あらすじ
50年前に起こった世界初の空港テロ事件。それは崇高な使命からだったのか、それとも……。恋愛小説の名手が拓く新境地。
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Posted by ブクログ
美化したり、共感したり、そんな事をしてはいけない事なんだと思う。
けれど、こんな事があったんだと、その後に生まれてきた人達に伝える事は大切な事ですね。
Posted by ブクログ
この本を読んで感じることが2つあります。
・「事実」をなるべく正しく伝えるべきだったのではないか?
脚色を加えたフィクションではなく、「あの時起きた真実」が必要なのではないか?
もうひとつ、
・「事実を忘れない」ためにも「物語化」して後世に伝えるべきなのか?
現代においてなお続く悲惨なテロリズムや対立の連鎖は我々日本人にとって他人事ではなく、まさに当事者であったことを忘れないために、私たちが知るべきことは非常に重いと感じました。
本書を出版する決定をした出版社、著者の勇気に敬意を感じます。
大切に受け止める必要がある一冊だと思います。
Posted by ブクログ
事件をリアルタイムで知らない世代からすると、混沌としすぎて正確に捉えることが難しい時代を、小説という方法で表現した作品なのだと思えた。
この時代に自分が同じ世代で生きていたら、この政治的思想にのめり込んでいたかもしれない。そう思うほど千尋の一途さに感銘を受ける書かれ方だった。
YA世代の極端な奉仕的思考。何かを成し遂げたいと大それた野望を抱く一方で、自分の存在価値を小さなものとして粗末に扱いがちな心理。すっかり忘れていたけど自分にそんな時代があったと思い出した。
世の中を良くするために活動をはじめた人物が、次第に極端になり、手段を選ばなくなり、危険思想と見なされ、実際に危険人物となり果てる惨劇。
他人事のようだが、その知能を活かせば、別の方法で社会貢献できていたはずだと残念でならない。そんな悲劇を繰り返さないために歴史をもっと深く学ばなければならないと思う。
Posted by ブクログ
3寄りの4。奥平剛士をモデルにしているのは分かるのだけれど、ここまで書き込むのにフィクションにする必要があったのか、そして作家が作品を書く件は要るのか...フィクションにしてもいいけどもっとシンプルに奥平剛士の心の動きを見えるような書き方をした方が強い思いが伝わったのでは..というちょっと勿体無い気がする作品。
Posted by ブクログ
そこに至るまでの感情の醸造の過程を、人間関係を丁寧に描いていて、面白く読んだ。
(そこはフィクションだと思うけど、出版社の社長の気持ちも分からんでもない)
Posted by ブクログ
私は作者と同じ年代です。
テルアビブ空港乱射事件は、TVでもセンセーショナルにとりあげられたので記憶に刻まれています。
50年経った今、ノンフィクションとフィクションの間だとする本文を読んで、やっと「なんであんな事をしたんだろう」という長い間の疑問に答えをもらった気がしています。
あとがきに作者の母校であり、奥平剛士の母校でもある高校の校長先生が全校生徒を前に「奥平さんの為した行為は間違っていたが、平等な社会、差別のない社会を作ろうとした彼の思想は、間違ってはいなかった」という趣旨の話をしたとあります。
凶悪犯罪とは違って、意志を持ってした行為には、しっかりした考えがあっての事だと思います。それを知ることができて、嬉しいです。
世の中に真摯に向き合った一人の青年。もっともっと違った道もあったのになぁと惜しまれます。
Posted by ブクログ
高校生だった著者が、ある朝の特別な朝礼で校長から聞かされた訓辞。同校出身の奥平さんが起こした事件から、この人のことを書きたいとふと芽生え、50年後に書き上げたというあとがきがある。
物語の主人公である不遇な女性ジャーナリストとともに奥平さんをモデルにした千尋とその人が手元におくヴェーユの思想をなぞっていく。駆け回り悩む主人公とともに世界の動きやこの人の思いをわかりたい、とは思えども、私には根本的な千尋の活動の転換点やヴェーユの記述が理解しがたかった。セツルや弱者への活動が闘争や正義のためと称する攻撃に向かう狂気、あたかも真面目に考え考え続けた若者が向かった先のようで、時代が違えば大学生としての自分の隣にあった思想なのか、というように物語られるけれど、やはりわからない。主人公の元恋人のようにすごい人というふうな気持ちに、全く共感できない。
それでいいのか、と感じながら本を閉じる。
少なくとも、書かねばならないという著者の気持ちが伝わり、この事件を知らねばならない忘れてはならないということを、自分の中に刻み込めたことに、読んだ価値があった。
Posted by ブクログ
作者の小手鞠さんが50年の想いのがこもった作品。お話し悲しいな。あの時代に生きた人々の思いが伝わる。でもたくさんの人々が亡くなるテロは、悲しい。テロがテロを生むのはやりきれない思いでいっぱい。
Posted by ブクログ
2022/10/25リクエスト 1
1972年5月30日、イスラエルのテルアビブ空港で乱射テロ事件が起こる。
起こしたのは3人の日本の若者たちだった。
京都大学の渡良瀬千尋は、大学入学後、セツルメント活動、肉体労働に打ち込む。セツルメント活動とは、ボランティアの一種で、持てる者、富める者が持たざる者、貧しいものと共に行動、生活をすること。
学力、学歴がない親から生まれたこどもはやはり学力が致命的に低い。親が働き詰めで、それでも大した給料を得られないから、こどもどころではない。貧困、学力低下、就職差別、底辺の仕事にしかつけない、こどもも同じ道をたどる…
悪循環を断ち切るため、こどもたちが生まれたときから背負っている悪循環からの開放を目指す闘い。
デモに加わり混迷から抜け出すため、セツルメント活動と決別、日本民主青年連盟へ加入する。そこから日本赤軍の主要メンバーであり、最高幹部であり、軍事委員でもある
渡良瀬千尋となる…
イスラエルのテルアビブ空港で世界初の空港事件は、日本人3名によるものだった。
初めて知った。ショックだった。
その後に続くテロの元凶は、ここにあった。
どうしてそこまで、まっしぐらなのか。
どうして異国でそんな事件を起こさなければならなかったのか。
書かれている、政治的思想や活動、シモーヌ・ヴェイユに対する憧れというか、崇める気持ちなどなど、とても理解できない。
【著者からのコメント】
恋愛小説ではありません。歴史小説でもありません。今から約50年前に、世界で初めて空港で乱射事件を起こして、その後の世界秩序を塗りかえてしまったのが日本人であった、という事実を今の日本で認識している人はどれくらいいるでしょうか。これは負の事実かもしれません。しかし、事件を起こした人物(私の高校の先輩)を、私はどうしても全面的に否定できないのです。なぜなのか? その理由を知りたくて、この作品を書きました。
著者を否定する訳では無いが、全面的に否定できない、という気持ちを理解したかったが、残念ながら私にはできなかった。
考えなければいけない問題なのだろう。
ただ、今、自分の人生には、その余裕がない。
時間をおいて読み返しても、この渡良瀬千尋のモデルである、奥平剛士の感情の揺れ動きは理解できないような気がする。
読み終えて、とてもショッキングな内容に茫然自失。