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Posted by ブクログ 2023年11月03日
1972年の新日本プロレス、全日本プロレス旗揚げから、昭和の終焉となる1988年までの16年間。
ゴールデンタイムのテレビ中継に日本中が熱狂した。
「燃える闘魂」アントニオ猪木。
「東洋の巨人」ジャイアント馬場。
日本プロレスの創始者・力道山にスカウトされた二人は、それぞれの団体を率いながら...続きを読む、熾烈な闘いを繰り広げていった。
この16年間、未だに語り継がれる多くのドラマがあった。
逝去直前の猪木へのインタビューで本書はスタートする。
一つ一つの出来事を丹念に探りながら、当時は知り得なかったエピソードも交えて、歴史をひもといていく。
16年間の旅路の終わりは、テリー・ファンクと天龍源一郎の対談で締めくくられる。
私自身、幼稚園から大学入学までの最も多感な時期に大きな影響を受けたことばかりだ。
「夢なんていうのはそんなに簡単に叶うものじゃないし、追い掛けて追い掛けて、やっと追い付いたかなと思うと、蜃気楼のようにまた遠くに消えてしまう。だから俺があと何年生きるのか知らないけど、最後まで夢を追い続けることで少しでもみなさんのためになればと思っていますよ」(アントニオ猪木)
「70年代後半から80年代前半、オールジャパン(全日本プロレス)のあの10年間のブロックは、グローバル的にナンバーワンのカンパニーだった。ニュージャパン(新日本プロレス)と比較するだけじゃなく、全世界で比較しても、ナンバーワンはビンス・マクマホンJr.のところなんかじゃなく、オールジャパンだったね」(テリー・ファンク)
「俺がプロレスに入る気持ちを固めたのは、ジャンボ(鶴田)とテリーさんのNWA世界戦を観たのがきっかけだからね。1975年だったけど、あの試合を観て『プロレスっていいな』って思ったんだよ」
「そこにはプロレスが、スポーツだとか、lショーだとか、どうたらこうたらってのはないんですよ。観ていて本当に楽しかった。だから、あれが俺のプロレスの原点だと思う」(天龍源一郎)
「プロレスとはゴールのないマラソン」とは武藤敬司の言葉だが、見続ける我々もゴールのないマラソンを走り続けていく。
闘魂も王道も、永遠に輝き続けていく。
Posted by ブクログ 2023年04月29日
大好物すぎる、永遠に読んでいられる笑
でも、それだけじゃない。
写真のチョイス、切り取り、見せ方。
新日と全日の並べ方、バランス配分。
同世代の人は皆、納得だと思う。
にしても、たった16年なのか!
それが驚き。なんて濃密な16年だったんだ!