感情タグBEST3
Posted by ブクログ 2012年09月02日
[誤記訂正]
P102 3行目 「白川口」→「白河口」
P228 2行目 「義久が立腹して義久を厳しくたしなめた」
→「義久が立腹して義弘を厳しくたしなめた」
Posted by ブクログ 2018年03月21日
関ケ原での西軍の敗戦。
島津義弘率いる軍勢は、いかにして敵中突破し、薩摩へ帰還したか。
かの島津退き口を、多数の史料から解き明かしていく。
その壮絶な十九日間!
敵は東軍だけでなく、飢え、村人が襲い掛かってくる。
大坂城から親族の女性たちの奪還、海上での戦闘・・・危機連発!
島津家内での事情、家来た...続きを読むちの目からの撤退の様子等、
まるでドキュメンタリーのようでした。
Posted by ブクログ 2014年02月04日
島津家文書等の一級史料に基づく「退き口」の決定版。
戦場を離脱した島津軍のその後の運命は。生き残った
兵士の手記で綴る迫真の戦国ドキュメント。
本書を読むと、関ヶ原前夜から戦後の撤退行までの流れ
が良くわかる。家康と懇意にしていた島津義弘がなぜ西
軍についたのか、島津家家中の事情により、...続きを読む説明されて
いるが、理由が面白く納得いく。
島津傍観説というものがある。西軍についたものの、石
田三成と不仲になった義弘は、関ヶ原の戦い当日、戦に
加わることなく、傍観していたというものである。
著書は、史料の記述から島津勢は後陣であったという。
(つまり予備兵力として待機していた。)
また、三成自身の参陣要請を断ったのは、小早川の裏切
りにより、勝敗が決した後のことと推定している。
なかなか、面白い見方である。
土地勘も無い中部地方から、本領である鹿児島を目指した撤退行。本書を読むと、その労苦がしのばれる。