あらすじ
明治維新から西欧にならって殖産興業を急ぎ、新しい組織=株式会社が次々にできたことで生まれたサラリーマンはどのように「成長」してきたのか。現在では「ありふれた一般人」の総称とされるサラリーマンは、いつ社会に登場したのか。また、サラリーマン層を「安定」の表象とする社会意識の浸透には、どのような歴史的・社会的背景があるのか。
「ありふれた一般人」という集合体としてだけ語られがちなサラリーマンに焦点を当て、彼らが生きた各時代の社会のなかで、彼らのどのような心情が様々な文化表象に反映されてきたかを明らかにする。具体的には写真、漫画、映画、そして文学作品、とりわけ文学作品という虚構の背後にそびえる社会状況をサラリーマンの視点から読み解いていく。
立身出世、小市民、インテリ、労働組合――。かつて「一億総中流」といわれ、その象徴として「安定と平凡な家庭生活」の代償に働き続けたサラリーマンたちのさまざまな表情を、各時代を生きたリアリティとともに浮き彫りにする労作。
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Posted by ブクログ
谷原吏『〈サラリーマン〉のメディア史』の中で、近々出版される、と言及されていた本です。朝日新聞の書評でも、同時に取り上げられていました。同じテーマのシンクロニシティだとしても「メディア史」と「文化史」の違いを感じました。「メディア史」の方はサラリーマンという存在が社会からどう「まなざされて」来たか、の歴史ですし、「文化史」の方は副題に『あるいは「家族」と「安定」の近現代史』とあるようにサラリーマンの心はどう揺れ動いて来たか、の歴史です。「文化史」は士族という身分制度の崩壊から始まる「月給取り」という存在の出現を源流とする中間層の浮き沈みの物語なのです。だからタイムラインは近代産業史であり、舞台は都市(それも東京)成立史であります。朝日書評には「サラリーマン」のレクイエム、という言葉を両書共通に見出していますが、「文化史」が指摘している社会最下層への転落を恐れる存在としての「サラリーマン」という発見は、鎮魂歌というより現在進行形の問題かと感じました。また、それぞれの本がページを割いている映画についての違いが興味深いと思いました。源氏鶏太の「三等重役」を原作とする「社長シリーズ」は共通として、「メディア史」は植木等の「無責任シリーズ」、「文化史」は「江分利満氏の優雅な生活」というのがそれぞれの本の論点を象徴しているようです。つまり社会からどう「まなざされ」るか?が平均。自分の中の「恥ずかしい」とどう折り合いつけるか?が江分利満。テーマの違いだけではなく1986年生まれと1976年生まれという違いもあるかもしれません。それにしても岡本喜八特集で「江分利満氏の優雅な生活」見ておいてよかった。