あらすじ
国民の約八割が信仰するヒンドゥー教と、少数派とはいえ有力な宗教が同居するインド。悠久の歴史において多くの宗教が生まれたこの地はまた、何度も外来の宗教勢力から侵略を受けたが、他宗教による攻撃すら飲み込みながらヒンドゥー教は拡大してきた。いく筋もの支流が集まり大河となるように、枝から延びる木根が幹となって大樹になるバニヤンのように……。仏教、ジャイナ教、ゾロアスター教、シク教、キリスト教、イスラム教など、ヒンドゥー教の歴史的ライバルとの対立や融和の関係から、インド文明を読み解く。
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Posted by ブクログ
国民の約八割が信仰するヒンドゥー教と、少数派とはいえ有力な宗教が同居するインド。悠久の歴史において多くの宗教が生まれたこの地はまた、何度も外来の宗教勢力から侵略を受けたが、多宗教による攻撃すら飲み込みながらヒンドゥー教は拡大してきた。いく筋もの支流が集まり大河となるように、枝から延びる木根が幹となって大樹になるバニヤンのように……。仏教、ジャイナ教、ゾロアスター教、シク教、キリスト教、イスラム教など、ヒンドゥー教の歴史的ライバルとの対立や融和の関係から、インド文明を読み解く。
ところどころ用語の説明が足りないと感じるが、インドで興った宗教、インドに根づいた宗教の特徴や、バラモン教、ヒンドゥー教との関係の変遷を把握できる。誤植もわりと多い。以下、概要。
・遊牧民族であるアーリア人の聖典『ヴェーダ』が、出家・修行の伝統をもつ先住民の宗教と融合しバラモン教となる。(遊牧民の宗教は世俗生活の安楽や子孫繁栄などを願う祭儀を重んじ、世俗を捨てるものではない)
・反バラモン教を唱え仏教とジャイナ教が生まれる。仏教は寛容・融和的な性格から、各地に伝わり普遍宗教となったが、一方でインドでは国粋主義的な王朝のもと祭儀を重視するバラモン教的性格に変容し(密教)、逆にバラモン教に飲み込まれてヒンドゥー教へと発展する。ジャイナ教は整備された教団組織を持ち、戒律厳守の堅持したので、インドでも存続を維持しつづけた。
・ヒンドゥー教とイスラム教の融和を目指したシク教は、すべてを超越した真理を信奉し宗教の違いを克服しようとした。そして日常において倫理的生活を送ることを重視した。しかし、ムガル帝国のイスラム純粋主義のもと激しくなる弾圧に対抗し、軍事教団化していく。また、印パ分離独立の際は、シク教徒は両国にまたがり暮らしていたので多くの難民を生んだ。
・ペルシアのイスラム化から逃れてインドに渡って来たゾロアスター教。世俗生活を重視しするゾロアスター教は社会貢献に励み、経済発展にも貢献した。(タタ財閥の創業者もゾロアスター教徒)一方でその教えは頑なに守り続けてきた。
・西暦52年頃、キリスト教は海洋交易を通じて南インドに伝わったとされている(東方教会系)。その後、ポルトガルにはじまる西洋諸国の勢力の変化により、インドの主流もカトリック、プロテスタント、英国教会と変化している。また、歴史的に海外交易と関わってきたため、ムガル帝国時代にも弾圧を受けなかった。
・一般にイスラム勢力の拡大には宗教的な情熱と戦利品などの実利面とが関係していて、それはインドにおいても同様だった。インドにおける布教活動は主にイスラム神秘主義者(スーフィー)が担っていた。ヒンドゥー教や仏教の神秘主義思想と共通性があり、次第に融和・共存の風潮が生まれた。ムガル帝国の第三代アクバル帝はみずからもスーフィーで、ヒンドゥー教との融和政策を積極的に執った。イギリス植民地時代では、独立運動のなかで国家体制をめぐってヒンドゥーとイスラムが対立、印パ分離独立につながる。