【感想・ネタバレ】煉獄の時のレビュー

あらすじ

〈矢吹駆シリーズ〉11年ぶりの最新作!

著名哲学者の手紙の盗難と、川船で発見された全裸の首なし屍体、そして39年前のトランク詰め首なし屍体。3つの事件を駆は追う。

第二次大戦前夜のパリで起きた、連続トランク詰め首なし屍体事件。
そして39年後、不可能状況で発見された新たな首なし屍体――。
時空を超え広がる謎の迷宮に、矢吹駆が挑む!

1978年6月。ナディアは著名な作家のシスモンディに、友人・矢吹駆を紹介する。シスモンディのパートナーであり、戦後フランス思想家の頂点に立つクレールが彼女にあてた手紙が消失した謎を駆に解き明かしてほしいというのだ。しかし手紙をネタに誘い出されたシスモンディとナディアは、セーヌ川に係留中の船で全裸の女性の首なし屍体を発見する。事件の調査のためリヴィエール教授を訪ねると、彼は若き日の友人、イヴォン・デュ・ラブナンのことを語り始める。39年前、イヴォンも首なし屍体事件に遭遇したというのだ――。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

矢吹駆シリーズ第7弾。

1978年6月。思想家のクレール(サルトル)がパートナーのシスモンディ(ボーヴォワール)に宛てた手紙が失くなる。そして手紙をネタに誘い出されたシスモンディは、係留中の川船で全裸の女性の首なし屍体を発見する。事件の調査のためナディアと矢吹駆がリヴィエール教授を訪ねると、彼は若き日の友人イヴォンのことを語り始める。39年前、イヴォンも首なし屍体事件に遭遇したというのだ。

〈消失〉と〈簒奪〉をめぐる現象学的本質直観が、二十世紀の観念論をも批判する802頁の大巨編。ひたすら圧倒されました。

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2025年10月12日

Posted by ブクログ

ネタバレ

やっと読み終わった…。一カ月かかりました。

 フランスにおける第二次世界大戦前夜、戦中、戦後の政治史だけでなく、文化史、思想史、社会情勢を詰め込んだかのような小説でした。

 革命、テロル、抵抗運動、レジスタンス、の意味や意義を作者なりに(バイバイ・エンジェルを素に)再検証しているようでもあり、ナチスのホロコーストを(サマー・アポカリプスや哲学者の密室、薔薇の女を基に)再批判しているようでもあります。

 イヴォン(第一作)、リュミエール(第二作)、ルノワール(第三作)、ハルバッハ(第四作)、タジール(第五作)、アスタルテ(第六作)、クレール(本作)など過去のシリーズの登場人物たちがある者は主要キャラとして、ある者はチョイ役として登場します。
 (バタイユ、ヴェイユ、ハイデガー、サルトル、ボーヴォワール、岡本太郎などが小説の中でモデルとして登場しています)

ナチズムは政治結社ではなくて宗教結社であった。
であるならば、政治的な対応ではなくて、宗教的な対応でなければ抵抗し得ない。イギリスとフランスは政治的に対応してしまったからナチズムの拡大を許してしまったのか?
いや、おそらく近代の歪みが極めて極端な形で露見してしまったのだろう。ドイツも日本も。
「剥奪」は近代の負の産物なのかもしれません。


以下、自分用

p225 戦争に巻きこまれた革命は民衆の自己権力を党派の独裁が駆逐していくことで変容する。中略 革命の戦争化は民衆的な開放性を暴力と報復の陰湿な論理で必然的に冒していく。戦争の論理に蝕まれた革命は精神的にも制度的にも、革命の反対物へと必然的に変質していく。
p260 「全体主義でない革命は敗北する」

p321 二十世紀の破壊的な新型戦争のために、前世紀の文化や芸術や精神は土台から崩れ落ちた。形骸化した近代芸術を破壊するダダイスムやシュルレアリスムの運動もそこから必然的に生じた。
p383 二十世紀人は前世紀のロマン主義者のように上方にではなく下方に向けて超越しなければならない。清澄な天上ではなく腐敗と汚濁が渦巻く地底へと。

p482 どのような理由があろうと、怒りに駆られた被害者が適正である以上の暴力を奮うことは許されない。中略  力が暴力化しないための自他にわたる抑制が必要だし、暴力が行使された場合には不均衡の再均衡化が、すなわち適切な報復がなさなければならない。しかも報復は被害者の権利でもあり義務でもある。報復は自身で行う義務が課せられていて、他者を代行させてはならない。

p573 戦後一貫して政権を掌握し続けてきた日本の議会内保守勢力は、中略 経済的には資本主義を肯定し、外交的には反共親米、理念的には自由民主主義を揚げているが、中略 日本の保守勢力は戦前の日本帝国を理念的には肯定しながら、アメリカの属国である現実に疑問を持たないという欺瞞的な二重性がある。
p581 敗戦国に敗戦という精神的な傷が残ります。敗戦を終戦と言い換えることで歴史の切断を回避した日本人は、その自己欺瞞に呪われ続けます。

p742 私の身体は物質的構造として半ばモノにすぎないが、しかし私という生きられる主観は私の身体なしに存在することができない。自己存在を可能ならしめる特権性を帯びた場という点で、身体はモノ一般には還元されてない。たとえ一部であろうと自己身体の消失とは、先取りされた自己存在の消失、人間的可能性としての消失の体験に他ならない。
p747 消失に怯え、消失を恐れ、消失から逃れようとしてそれを剥奪、強奪に置き換えるナチズムと、それに連なる巨大暴力。自己存在の消失可能性を先取り的に生きることは、こうした暴力への根源的な抵抗に他なりません。
中略 ユダヤ人が消えたから私は消えない、消えなくてもすむという態度は、頽落の延長線上に生じる。
p773 所有と剥奪の論理が極限に達した時代が近代だ。そして二十世紀、消失を否定する剥奪の原理が全面化し世界を支配しはじめてホロコーストが現実化する。

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2025年03月23日

Posted by ブクログ

ネタバレ

思想面について語る知識も言葉を持たないので過去編の構造についてだけ。









作中ではリヴィエール教授がイヴォンのことを話すという体で過去編が始まるが、この過去編はイヴォンを視点人物として構成されている。
わざわざ教授がイヴォンになりきって話すというようなことをするとは考えられない。
つまり、ここでナディアたちがリヴィエール教授から聞いた話と過去編とでは、厳密に考えれば別物の話の可能性が出てきてしまう。
ナディアの思考や作中の会話により、過去編の語りの重要なポイントは読者が読んだ過去編と照らし合わせて了解できるようにはなっているが、イヴォンの心情は確実に教授の話では語られない(あってもイヴォンの思いを又聞きで話すぐらい)

この謎は作中の終盤にナディアが今回の話を小説とするときに、過去編を間に挟むことが示唆されることで解消される。
タイトルは違うかも知れないが、『煉獄の時』という、後にナディアが書いた作品の、ナディアが書いた過去編だからこそ、イヴォン視点で心情まで含めて描かれている。
この場合であれば現代と過去編はナディアという同一作者によるものであり、教授の語りと過去編は同じものなのだと理解できる。

けれどもここで物語の信頼性という面で逆転が発生してしまう。
過去編がナディアが書いたものではなく、それ自体が神の視点で描かれた物語ならば、読者はそこに描かれた心情も(作品世界において)確かなものとすることができる。
一方でこの過去編がナディアが書いたものだとするならば、イヴォンの心情や細かい描写の数々はナディアという書き手のフィルターを通して推測・想像されたものということになり、それらが実際に正しいものだったのか信じることが出来なくなってしまう。

神の視点で描かれている場合はナディアたちが聞いた内容と読者が知っている情報に乖離が生じ、ナディアの書いたものであればイヴォンという人物の物語が本当なのか確実性が失われる。


悩ましい話。
ただこれはミステリでワトソン役が後に小説として書くというよくある形式の根底に常に存在する話だし珍しくもない話ではある。
それが今作で強く意識されてしまったのは、結局のところ教授の語りとして始まったのに、いきなりイヴォンの視点で過去編が始まったという部分が印象に残ったせいかな。
(『哲学者の密室』はどうだったっけ?)

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2022年10月09日

Posted by ブクログ

ネタバレ

矢吹駆シリーズの前2作を読んだ者として、読み終わってひとつやり遂げた感があります。

日本の奇妙な敗戦とフランスの奇妙な戦勝についての考察が強く印象に残りました。

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2022年10月31日

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