あらすじ
「むらさきのスカートの女」と呼ばれる女性が気になって仕方のない〈わたし〉は、彼女と「ともだち」になるために、自分と同じ職場で彼女が働きだすよう誘導し……。ベストセラーとなった芥川賞受賞作。文庫化にあたって各紙誌に執筆した芥川賞受賞記念エッセイを全て収録。
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Posted by ブクログ
面白い!
淡々とじわじわと狂気が伝わってくる。
一人称視点でありながら、その視点の人物そのものに一番狂気を感じるところがたまらない。
最後、むらさきのスカートの女の始めと同じ状況になるというのも面白い。
Posted by ブクログ
ここまで鳥肌の立つ不気味な作品は初めてだった。きっとどの街にも名物人物と言うか家族或いは地域で大体の人は知っているような少し変わった人みたいなのはいると思う。実際私の街にも居る。そんなことを小説として書き切ったような作品だった。
しかしこの不気味さはそんな名物人物(作品内ではむらさきのスカートの女)が作り出しているのではない、それを追いかけ執着する主人公が生み出した不気味さなのだ。主人公はむらさきのスカートの女の行動全てを見届けようとする朝のバスから何から全てをだ。少しコミカルに軽快に描かれる一挙一動が逆に不気味さを増している。
そして彼女が何を着ていても主人公の中でむらさきのスカートの女は頑なにむらさきのスカートの女なのだ。主人公は彼女をストーキングする。そして彼女もまた所長(主人公とむらさきのスカートの女の勤め先の上司)をストーキングする。いつの間にか主人公は自らを黄色いカーディガンの女と呼び、自らをむらさきのスカートの女と同化させる。むらさきのスカートの女が居なくなった時、黄色いカーディガンの女はむらさきのスカートの女の帰りを待ちながら、むらさきのスカートの女専用シートに腰を掛ける。そしてきっとこの連鎖は途切れない。次は赤いシャツの女かもしれない。まるでむらさきのスカートの女を筆頭としたその街の名物人物という概念だけが宿主を変えて生き続けているかのように思える。そしてそれは私たちも同じで、自分と同じような人間が過去にも居てこれからの未来にも生まれるのかもしれない。そんな果てしない考えに迷い込んでしまう。そしてその考えは自分という存在を曖昧にして、不安や不気味さを生み出す。
もしかしたらこの作品を俯瞰していた自分が次のむらさきのスカートの女なのかもしれない。
Posted by ブクログ
言ってみれば何も起こらない、ただある街での小さな出来事のお話なのに。
読者である私は、気づけば「むらさきのスカートの女」を観察する「黄色いカーディガンの女」を観察する女になっていました。
はじめは「むらさきのスカートの女」がどこか異質で、鈍臭く、近寄りがたい存在として感じていた私ですが、次第にそんな彼女を執拗に観察し、もはやストーカーのように追い続ける「黄色いカーディガンの女」に対し気味の悪さを感じてしまい、、、
一体何が起こったんだろうと思わせる、はっきりとは示されない結末にサイコ的な怖さを感じます。
そして本を閉じて、表紙を見てまた静かな怖さを感じました。
Posted by ブクログ
最初あまりにも「わたし」がむらさきのスカートの女について詳しすぎるため、もしかして二人は同一人物で自分自身を俯瞰して見ているのかとも思ったが、読み進めて行くとそうではないことがわかる。
序盤は周囲から浮いた存在であったむらさきのスカートの女は次第に「普通の人」として受け入れられていく。
それと対照的に「わたし」、「黄色のカーディガンの女」は作中ずっと存在感がなく、むらさきのスカートの女のような存在感ある人に憧れてるのではないかと思った。そしてその憧れがエスカレートすればするほど、自分自身の異常な行動(無断欠席遅刻、家賃滞納、盗難などなど)に気づかない。むらさきスカートの女のことなら手に取るようにわかるのに、自分自身のことはなにもわかってない、客観視できてない。
最後には子供にポンっとタッチされて自分がかつてのむらさきのスカートの女と同じ立ち位置に、つまり目立った存在になるわけである。しかし、それは悪い意味での目立ちである。
今までは目立ってなかったからこそ、無銭飲食や、バザーでの備品の無断売買もむらさきのスカートの女に擦り付けることができていた。しかし、自分を客観視できていないまま、目立ってしまった今、この先起こることが良い結末になるとは思えない。
結局なにを伝えたかったのかを考えると、やはり何かに憧れると、自分自身を見失うということ。そこまでして憧れた人のようになることで本当に自分にとって良い方に向くのか、、、
盲目にならず落ち着いて生きたいな
みたいなことを思った小説だった。
匿名
あまり分からなかった
不気味でゾクゾクするよと進められた本ですが
私にはどこでゾクゾクするのかは分かりませんでした、主人公の観察力が物凄いところにはずっと違和感がありましたが、それ以外は普通の日常を書いたお話のように思えました
Posted by ブクログ
とても読みやすかったが、なにを伝えたい作品なのかが難しかった。他の方のレビューにあった周りの人の評価でむらさき色のスカートの女価値が変化していくという考察がしっくりきた。
Posted by ブクログ
おもしろい
変人であるむらさきのスカートの女を、無口で疎まれている主人公黄色いカーディガンの女目線で書いた話。黄色いカーディガンの女はほとんどストーカーで、むらさきのスカートの女をずーっと観察している。
むらさきのスカートの女の性格の変わりようは見ていてたのしかった。
主人公との絡みはもっと見たかった。
バザーにだしたのは黄色いカーディガンの女の仕業なのかな?考えすぎかな?
Posted by ブクログ
終始、語り手の存在が何処にあるのかが気になり過ぎて、真に楽しむことができなかったのでは無いかと思った。著者の文章には細部の表現や描写に、計り知れないほどの魅力があると私は考えている。本作では、その魅力を魅力であると思う暇もなく読み終えた。それがこの本を読み終えた感想にしてしまうのは勿体無い気もするが、この感想で私は褒めているから、許して欲しい。とてつもなく読みやすいということ。芥川賞らしく無い、面白いエンタメ小説のように読んでしまったから、次読む機会があればもっと細部に目を向けたい。
帯に「何も起こっていないのに面白い」と書かれてあったが、それは全くもって見当違いじゃ無いか? とだけ思った。最初から最後まで語り手がストーキングしてるんだから、常に何かは起こってるだろと思った。
Posted by ブクログ
なんかよくわかんない人がよくわかんない人に執着してよくわかんない感じになった!新感覚!
自分はエンタメ的にしか消費できなさそうだけど芥川賞受賞しているくらいだから色んな読み方ができるんだろうな、他の人の感想が見たくなるタイプの本
Posted by ブクログ
友達が貸してくれた本
1時間半くらいで一気読みした
純文学は難しいなあと思いながら読んだ
黄色いカーディガンの女は、むらさきのスカートの女の生活についてすごく把握してた こわい
求人情報をむらさきのスカートの女が座るベンチに置いたり、シャンプーの試供品を女の家の玄関ドアにかけて置いたり、たくさんの痕跡を残しているから、黄色いカーディガンの女に気が付かないなんてことあるのかな?と疑問に思った
最初の方のむらさきのスカートの女のイメージは、社会に適応することができず、生活していくお金だけの為に日雇いなどのアルバイトをしている寂しい人だった
しかし清掃業のアルバイトを始めたことで、周りと仲良くなり、挨拶で声を出し、男と不倫もする
この差がすごく奇妙だった
Posted by ブクログ
(良)とても気になるタイトルと表紙。むらさきのスカートの女はどこにでもいるようでいない、印象的で小学生から人気で、不思議でみんなが少し気になる存在。不器用に思える彼女がやっと就職した先では社の備品の窃盗を当たり前に自慢してくるような先輩達。口を揃えて「みんなやってるから」そこはすぐに辞めた方がいい。いい影響があるとは思えない。胸を張って歩けなくなる。何もできないけど悪いことだけはしたくないのだ!と、この小説を読んでなぜかそこに一番引っかかりました。
Posted by ブクログ
2016年芥川賞受賞作。
’黄色いカーディガンの女’の視点で話が進む。
’黄色いカーディガンの女’は’むらさきのスカートの女’と友達になりたいようで、ずっと意識して一挙手一投足を追っている。
むらさきのスカートの女を追うために、無銭飲食をしてそのことにまるで罪悪感を抱いていないかったり、その意識の仕方が異常で狂気じみている。
と、同時に自分の生活はままなっておらず、仕事先の備品を売ってお金を作っていたり、裁判所から明け渡しの催告状が届いていたり、、
色んな読み方ができる本だと思った。
・黄色いカーディガンの女は他者に意識が向きすぎて、自分の行動を顧みられていない。他者に意識が向いた分、自分を顧みるエネルギーはなくなるのではないか?(自分というか、他に注ぐエネルギー)
・むらさきのスカートの女はお話の中で他者によって印象や評価が変わっていく。社会の中で「その人自身」ということは存在するのか?
・黄色いカーディガンの女はなぜここまで、むらさきのスカートの女に執着しているのか?「友達になりたい」と出ていたが、どうして自分から話しかけたりしないのか?→自分の現実を直視できないから?
・お話の中で黄色いカーディガンの女の存在がここまで薄いのはなぜか、、、→ムラサキの女に意識が向いているので自分への他者からの視線などに気付いていない、、?
私は黄色いカーディガンの女は他者に意識が向きすぎて、自分の行動を顧みられておらず、自分がないがしろにされているように感じた。
他者に意識が向きすぎて自分のことを考えられなくなることは、自分に意識が向きすぎて周りが見えなくなることと同様に怖いことだと思った。
私は、客観的にみて、まずは自分を満たすために、自分が大切だと思えるものにエネルギーを注ぎたいと思った