【感想・ネタバレ】検察審査会 日本の刑事司法を変えるかのレビュー

\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

玉木宏主演ドラマ「ジャンヌの裁き」を見て、検察審査会に興味がわいたので読んでみた。この本では、検察審査会がなぜ重要なのか、どのように運用されているのか、その影響は何かを説明している。その副産物として、日本の刑事事件の起訴のありかたもよく理解できる。
日本でおいて、検察官は事件を起訴するかしないか、どの事件を起訴するかについて、広範囲な裁量を有している。確実に有罪に持ち込めるものについてのみ起訴するので、有罪確率は100%に近いが、一方で起訴されない案件も多くある。したがって、主に法で人を裁いているのは、裁判所の裁判官ではなくで、検察官だと言える。自民党安倍派の裏金事件で、虚偽記載の金額の大きさによって起訴するしないを決めており、検察が線引きを行っていることがわかる。不起訴になれば道義的な責任だけになってしまい、今回の裏金事件の裁きに納得感が乏しい要因だろう。
またドラマとは違い、「不起訴不当」と「起訴相当」の議決が出る確率は審査した事件数全体の7%弱に過ぎないことも事実としてわかった。しかし、審査会の存在が検察へのけん制が効いているようで、大切な制度であると認識した。

0
2024年04月23日

Posted by ブクログ

ネタバレ

検察審査会は、戦後GHQと政府関係者の妥協の結果生まれた。太平洋戦争の暗い谷間の時代の諸問題に対処するためにつくられた。市民11名。抽選で選ばれる。
検審バックのうち1/4程度が起訴に代わる。2回検審バックになると強制起訴になる。12年間で10件。いずれも無罪。検察の不起訴判断の正当性を証明している

日本の検察官の権力は強大。誰を被告人にするかを選んでいるのと同様。
起訴を慎重に行う傾向にある。保守的な基礎方針。送検された事件のうち55%が起訴猶予になる。増加傾向にある。
実刑が休憩されることは少ない。拘禁率(人口10万人当たりの受刑者の数)は39人、アメリカは639人。
被疑者被告人の権利利益の用語に長けているともいえるが、一方で裁判官の有罪推定が働きやすく、弁護士が育たない。有罪にしなかればならないというプレッシャーから、虚偽自白や冤罪のリスクが高まる。
「否定の文化」が根付いているため、刑事司法機関が過ちを認めることが難しい。
検察審査会では90%以上のケースで不起訴相当となる。検察官の不起訴を承認している。
ホワイトカラー犯罪は起訴されにくい。
刑事裁判の当事者主義はアンバランスなほど検察官に有利。
検察官は被告人を選択できる。オウム真理教の弁護をした安田弁護士。罰金刑で終わった。まず人に狙いを定めた事件。
起訴する権限は強大だが、起訴しないという権限も重大。濫用を防止する方法がない。唯一検察審査会がある。
アメリカでは検察官を選挙で選ぶ。
非違行為。違法ではないが間違った行動。証拠の不開示、供述調書の研修、長時間の取り調べ、仲間や政治に甘い。
イデオロギーの問題。検察官、政治家、ホワイトカラー犯罪者、DV加害者、性犯罪などに甘い。
アカウンタビリティーが働かない。内部では上官に対して、外部には特に不起訴のアカウンタビリティが不足。
検察庁の保守性から、行動が惰性になっている。
役割が曖昧。被害者の代弁者なのか、公益の代表者なのか、検察庁の役人なのか、慈悲の仲介者なのか。

被害者参加制度は、弁護人の弁護を困難にさせる側面。弁護人を従順にさせてしまう。
アメリカでは過剰拘禁が問題、日本では不処罰が問題。
警察官、政治家、ホワイトカラー犯罪者、DV、性的暴行などが不処罰になりやすい。
検察の民主化は、多義的な面があり混乱している。民主的であるためにはアカウンタビリティーが必要、それの増大は、独立性の減少。
アメリカはトップの選挙によってアカウンタビリティーを問える体制となっている。
p42

0
2022年07月21日

「学術・語学」ランキング