あらすじ
権力はあらゆる関係に遍在し、私たちの生を規定する。そうした権力が織りなす現実を耐えがたいと感じたとき、状況を批判的に捉え、いまとは違った社会を、自分を、実現する道はどこにあるのか。
私たちはなぜこのような状況に置かれているのか?
何に我慢がならないのか?
こんなふうに統治されないためにはどうすればよいのか?
[本書のおもな内容]
●権力は誘惑し、行為を促す
●学校・会社・病院は、人を「最適化」する装置である
●完全競争実現のため、新自由主義は社会に介入する
●私たち「ひとり企業家」の能力(スペック)向上の努力に終わりはない
●政治とは、自他の統治が入り乱れる「ゲーム」である
●主体には、つねに別の振る舞いをする力が備わっている
●批判とは、「このようには統治されない技術」である
●哲学的に生きるとは、社会を批判的に捉え、真実を言い、自分自身を変えること
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100ページで教養をイッキ読み!
現代新書の新シリーズ「現代新書100(ハンドレッド)」刊行開始!!
1:それは、どんな思想なのか(概論)
2:なぜ、その思想が生まれたのか(時代背景)
3:なぜ、その思想が今こそ読まれるべきなのか(現在への応用)
テーマを上記の3点に絞り、本文100ページ+αでコンパクトにまとめた、
「一気に読める教養新書」です!
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感情タグBEST3
Posted by ブクログ
ミシェル・フーコーの入門書。100ページでまとめるというかなりの難業ではあるけれど、後期フーコーを中心に上手くポイントをとらえてまとめていると思う。
例のパノプティコンの話を端緒として、規律と生政治の概念の解説、新自由主義における統治の方法、そしてパレーシアから対抗導きと集合的主体の解説へと展開される。
後期フーコーを端的に捉えることができて便利だと思うけれど、おそらくフーコーがそうだからか、新自由主義的統治への対抗の仕方としての対抗導きは概念としては理解できるけど、具体的に像を結ぶことができない。司牧権力とは異なる仕方で羊を導くことが対抗の契機だとは思うけど、じゃあどうやって?、という疑問は持ってしまう。このあたりは思想上のワナで、対抗とは別の仕方で新自由主義に伍して行くんじゃないかなあと何となく無責任に思ったりもする。
Posted by ブクログ
もともとコンセプトが「100ページでまとめる」とあるのでやむを得ないがやや足りない感を感じてしまった。
フーコーの医学に関する考察を知りたかったので、巻末で紹介されている「臨床医学の誕生」を読んでみることにした。
フーコーがどういう人だったのかを知るには良いかも・・・
Posted by ブクログ
著作が既に古典化しつつあるとはいえ、現代の思想家なので、フーコー研究は日々大きく変化し進んでいるのだそうです(なので、入門書は新しいものの方が良いという話をよく耳にします)。
特に、途絶したため謎を多く残した後期のフーコー思想は、研究者にとって読み解きがいがあるのでしょう...本書が後期思想(権力論から統治論へ)に対象を絞っているのも、そんな理由からなのだと思います。
ただ率直に言って、本書はフーコーの魅力を伝えるような内容にはイマイチなっておらず、淡々と後期思想を読解し、それをダイジェスト的に紹介している...という印象でした。
決して悪い本ではないのですが、論文集のなかの一論考といった感じで、立体感に乏しいところが新書(入門書)らしくはないと思いました。
なので、フーコー入門書・解説書を何冊も読む前提でなければ、あまりオススメはできない一冊です。
Posted by ブクログ
ミシェルフーコーの基本ワードを知見のある学者の言葉で再度復習したいと思い。
フーコーが開示してみせた権力概念の刷新とは人間の思考、社会認識の大変革を促し、社会や性、トランスジェンダーを語る上で特に重要なツールとなる。
権力は生産する。その透明なまなざしを内面化する作業をわれわれが機械的に、無意識のうちに行うことの気づきと理解。
集団思考が強く、現状維持を金科玉条にする日本人にとって、フーコーは一度触れるべき偉大な思想家ではないでしょうか。
Posted by ブクログ
統治論を主に取り扱うということで、フーコーについて寡聞な中で知っている用語以外も多く見られた。
短くても難解なものは難解というべきか、接地する部分が自分には少ないのか。
Posted by ブクログ
フーコーを100ページでまとめるとどうなるのか?
ということにはやはりならず、「後期」フーコーの入門書です。
個人的にフーコーで関心があるのは、権力論、主体論、統治論で、本でいうと「監獄の誕生」〜「性の歴史」、コレージュ・ド・フランスの講義でいうと76年の「社会は防衛しなければならない」〜84年の「真理の勇気」のあたりなので、この本で取り扱われているところとほぼ重なる。
フーコー関係を初めて読む人、あるいは、「後期フーコー」の著作なり、講義を全く読んだことがない人が、どの程度、これを読んでわかるのかどうかは全く不明だが、私的には頭の整理になった。
後期フーコーのキーワードの一つは、「生政治」。
その概念は、著作では「性の歴史」の「知への意志」、講義では78年の「安全・領土・人口」で概論的なところは示されるのだが、さていよいよ本論という期待が高まる79年の「生政治の誕生」では、なぜか話しは新自由主義とか経済学の話しに脱線して、翌年の「生者たちの統治」では、研究計画の大きな変更がしめされて、結局、「生政治」とはなにかがわからないまま、ギリシャ〜ローマ時代の話になって、そのままフーコーはなくなってしまう。
ここは哲学史上の謎みたいなもので、それ自体が興味の対象なのだが、個人的には、「生政治」の概念にとても興味があるので、その辺りをもう少し理解したいと思っている。(アーレントの書かれなかった「精神の生活」の第3部「判断」がどういう構想だったのかというのに匹敵する謎ですね)
この本は内容的には、後期の著作と講義のわりとあっさりとした要約で、苦労しながら読んだものの再確認というところなのだが、面白かったのが、「生政治の誕生」などででてくる「新自由主義」の議論の位置付け。
フーコーの議論は、「今、当然と思っていることが歴史的にみると必ずしも当然のものではない時代があった」ということを具体的に昔のテキストを解釈しながら進めていくもので、それが現代にどうつながるのかはかなりのところ読者に委ねられている。
「生政治の誕生」は、めずらしく当時の「今」の話題であった「新自由主義」の起源を経済学の歴史や20世紀の社会変化のなかから議論するもので、それ自体は面白いのだが、「生政治」の話からは大幅な脱線と思えていた。
たしかにそれは脱線なのだが、著者は、「新自由主義」の議論をまさに「生政治」の現在形として読み込んでいる。
ある意味、わたしたちは、「新自由主義」がたどり着いた荒涼とした世界に生きているわけで、そこでは、市場と自己責任、ひとり企業家としての生を強要されているわけだ。
これにいかに対抗して生きるか、ということなんですね。
そう、これが私がフーコーから学びたいことのナンバー1だったのだ。
という地点に連れて行ってくれたことが、この小さな入門書。
ここ数年、読んでいる新自由主義のイデオローグともいえるハイエクと議論が絡み合ってくるところがあって、わたしのなかのいくつかの問題意識の系統がつながってきた感じ。
一般的にお勧めできるのかはよくわからない「入門書」だが、ナラティヴ・セラピーを勉強している人たちには、よい「フーコー入門」になるかもしれない。
Posted by ブクログ
今の統治を断ち切ると決断するのは現状に対する拒否の意思、この意思は全ての人に備わっています。思考と感性を頼りに振る舞いを意識的に選択する。そうした実践により人は今の自己の姿から、その時代にとって相応しい存在として自らを再構成することになります。