込まず、純粋に『音楽』に意味を込めるというのは何となく作曲家たちのプライドを感じる。
敷居が高いと思い込んでいたクラシック、思ったよりも楽しめそうだと早速サブスクで聞いてみたが曲の背景も知ることが出来て、感慨深い。
クラシックに少しでも興味がある方、知識を付けたい方におすすめ。本書後半の作曲家や演奏楽器についての話しもためになる。
Posted by ブクログ
この本は、クラシック音楽初心者向けの皮を被った
許光俊氏が初心者向けの本を書いたらどうなるか
という本である。
だから、見えない毒がどこかしこに現れている。
(特に指揮者・演奏家紹介の部分)
私はそういうのを探すのが好きなので、
面白いと思いながら読んだわけだが…。