あらすじ
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「一国の経済成長と密接な関係があるのは、株価ではなくて生産性上昇率である。2010年代も含めて日本を『失われた30年』と言うなら、米国も大局的には『失われた30年』であり、米国の方が途中で少し良い時期があっただけにすぎない。」(本書第2章「正しい『成長戦略』の難しさ」から)
著者は、白川方明、黒田東彦の2人の総裁を支えた元日本銀行理事。現在はエコノミストとして活躍している。デフレ脱却を目指したアベノミクス、日銀による異次元の金融緩和の前提としてあった日本経済をめぐる「通説」が果たして正しかったのだろうか。この10年の金融財政政策を総括し、新たなフレームを提示する。
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Posted by ブクログ
「ゼロインフレの磁力」があるならば
日銀には、国債の買い 入れを減額しつつ、それを「緩和の後退ではない」と説明できる魔法のような仕掛けが必要だったのである。その仕掛けこそが、イールドカーブ・コントロールであった。 「短期金利」「長期金利」の二変数で金融緩和の度合いを表すなら、それらの目標水準を変えない限り、国債買い入れの量をいくら減らしても「緩和の後退ではない」 と説明できる。「量」はもはや、それを増やせば金融緩和、減らせば金融引き締めという関係にはない、ということにしてしまったのである。(本書より)日銀は2022年12月20日の金融政策決定会合で、長期金利の上限を従来の0・25%から0・5%程度に引き上げた。これを巡って市場では、日銀が利上げしたと言ってよいかどうかちょっとした論争になった。市場では、利上げと受け止める向きと、利上げに当たらないという見方が混在した。当時の黒田総裁自身は会合後の記者会見で「利上げではない」と説明したが、約3カ月前の9月26日の大阪市での会見で、長期金利の上限引き上げが利上げに当たるのかとの質問に「なると思う」と明言していて、日銀ウォッチャーの理解を混乱させた。日銀はさらにその時の決定会合で、幅広い期間の国債を無制限に買い入れることも決めてた。長期金利の上限引き上げは金融引き締めで、国債の買い入れは金融緩和の方向に働く。結局、金融緩和したのか金融引き締めをしたのか。その時の日銀の決定は、市場には分かりにくいものに映った。しかし、これはどう解釈してもよかったのだ。冒頭の本書の引用部分がそれを示唆している。つまり、市場がどちらに解釈しても、日銀が言い訳できる制度として取り入れたのが、イールドカーブ・コントロールだった。金利の目標水準を変えなければ国債買い入れの量の増減が緩和と引き締めに関係ない。これが冒頭引用部に示した導入時の立て付け。今回は、国債買い入れ増を続けるなら金利の目標水準を変えても緩和である、と理屈をずらした。イールドカーブ・コントロールは、金融緩和を続けているという建前を維持するための「二枚目の舌」なのだった。では日銀は、緩和を続けている、という姿勢をなぜ保たねばならないのか。それは、政府・日銀が2%の物価目標を掲げていて、未達だからだ。だが、低成長・低金利の時代の中で2%目標の「物価の番人」たることが日銀のあるべき姿なのか、というのが本書の問いだったと思う。本書に出てくる「ゼロインフレの磁力」という言葉は印象的だ。過去30年は、インフレ率が多少上昇しても再びゼロインフレ近辺に戻るという現象が見られる。人々にとっての物価の望ましい水準は、目標とする2%上昇より、前年と変わらない「ゼロインフレ」なのではないか。だとすれば、物価目標の設定はどこか無理があり、目標の達成まで金融緩和を続けるという政策も的外れかもしれない。経済学の教科書を超えて、ゼロベースで物を見ようとする筆者の観点は大変面白く、その姿勢は敬服する。筆者は白川、黒田と2代の総裁に仕えた日銀の上級幹部で、その時その時の政策の狙いを正確に知悉している。ちまたにあふれる周辺的な立場の憶測的な分析とものが違うのは確かだ。
Posted by ブクログ
牽強付会の論者、ポジショントークの論者が多いのが経済の本。
これはこうすれば解決とか
今の政策の全否定とか
その明解さはyoutubeなどを始め本でも多々あり、多くの人が迷わされている。
もちろん最近は情報源が嘘やデマでもそれで物事が自分に都合よく動けばそれでいいから支持する、って考え方の人が増えてきている感もある。やれやれ、困った時代になった。
しかしながら、そもそも"銀の銃弾"はない。
この本は「わからないことを誠実にわからないと言う」姿勢が非常に好感もてる。
こんな書き方をよく見る。
「失われた30年」生産性も伸びず、経済成長もしない日本
そこから
消費税が悪いとかもっとお札を刷れば解決、とか、企業が内部留保でため込んでいるから税金かけろ
とか、生産性が低いからジョブ型にすべき、とか正社員を全員非正規にとか、あるいはその逆とか、解雇自由にしろとか
そういうバサっとした書き方をする。
気持ちは良いものの、実際には再度書くが"銀の銃弾"はない。
本書はまず
こう書かれている。
経済論壇では、「失われた30年」といった自嘲的な捉え方が今も定番である。
企業にも個人にも、そして何より政府に対し、奮起を促す論調が多い。(中略)
日本の生産性上昇率は、他の先進国に劣っているわけではない。人口の減少・高齢化が急速に進行中であること以外、日本は普通の先進国である。もともと普通の先進国なのだから、ここから成長を高めるということは、卓越した先進国になるということである。それは奮起すればできるなどと気軽に言える話ではない(P4)
まず生産性に関して言えば、「日本が特別にダメだったわけではない」という冷静な視点がある一方
個人個人の頑張りで急激に成長できるようなステイタスにそもそもない、という事に気がつかされる。
そして
中長期的な経済成長を確実に高める方法があるなら、透明性のある議論で世論の支持を得て、既得権益も乗り越えることができるだろう。しかし、現実にあるのは不確実性を伴う処方箋や仮説だけであり、懐疑論や反対論にも一理ある場合が多い。それを突破するのも政治の役割かもしれないが、専門家の間でさえ意見が割れる政策を、政治の責任で「思いっきり試す」ことは簡単ではない。民主社会においては、おそるおそる、いろいろなことを試してみるしかないように思う。(P5)
いろいろ試しながら経済政策を進めていくしかないという事でしかないわけだ。
もちろん試すという事は効果測定が絡むわけだが。
また生産性の話もわかりやすいし納得性のある話だ。
例えば半導体やコンピューターなどは技術革新が速く、生産性はすさまじい勢いで伸びる。これはその分野の性格上そうなのであって、他の多くの分野では同じように生産性を伸ばすことはできない。例えば散髪というサービスは、昔も今も一人の人間が別の一人の人間の髪を切るというサービであり店内オぺレーションやシャンプーの質などで限界的な改善はできても、革命的な生産性上昇(例えば一人で一度に十人の髪を切る)は起こらない。
「生産性の低い分野から高い分野に人や資本を移すべきだ」という議論がある。しかし、生産性が伸びるコンピューターや半導体だけをたくさん作ればよいというわけではない。散髪に従事する人たちはいつの世にも必要である。(P102)
そもそもサービス業そのものの生産の低さについても
日米間のサービスの質の違い(中略)は、日本の方が概してサービスの質は高いが、その程度は1~2割であり、サービス業で5割程度と推計される日米生産性格差の一部しか説明できないというものであった。(P90)
つまるところ、3~4割は価値が認められていないという状況になっているといえる。
大きな主旨としては「株価が上がったから成功」という単純な評価ではなくなっているのは
要するに株主重視の経営になると、少子高齢化の日本より必然的に海外に投資するようになるという事、つまり施策として
人々が低賃金でも働かざるをえない立場に置かれている限り、低賃金労働を活用してコストを下げるビジネスモデルが、企業の正しい経営戦略になってしまう。逆に言えば、「いやなら働かなくても暮らせる」「低賃金の仕事ならいつでもやめられる」という立場に労働者があれば、資本に対する労働者の対抗力は高まる。(P131)
企業経営者にとっては、国内での設備投資や人件費を抑え海外展開を強化することが、株主に説明しやすい成長戦略になる。つまり、国内に成長ストーリーが乏しいという条件が最初にあると、株主の声が経営に反映されるようになればなるほど、「合成の誤認」による国内市場の縮小スパイラルが増幅されやすくなるのである。(P57)
という話は非常にわかりやすい。
ダロン・アセモグルMIT教授は、『Project Syndicate』への投稿で、米国が旧ソ連を凌駕したのは必ずしも自由主義市場メカニズムのおかげではない、と述べている。当時は米国政府が補助金などで積極的にイノベーションを支援したこと、財政の再分配制度がうまく機能していたことなどが重要であって、社会的に望ましいイノベーションは完全に自由な市場からは生まれにくいという事と繋がっている。
また経済学者のデイビッド・H・オーターMIT教授は、技術革新によってハイスキルの人たちは賃金が上がるが、スキルが中間以下の人たちの賃金はむしろ下がっている、と指摘、
AIなどイノベーションが進みさえすれば賃金が全体として上がるわけではなく、いかに中間層を分厚くするかが政策的には重要となる。
本書は、経済政策の「正解探し」ではなく、いうなれば「問いの立て方」そのものを教えてくれる一冊。
もちろん日本経済の複雑な現状を、過去のデータと理論をもとに丁寧に整理しながら、未来へのヒントを探る姿勢は、経済に関心があるすべての人にとって学びの多い内容だろう。
ワタシの主である労働関係でもまっとうな理解と提案があり首肯くばかりだ。
(メンバーシップ型は)企業収益が悪化する局面では、雇用が守られるだけでなく、賃金の引き下げも限定的なのである。「人手不足でも賃金が上がらない」という現象は、「会社が苦しい時でも賃金は下がらない」こととセットで考えれば、その「保険契約」の対象労働者にとっては、一方的に不利とは言い切れない。
それでも、こうした「保険契約」が埋め込まれたメンバーシップ型の雇用形態を、米欧で主流のジョブ型雇用の方向へ近づけていくべきと考えるかどうかは、大きな論点である。それは必ずしも、その方が経済成長に資すると明確に言えるからではない。
(中略)メンバーシップ型雇用をどうするかは、同一労働同一賃金、女性活躍を含めた多様性、ワークライフバランスなど、「社会的公正」をどう考えるかということと密接に関わる論点である。(P75)
読んで損はありません。
Posted by ブクログ
日本はプライマリーバランスを黒字化すべきなのか、それともガンガン国債を発行すべきなのか、本著を読むと、その両方が極論に過ぎないということがわかります。
タイトルだけを見ると、何だか「隠された真実が…」的な陰謀論っぽい香りすらしますが、何のことはない、表層から見えない解釈を含め、2016年まで日銀におられた著者の観点から考察や試論が語られた1冊です。
1. グラフには簡単に騙される
2. ちょっと特殊になってしまった日本のマインド
1. グラフには簡単に騙される
人間、グラフには簡単に騙される。だからこそ背景を知って知見を育まないといけないと本著を読んで感じた次第です。
p.87に労働生産性の水準を国際比較したグラフがあり、日本の生産性はアメリカ、ドイツ、フランスと比べて3割低い。著者が言うように額面どおり受け止めると「日本経済は本当にだめだ」となり、ただデフレ脱却やデジタル化等でだめな部分を直せば成長できるという楽観を生んでしまう。
「この比較からはあまり多くを読み取らない方が良い」「比較すべきは生産性の上昇率」
ということで、国毎に生産性は異なるので、対外比較で「日本は生産性が低い!」と叫ぶ意味はなく、推移を見るべきというのが本著の主張。
あと、個人的には「生産性」という日本語(productivityの和訳?)は、効率が含意されているように感じ、これが結果的に生産性を下げているようにも感じます。何となく、60分かかる仕事を30分で終えることが生産性向上だと思ってる気が。マクロのGDPの観点だとみんなで太る必要があって、インプットを細らせることが目的になるのはちょっと違う気がしました。
2. ちょっと特殊になってしまった日本のマインド
本著の「2%程度のインフレは当たり前という前提で賃金を決める習慣」が必要という指摘。我々に染み付いてしまったデフレマインドをどうするかという問題なのかなという気がします。
そう思うと、「簡単に雇用を切れないから賃金も簡単には上げられない」にどの切り口から切り込むかが次の課題で、本著2-7で3案が提唱されています。ここで挙げられたもの以外にも、現在実現したもの(リスキリング支援等)や、これから実現しそうなもの(給付付き税額控除等)もあり、本著の先見の明を感じます。
少し前の本(2022年出版)ではありますが、あらためて今まで日本の金融政策がどう変わってきたのかを振り返り、今後を展望するのに良い1冊ではないかと思います。
Posted by ブクログ
筆者は日銀に2016年まで35年勤務され理事まで務められた元日銀マン。内容はとてもフェアで良心的。…というのも、通説や世間の俗説に対する筆者の見解を丁寧に述べながらも分からないことは分からないと書いているため。
逆に言うと牽強付会な筆者の強い主張もないので、読み終わっても「で、結局日本経済の状況に対する処方箋は?」とモヤッと感は続いてしまうのですが、ここの論点に対して頭の良い方に整理していただいたような読後感の一冊。