【感想・ネタバレ】新海誠 国民的アニメ作家の誕生のレビュー

あらすじ

【「個人作家」としての新海誠の特異性が明らかに】
『君の名は。』と『天気の子』が大ヒットを記録し、日本を代表するクリエイターになった新海誠。
11月11日には最新作『すずめの戸締まり』が公開予定であり、大きなヒットが期待されている。
しかし新海は宮崎駿や庵野秀明とは異なり、大きなスタジオに所属したことがない異端児であった。
その彼がなぜ、「国民的作家」になり得たのか。
評論家であり海外アニメーション作品の紹介者として活躍する著者が、新海誠作品の魅力を世界のアニメーションの歴史や潮流と照らし合わせながら分析。
新海作品のみならず、あらゆるアニメーションの見方が変わる1冊。

【主な内容】
■新海誠が目指す「絆創膏」としてのアニメ
■100年に渡る「個人作家」の歴史から見る新海誠
■国民的作家になる予兆は新海誠が手掛けた「Z会のCM」にあった
■観客の感情移入を生む新海作品の「棒線画性」とインタラクティブ性
■新海作品の「現実の肯定」と21世紀のアニメーションの文脈
■ディズニーと真逆の方法で「感動」を生み出す
■エイゼンシュテイン・ディズニー・新海誠
■新海誠はあえて人間を描かない
■人間よりも背景が生きている
■人間を動物として捉える
■「文芸作家」としての新海誠
■新海作品とオカルト
■20世紀のアニメーションの常識を覆した『彼女と彼女の猫』
■現代の寓話としての『ほしのこえ』
■『秒速5センチメートル』の「人間不在」と「過剰なまでの一体化」
■『言の葉の庭』の「キャラっぽさ」の不在
■『君の名は。』に見る新海作品の人間観
■『天気の子』のポピュリズム性

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Posted by ブクログ

ネタバレ

アニメ界の巨匠たち、宮崎駿や高畑勲、富野由悠季、押井守、細田守と同列に並べて考えてしまいやすけれど、現実を肯定する姿勢において、彼らとは一線を画する。また、『君の名は。』と『天気の子』とで、同じように災害を扱った作品のように捉えてしまいそうだけど、『君の名は。』:主人公たちは「器」でしかなかった、『天気の子』:主体的に行動し世界の形を変えた、という対称的な作品であると気付かされた。

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2023年03月21日

Posted by ブクログ

新海監督の映画は【巨大な個人制作】と呼ばれるらしい。
完全な個人制作はリソースが限られるが、映画に限らず制約ある環境下での傑作は多いと思う。

際限ない選択と集中が働くからだろうか…

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2022年12月30日

Posted by ブクログ

個人作家として監督デビュー。一人でPCでアニメを作った。
脚本と編集だけは、今もひとりで行う「巨大な個人製作」。
「彼女と彼女の猫」1999年 猫の視点からの女性の物語 テレビアニメ化
「ほしのこえ」2002年 SFロボットアニメ DVD10万枚以上売り上げ
「雲のむこう、約束の場所」2004年 集団制作長編SF
「秒速5センチメートル」2007年 現実の映像化 傷の治りを早くする絆創膏
「星を追う子ども」2011年 神道的世界観
「言の葉の庭」2013年 多チャンネル展開

「君の名は。」2016年 
 絵と言葉と音でリアリティ、動きではなく
 PCにより、動かすことにコストがかからなくなった
 キャラクターの不在 モーションから エモーションへ
 現実世界を輝かせる キャラクターとのレイヤー 現状肯定
 思いが届かない 疎外感 脆くて儚いもの

 ディズニー
  資本主義の集団の夢、道徳的な世界
 
「天気の子」
 バーチャル3Dによるジオラマ性 絵コンテなし ジオラマ性
 届いてしまうもの、議論を呼ぶものとしての構想 ポピュリズムの映画
 主体性のキャラクター 現状否定 手の届く世界

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2023年01月04日

Posted by ブクログ

新海誠をタイトルに冠しているが、作者は新海誠その人自身に焦点を当てたいわけではなく彼の作品を順にたどりながら、アニメーションというものの歴史も紐解きたい、という本。
タイトルだけ見て買うと、肩透かしを喰らうかもしれない。
しかし、読んでいくと新海誠の異質さみたいなものが論理的に理解できて面白いし、「君の名は」から「天気の子」への変貌やたくらみもわかって、個人的には満足した。
ちょっと前半が冗長であるのと、個人的なことかもしれないが、よくわからないアニメーターの名前が出て来る割にその人に対する解説的なものが不足していて、あとで「前にも言及したが」と書かれてもどれだかわからない、という事態が発生したので、星は4。

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2022年11月06日

Posted by ブクログ

ネタバレ

新海誠作品を見終わった後、感動とともになんとも言えない胸がワサワサする感じ、作者はこの現象を言葉を尽くして説明しようとします。
本書の具体的内容に入る前に、新海誠を現在の彼足らしめた功労者がいます。川口典孝は伊藤忠商事社員ですが、新海作品に惚れ込んだ彼は個人で億単位の借金をして新海誠の制作を支えました。「君の名は。」でタッグパートナーとなった東宝のプロデューサー川村元気もキーマンです。

以下は、本文中気になった言葉をピックアップした個人的メモです。
【秒速5センチメートル】
《三部作のラスト作品のクライマックスでは、社会人になっても子供の頃からの恋愛を引きずりながら新宿近辺に暮らす貴樹に対して、明里は結婚が決まり田舎から上京。二人は東京でニアミスして、感動の再開を果たす…のではなく「そんなことはありえない」と悲しげに笑って去ってゆく。BGMは、山崎まさよし「One more time, One more chance」、雪の降り始めた新宿の光景がドラマチックに彩られます。》
監督は、「絆創膏の様な作品であってほしい」と願う。
傷ついた心の治癒を手助けする。
従来のアニメ作品の様な現実逃避型(逃げ道)ではなく、現実と折り合いをつけて前向きに生きることを後押しするという意味。
また、強い個性を持たないキャラクター(匿名性が高い)を描くことで、観客に登場人物に感情移入しやすい余地を残す。
モーション(派手な動き)はないがエモーション(心のゆらぎや寂しさ)がある。
キャラクターはシンプルだが、背景描写は濃密。なんでもない街の景色や自然が、生命の息づくような迫力と美しさを内包している。→日常系とよばれるアニメジャンルと呼応するように聖地巡礼ブームへとつながる。
日常系は、この世界の中に居心地のいい場所があると錯覚出来るが、新海作品にはそれがない。むしろ、巨大な世界の中で自分がひとりでしかないという悲しみ、空虚さを沸き立たせ、孤独なナルシシズムの感情が優越する。

【君の名は。】
宮崎駿、高畑勲、富野由悠季、押井守、細田守などが、作品に現実社会への批判的メッセージを意識的、無意識的に埋め込んでいるのに対し、新海作品は思想性が希薄。「世界はこのようにあるべきではない」ではなく「世界はこうですよね、そんな中でも頑張りましょう」的姿勢。
無力だけど精一杯生きる、この壮大で美しい現実に対して唯一できること。

今でこそ、新海誠は売れっ子アニメ作家兼監督ですが、スタートはゲーム会社勤務の傍ら余暇を使ってアニメを自主制作という下積み時代が長く続いていた事実を忘れてはなりません。彼の作品に共鳴する同志が自然発生的に増えてきたのは、やはり彼にカリスマ性があったからでしょう。

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2025年08月09日

Posted by ブクログ

45
マッケイ
50
巨大な個人制作、アレ・アブレウ
53
スタジオジブリの意識=個人ではなく工房
55
スタジオジブリの制作部門の解体
69
言葉と音楽によるマルチメディアな朗読劇
動きのような視覚的なものでリアリティを作らない
84
動きのないアニメの再開発
95
人がいない背景→emotional
104
「従来のアニメーションが、自分自身で運命を切り開いていくような、いわば「世界の中心にいる」人物たちを描いてきたとすれば、新海誠の作品は、世界の変化、時間の経過に対抗すべを持たないような、無力で匿名性の強い、世界の片隅にポツンと佇むにすぎない人物たちを描いている。人間が無に等しいのです。」
132
139
感情曲線
150
162
「人間よりもむしろ世界が優越する、そのなかで人間は無力である」
192
194
ポピュリズムの映画
≒エイゼンシュテイン「アトラクションの映画」
209

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2023年01月24日

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