あらすじ
ノー・ランニング、ノー・ライフ!この冒険は、ランナー誰もが抱くひとつの疑問から始まった──なぜ僕の脚は走ると痛むのか? 真実のランを目指すウルトラランナーたちは、やがて、メキシコの秘境をサンダルだけで一昼夜走り続けるタラウマラ族と邂逅する! 人類は、走るために生きている──いや、生きるために走っている!
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Posted by ブクログ
ボリュームがあったので敬遠してたのですがボリューム以上に話もてんこ盛りでした。
でも人はなぜ走るのか、自分がなぜ走ることに夢中になっているのかそのこもが少しだけわかった気がします。←村上春樹さんの『走ることについて語るときに僕の語ること』の感想と同じことを言っている(笑)
走れないくらいのけが足をしたときにまた読み直そうと思います。
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ウルトラマラソン、走ることに魅了された人々のことを描いた話。なぜ人は走るのか,走れるのかを科学や人類学の視点から書いていてそこもとても面白かったが、謎の男カバーヨ(白馬)を追う中で出てくる登場人物たちが、とても魅力的に描かれており読んでいて楽しかった。
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ウルトラマラソン、シューズの普及と足の故障、人類はなぜ持久力を身につけたのかなどの内容でとても面白く内容の濃いものだった。
シューズメーカー、今の厚底靴の影響なども考えながら読み進めた。
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走ることについてのノンフィクションである。人類は本来、馬や狼や鹿よりも長く走り続けられる動物であるというのが驚きであった。それを証明し続けるメキシコ山岳民族の走る姿からランナーとして学ぶはなし。ランナーにとってはとてもいい本でぜひ読むべき。モチベーションが上がる。読み終わったら深くにも涙が出てきた。
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翻訳ということもあり、形容詞の多い文章、理解しにくい単語、登場する人物が誰が誰やらわからない等、数々の障壁に悩まされたが、完全に理解できずとも流して読んでいくことで、物語の全容は理解できる。
そして、この本を読んで感動するシーンは人それぞれであると思う。
私自身はマンサンダルからこの本を知ったことがきっかけになったのでナイキのシューズ戦略のあたりは非常に面白く読めた。
また、単純に「走る」ということの意味についても考え直すきっかけを与えてもらえた。
私もランニングをするが、走るのだからやはり、タイムを縮めたい、距離を伸ばしたい。そういうことを思って、携帯のアプリを立ち上げ、走るたびに記録する。
カバーヨのレッスンで「楽に、軽く、速く、スムーズに」という言葉がある。速くというのは3番目だ。
マンサンダルで走ることで、自分の体の重さを知った。
楽に走るために考えながら走るようになった。
足先で接地して、指先に力が移り地面を押し返す感覚の楽しさを味わった時に、「今日は何km走る」とか関係なく、感覚の喜びをいつまで味わうことができるのか(いつ力尽きるのか)を考えた方が良いような気がした。
話は前後するが、私はマンサンダルを履いて走るようになってから、足に関して筋肉痛以外の痛みを感じることがなくなったのも、この本が真実を伝えていると信じる理由になっている。
今はランニングブームで1万円、2万円の靴が普通に店に並んでいる。しかし、それが本当に走ることを楽しむためのツールであるのか、走ることを楽しむ全ての人に考えてもらいたい。
Posted by ブクログ
この本自体がウルトラマラソンのような大ボリュームである。どうか途中で棄権せず、ゴールまで読み進めて欲しい。折り返し地点までは冗長に感じるが、それもすべてクライマックスの絶頂へ通じるのだ。著者と一緒にゴールテープを切ろう。
Posted by ブクログ
ぜひ最後まで読んで欲しい。
確かに本書の前半は冗長な語り出しで、
何が言いたいの?と疑問に思ってしまうのだが、そこでやめてはもったいない。
後半はややショッキングな内容。
そうか、これを隠すための、あえての自分語りだったのかな?
衝撃の内容?はここでは置いておくことにして、ひとつだけ。
太古の昔、人がまだ道具を使う前、どうやって獲物を仕留めていたのか?
それは走ること。
人間は草食動物よりも走ることに特化してる。複数人で協力して、1匹だけをとことん追い込む、そうすると必ず動けなくなって倒れ込む。そこを仕留める。
なんという原始的な方法。
だが人間が生き延びてきた進化の歴史を垣間見た。
一読の値はある。
オススメです。
Posted by ブクログ
走るとすぐ足が痛くなる著者は、自問する。How come my foot hurts ― どうして私の足は痛むのか?スポーツ医学の専門家には「走るのは体に悪いから控えたほうがいい」と言われるものの、それに納得がいかない著者は、やがてメキシコの「走る民族」ことタラウマラ族の存在を知る──。
走るという人間の能力の謎、タラウマラ族の謎、そして超人的なランナーたちが繰り広げる過酷なレース。読み終えるころには「おれは走るために生まれた!」と(心の中で)叫びながら走りたくなる、そんな熱いスピリットあふれる良書。
■キーフレーズ
銅峡谷(バランカス・デル・コブレ) カバーヨ・ブランコ タラウマラ族 どうして私の足は痛むのか?(How come my foot hurts?) ガゼルとライオン 「このへんは大麻だらけだ」 質問という暴力 ララムリとチャボチ ビアスの失踪 カスタネダが描いたシャーマンたち ララジパリ ランニングは移動手段 痛みと友達になる レッドヴィル アン・トレイソン イエスかノーで答える二進法 ワラーチ レースの定石 ウルトラランナーの幻覚 つま先で走る、腹で走る、笑顔で走る 走る人類(running man) $ エミール・ザトペック 「死んだときに葬儀屋にも悲しまれるような生き方をしよう」 人生への愛 「トレイルとけんかするんじゃない」 「楽に、軽く、スムーズに、速く」 スコット・ジュレク 「きみはひとりじゃない」 ジェンとビリー ベアフット・テッド ランニングシューズの発明 ナイキの罪 ベジタリアンでも走れる 走るのをやめるから年をとる 糖分ではなく脂肪を燃焼させる 有酸素運動は強力な抗鬱剤 手ごろな鉄槌(handy hammer)症候群 「ネアンデルタール人の謎」 ランニングマン仮説 汗をかく能力 自然淘汰は2つに収斂する 動物追跡(animal tracking)の技術 カラハリ砂漠のブッシュマン 走ることこそ、われわれを人間にした
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人は走れるようにデザインされている
人間は靴なしで走れるようにできている
我々が街をランニングしたり、山を走ったりする時、最初に走り出した時は苦しいがだんだんと安定して走ることに集中していく。また走り終わった後には快感が残る。そんなところに我々に刻まれた、走る生き物しての原型の姿が残っているような気がする。
身体を最大限に生かして、驚くべき距離を走ることが当たり前の民族がいる。(タラウマラ族)
狩りをするときに、動物を何時間も走って追い詰めて狩る民族がいる。(長距離ハンター、アニマルトラッキング、アフリカ ブッシュマン)
現在のランニング界は、その人たちから学ぶべきもの(走り方、食べ物、靴)があります。
決して厚底のシューズで走れば怪我をせず速く走れると言うわけではなく、裸足に近いペアフットシューズで走ることが大事だとかかれている。
最後にカバーヨ・ブランコが企画したレースを成功させるところは、物語のクライマックスで心に残るシーンです。
この本を読むと、間違いなくぺたんこのペアフットシューズを履いて走ってみたくなります!
Posted by ブクログ
面白かった。
ウルトラマラソンやトレイルランを走りたいなど一生思わないと思っていたけど、走ってみたくなった。
物語としてもすごく面白くできている。
Posted by ブクログ
滅茶苦茶面白くて頁を繰り手が止められなんだ。
三つある大筋はいずれも興味深く、ぐいぐいと引っ張られる。久しぶりに読み終えるのが惜しいと思えた一冊だった。
Posted by ブクログ
私も普段から走るが、人から
「 なんで、そんなに走るんですか? 」
という事に答えられなかったが、本書にて、
走るから若くいられるから。
痛みも知れるから。
とか色々言えるようになってた。
読んでよかった、一冊になりました。
Posted by ブクログ
読んでる途中に、走りにいきたくなるぐらい面白い本だ。実際走りにいった。
ただ純粋に走ることを愛している超個性的な登場人物達の思想、食べ物、走法、変態度が書かれていて最初は、旅の話ばかりだったが、すぐに面白くなってきて飽きなく読めた。
レースシーンもよかった。読んでると、自分もレースにでたくなるぐらい興奮する!
個性的なアスリートの面白い日常や性格などハチャメチャなところや感心できるできたり、お気に入りは、ビリーのジョニーの酔っ払いや二日酔いのシーン そして二人ともすごく純粋
人間工学の裸足走法や高級なジョギングシューズは、足に悪いなどを根拠づける冒険も、興味深く自分も試してみたくなった。
僕のお気に入りシーンは、リリマリとグリンゴが心通じ合っていくところ
ルナサンダルが、世にでるまえ。言葉も違うし、文化も違う二人が、顔がひっつくんじゃないかと思うぐらいに、ルナがビリーにサンダル作りを教え、ビリーは、真剣に教わっている。メキシコの僻地の木の下で世界的に有名なルナサンダルが生まれた。純粋に走ることを愛する二人が作ったサンダル!試したくなった。
本の中の感動した一部を抜粋
何かを真に征服する唯一の方法とは、愛することなのだ。
知恵の女神に心をささげ、愛し、気持ちを向ければ、富の女神が嫉妬して、おまえを追いかけてくる
ランニングに何も求めなければ、思ってもみなかったものが得られるということ
この本おすすめ
Posted by ブクログ
登場人物や場面転換が多くて読みやすくはないですが、中盤からどんどん面白くなっていきました。超人エピソードがたくさん出てきますが、ノンフィクションとは驚きです。が、趣味などでランニングをしている人と、そうでない人で評価が大きく分かれそうです。心に残るキラーワードもありました。「走ることは自由じゃなきゃいけないのさ」
Posted by ブクログ
マラソン仲間に教えてもらい、最近ワラーチを作って走っている。本自体の存在も知っていて読みたいと思っていたので、これを機にと読んでみる。
メキシコの長距離が得意な部族タマウラマ族を追い彼等とレースをする話と、ランニングシューズメーカーのビジネスを優先し、高くて高性能が故に足そのものの機能を退化させるシューズ展開戦略に一石を投じる。
読むとトレイルランの楽しさを感じさせられ、走りたくなる。
自作のワラーチも気に入っているし、今後はシューズを買うにしろ、高機能ではない、ペラペラシューズにしておこうと思う。
Posted by ブクログ
色んなシーンが錯綜するので決して読みやすくは無いのだが、ジョギング習慣がある人には、ランナーあるあるだったり、新説?も飛び出したりで面白い。人は走るために生まれてきた。走るのをやめるから老いるのだ。足の痛みは靴を履いているから生じるのだ・・と。
私も走る習慣があるのだが、ウルトラマンレースは流石に身体によくない気もするし、そんな体力は無さそうなので諦めつつも、本書を読んで「裸足ランニング(厳密にはサンダルの様な靴は履く)」に興味が沸いて仕方ない。それ用の靴も売っているようだが、購入しようか迷う。
前に読んだ別の本で、人類の体毛の少なさや発汗の仕方や二足歩行の形態は長距離走に適したもので、持久力で狩りを行うような事も書いてあった。趣味で走っている人を多く見るが、あながち、人類が走る事に適応し進化したという説も間違いでは無いのかもしれない。本書を読んでいると、走るモチベーションが上がる。ランナーにオススメの本だ。
Posted by ブクログ
話の切り替わりにあまりついていけず集中して最後まで読むことはできなかったが、十分に楽しめる内容だった。
人間が有酸素運動をすることをやめたら体調が悪くなるのはその通りだと思う。
シューズを履く方が怪我しやすいというのは信じたくないが納得できる気もする。
Posted by ブクログ
コメントいただけると学びになるので嬉しいです。
クリストファー・マクドゥーガルと言う人がランニングによる負傷をきっかけにタマウマラ族と言うメキシコの秘境的な峡谷に住む一族に学びに行くお話し。
最後の方は全米を代表するウルトラランナーのスコットジュレクとタラウマラ族とのウルトラマラソンレースが銅峡谷と言うタラウマラ族の地元で開催。
とても面白い。
学びとしては
・ランニングシューズが高価になると怪我が増えると言うデータ。
・裸足で走るとけがをしづらくなる。
・持久狩猟と言う人類が獲得した身体的能力を活かした狩猟法があって人類は鹿的な獲物を追い詰めれる程の持久力を獲得した。
私が今まで読んだ本の中でも特別面白い素敵な1冊でした。
ビブラムファイヴフィンガーズを高い金を出して買ってしまいました。
Posted by ブクログ
チャプターはあるものの目次がなく、話があっちこっちに飛ぶので読みづらい。なので見開いたところから断片的に読んでも問題ないく、読みながら自分で章立てして読み返すと理解が深まるかも。私の場合、初マラソンに向け本格的な練習を始めた矢先に転倒して脚を怪我してしまい、この本を繰り返し読むことによって、自分なりのイメージを構築できたお陰で概ね理想のタイムで完走できた。技術的なことを超えたところで、走ること意味・意義を見出だすには良い本だと思う。
Posted by ブクログ
<感想>
アメリカの白人たちが、メキシコのタラウマラ族とのウルトラマラソン大会を開催するまでのノンフィクション。
「走るために生まれた」というタイトルから想像したのは、精神論だった。しかし、読後には考えを改めた。まさに人間は走るために生まれたのだ。後半の、一見すると本編のタラウマラ族とのレース開催へのプロセスとは関係のないと思われた学者のパート。その並列の物語が動物としての人間の秘密を解き明かし、クレイジーと思われたランナーたちの方が正しい生き方をしていると感じさせる。
これまでとは違った視点で「走る」ことを感じさせてくれた一冊。
<アンダーライン>
・本質的にウルトラマラソンとは、イエスかノーで応える数百の質問からなる二進法の方程式だ。いま食べるか、あとにするか?この下り坂を爆走するか、スピードを抑えて大腿四頭筋を平地用に休ませておくか?
★タラウマラ族はレースを友情の祭りとみなしていたのに、フィッシャーは戦場とみなしていたのだ。
★走ることは人類最初の芸術
★「トレイルとけんかするんじゃない」「トレイルが差し出すものを受け取るんだ。石と石の間を一歩でいくか二歩でいくか迷ったら、三歩でいけ」
★★★「楽に、軽く、スムーズに、速く、と考えるんだ。まずは「楽に」から、それだけ身につければ、まあ何とかなる。つぎに、「軽く」に取り組む。軽々と走れるように、丘の高さとか、目的地の遠さとかは気にしないことだ。それをしばらく練習して、練習していることを忘れるくらいになったら、今度は「スムーズ」だ。最後の項目については心配しなくていい。その三つがそろえばlきっと速くなる」
・地の上を走り、地とともに走るかぎり、永遠に走ることができる
★★★疲労から逃れようとするのではなく、しっかり抱きしめることだ。疲労を手放してはならない。相手をよく知れば、怖くはなくなる。
・何かを征服する唯一の方法とは、愛することなのだ。
★★「長い距離を走ってると」と彼女はつづけた。「人生で大切なのは、最後まで走りきることだけって気がしてくる。そのときだけは、わたしの頭もずっとこんがらがったりとかしていない。なにもかも静まりかえって、あるのは純粋な流れだけになる。
★★★計画どおりにいくものはひとつもないが、それでもかならずうまくいく
★★彼らのノウハウは鍛えることで、無理に耐えることじゃない
・相手の弱点を見つけて、それをこっちの強みにするんだ
★★★「きみの娘さんが通りに飛び出したのを、裸足で全力疾走して追いかけるはめになったとしよう」「きみはおのずと完璧なフォームになる。前足部で立ち、背筋を伸ばし、頭を固定し、腕を上げ、肘を激しく動かし、前足部でさっと接地して尻に向かって蹴り返すはずだ」
★★★背筋は伸びているか?チェック。
膝を曲げて前に出しているか?チェック。
踵を後ろに振り払っているか?
★★★疑問に答えられないときは、逆さまにしてみる、というものだ。速く走るために何が必要かは忘れて、こう考えてみる。どうしたら、スピードが落ちるのか?
★★★走ることはわれわれの種としての想像力い根ざしていて、想像力は走ることに根ざしている。
★★われわれは走るためにつくられた機械、そして、その機械は疲れを知らないのです
★人は年をとるから走るのをはめるのではない、走るのをやめるから年をとるのだ。
★★★人が競争をするのは相手を打ちのめすためというわけではない。いっしょにすごすためだ
★★★「がんばっているなと思ったら、がんばりすぎている」
Posted by ブクログ
この本を読んで、走るということがより好きになった。
途中、少しだらだらとしていて読みにくいと感じた部分があったので、そういうところはさらっと流し読みをした。
しかし、登場人物たちが走ることを愛し、お互いを尊敬しあう姿には、胸を打たれた。
速い人は、かっこいい。
遠くまで走れる人は、すごい。
険しい道を走れる人は、大きく見える。
でも、それだけじゃない。
走っている人たち全員が、自分と向き合って時には戦って、楽しんだり苦しんだりしているのだ。
全てのランナーに、尊敬と共感を。
楽に、軽く、スムーズに、速く。
ララムリ!
Posted by ブクログ
出だしはカバーヨ・ブランコを探すために冒険家さながらの経験をした著者の体験談から。物語風の始まり方でなかなかおもしろそうだぞ、と思った。
しかし、まぁ、長い。タラウマラ族のことを知るためにカバーヨ・ブランコを探すのですが、タラウマラ族がいるとされるメキシコのバランカス・デル・コブレがどんなに秘境かの説明なんか、なっが(長)!と思ってしまいました。するとすると、この書き方はこの後もずーっと続くのだと思い知ることになります。話の主軸だけ書いても貧相でつまらなくなるから、たまには装飾とか、脇道に逸れた話も、主軸を膨らませたり、興味を引くために必要だとは思いますが、それが長いのなんの。(最近、たまに読む翻訳本がやたらと無駄に長い物が多い気がするんですが、英語圏独特の書き方なんでしょうか。若い時にあまり読書してこなかったから今更ながらこんなことが気になります(笑))
登場人物の名前を覚えるのが元々苦手な私としてはカタカナ、しかもスペイン語圏の名前がこれまた覚えにくくて、「んああ、これ誰だっけ?」と前のページをめくって探すことたびたび。
もっと読み進めてわかってくることですが、登場人物の名前がわかりにくいのは、私の問題だけでもなかったようで、本書自体、色々なことがごっちゃまぜに書かれているようなのです。Aということについて話が進んでいると思ったら、ひょこっとBに関わる人が出てきてそのままBのことになる。Bの話が進むのね、と思ったら、Bではなく、そのひょこっと出の人についての話が長くて、Bのことちゃうんかい、マイケル(仮名)のプロフィール的な紹介だったのね、と頭で整理し直す・・・みたいなイメージです。気を付けて読んでいかないと自分が今どの地点にいるのか、簡単にわからなくなります。本の中で、迷子。「ここはどこ」状態。たまたまこの時期、6冊ぐらいに同時に手を出してしまい、あれ読んでこれ読んで、をしていた私はもうほぼずっと迷子でした。(自業自得)
序章が冗長だけど、つまりは、著者は走るのが好きだけど、怪我に悩まされていると。で、タラウマラ族というすんごい走れる民族がいるからその民族の秘密を知りたいと。そういうことですね。前半は。元も子もないまとめ方をしましたが、長いからつまらない、というわけではなかったです。というより、むしろ面白かったです。これがフィクションではなくノンフィクションなんですから!
タラウマラ族の民族としてのあり方もなかなか興味深かったです。争うことを好まず侵略者からはとにかく逃亡する、金銭的なやりとりではない取引を重視する、そしてなによりめっちゃ走る、などなど・・・。
中盤を過ぎたあたりから、レビューを書くにあたって、本書をどうまとめたらいいのか悩みながら読みましたが、私の脳内で理解できた本書の主題は下記。
まず、カバーヨを通じてタラウマラ族の走りの秘密を探り、さらにそのカバーヨが開催したウルトラマラソンの実況中継のようなレポート。(そうそう、このカバーヨ・ブランコという人はタラウマラ族ではないんです。何かから逃れた落ち武者的な人で、タラウマラ族にも認められている人ってところでしょうか。)
それから、有名スポーツブランドが生み出した多くのランニングシューズが実はランナーの足に悪影響を及ぼしてしまい、人間の走り方を変えてしまったという科学的なデータを含めた説明。
私が理解出来た範囲ではこの大きな2つの主題にたくさんの肉付けがあってこの分厚さになったものと思われます。
先述しましたが、読みにくいことこの上ないですが、なかなか興味をそそられるふたつの主題で、とても面白かったです。
ランニングシューズが実は悪影響を・・・という話は、丸っと信じ込むのも危険かもしれませんが、小中学生の時、かけっこやリレーの時は裸足の方が速く走れる気がして、進んで裸足になっていたことを足の裏の砂の感覚と一緒に思い出しました。(そういえば、小学校の運動会で、我が子たちは裸足で走ってなかったな・・・今時は裸足で走るという選択肢はないのかな・・・)
個人的なことを申せば、日常的に走ることは皆無でございます。というか運動自体できていないです。しかしながら、すぐ読んだ本に影響される私としては、走りたくなりました。
人間は「長く走るために進化した」という説はなんだか妙に納得できましたし、「人は年をとるから走るのをやめるのではない、走るのをやめるから年をとるのだ。」というこの言葉はかっこよすぎました。
ウルトラマラソンが終わった後は、これまでの長々とした文章が嘘のようにメンバーたちはすっと爽やかに解散し、本書も終わりました。終わり方は悪くなかったです。
”読んだ後走りたくなる”というキャッチコピーは嘘じゃないと思いました。
Posted by ブクログ
話が急に飛んだり、突然感情がドンって表現されるクセの強い独特の文体。有酸素運動してるときの頭の中に似ていると感じた。そして久しぶりに走りたくなった。2022年から始めた読書漬けの日々ももうすぐ一区切りだし、走りに行こうかな。
Posted by ブクログ
【感想】
「ジョジョの奇妙な冒険」の第7部「スティールボールラン」に、「サンドマン」というキャラクターが登場する。彼は「大地の俊足」という異名を持ち、一般の参加者が馬を使う中、「自らの足」でレースに参加、1stステージ優勝を果たす。
サンドマンが馬より速いのは、彼だけが持つ特殊な走法が関係している。走る時に踵が地面に一瞬しか触れず、着地の衝撃がつま先に移動する。その衝撃を利用し、地面を蹴り前に進む。普通の人間は衝撃のエネルギーが膝に蓄積するため、足にダメージや疲労が貯まってしまう。しかしサンドマンは足の前方に衝撃を逃し、地面との反発に再利用して加速を行う。これが馬をも超える走りを可能とするメカニズムだ。
驚くべきことに、この「サンドマン」はフィクションの中だけでなく、実際に存在する。メキシコ北西部の山あいにひっそりと暮らす、世界最強の走る民族「タラウマラ族」だ。
タラウマラ族は、近代スポーツ学から見て常識外れなことばかりだ。まず、彼らの履物はワラーチと呼ばれるペラペラのサンダルである。ナイキのランニングシューズのような厚いソールやふかふかのクッションは無い。そこら辺のゴミ捨て場にあるタイヤを適当に加工すれば完成するほど、簡素な作りである。しかも彼らはスカートやTシャツといった、散歩に行くような普段着でレースに参加し、一般参加者を打ち負かす。
また、彼らはフルマラソンランナーのように鍛錬を積んでいない。電解質が豊富なスポーツドリンクを大量に飲んだりしない。練習の合間にプロテイン・バーで体力の回復に努めることもない。それどころか、たんぱく質はほとんど口にせず、もっぱら好物の焼きネズミで味つけした挽きトウモロコシを常食としている。レース当日にいたるまで、トレーニングや調整はしない。ストレッチや準備運動もしない。おまけに、彼らは大の酒好きで、しょっちゅうアルコールを口にする。レース当日まで酔っぱらっていることも珍しくない。タラウマラ族は一晩中パーティーをしたあと、翌朝にはむくむくと起き出してレースを始める。それは2マイルでも2時間でもなく、まる2日にわたってつづけられるものだ。メキシコの歴史家、フランシスコ・アルマダによれば、タラウマラ族のあるチャンピオンはぶっ続けで435マイル(約700キロ)を走ったことがあるという。立てつづけにフルマラソンをほぼ12回、昇った日が沈み、また昇るまでに走破したというわけだ。
ここで一つ疑問がわく。なぜそんな適当な感じで100キロ以上も走り続けられるのか?普段の食生活はともかくとして、ペラペラのゴム草履で一切足を壊さないのはどういうわけなのか?
答えは、われわれの常識が逆なのだ。つまり、ランニングシューズを履くから足が壊れるのであり、本来人間に適する走り方は、薄い靴ないしは裸足での走法なのだ。
クッションつきのシューズが発明される以前、ランニングフォームはどの時代も同じだった。背筋を伸ばし、膝を曲げ、腰の真下で足が地面を後ろにかくようにして走っていた。ほかに選択肢はなかった。衝撃を吸収するものは、脚を縮める動きと中足部の厚い脂肪しかなかったからだ。
しかし、ナイキがランニングシューズを発売し、底に厚いクッションの層を取り入れたことにより、不可能だった「踵着地」が可能となった。踵着地は遅いし足を壊すしでメリットは無いのだが、ナイキは悪どかった。「踵着地のほうがストライドの距離が伸び、速く走れる」「よりケガをしにくい」という説を広め、自社が製造する靴の販促に利用したのだ。つまり、今までに無かった走法を作り出し、それを正当化するために根拠をでっち上げ、そして「自社のシューズを買うことでしかその走りかたはできない」と宣伝することで、シューズを買わざるを得ないよう世界を変えてしまったのである。
この状況を筆者はこう綴っている。「ランニング障害の蔓延を巨悪のナイキのせいにするのは安易すぎるように思えるが、気にしなくていい。大部分は彼らの責任だからだ」。
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本書「Born to Run」は、読めば思わず走り出したくなる一冊だ――今までとは違う新しいフォームで。タラウマラ族の驚異的な逸話だけでも面白いのだが、そこに加えてランニングに関する科学的な視点を身体の構造の面から解説しており、非常にためになる。特に28章、進化学的観点から観た人間の特異性――ヒトは走るのが苦手な生物ではなく、超長距離を走るために設計された生物だった――が解明される章は、筆者の筆致も相まって抜群に面白い。ランニングの本質と喜びについて考えさせてくれる魅力的な作品だった。
――タラウマラ族の本当の秘密はそこにあった。走ることを愛するというのがどんな気持ちなのか、彼らは忘れていない。走ることは人類最初の芸術、われわれ固有の素晴らしい創造の行為であることをおぼえている。洞窟の壁に絵を描いたり、がらんどうの木でリズムを奏でるはるかまえから、われわれは呼吸と心と筋肉を連動させ、原野で身体を流れるように推進させる技術を完成させていた。それに、われわれの祖先が最古の洞窟壁画を描いたとき、最初の図案はどんなものだったか? 稲妻が走り、光が交錯する――そう、走る人類だ。
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【まとめ】
1 走る民、タラウマラ族
どうして私の足は痛むのか?
それは、ランニングというスポーツが根本的に健康に悪いからだ。ランニング関連の衝撃荷重は最終的に、骨、軟骨、筋肉、腱、靭帯といった脚の主要箇所を、時間をかけて破壊する。
近代医学の常識の外にいるのが、タラウマラ族である。
超長距離走にかけてなら、タラウマラ族ランナーの右に出る者はない。競走馬も、チーターも、オリンピックのマラソン選手も彼らにはかなわない。タラウマラ族の走る姿を見たことのある外部の人間は数少ないが、超人的なタフネスと静謐ぶりが織りなす驚くべき物語は、数世紀にわたって峡谷の外に伝えられてきた。
タラウマラ族の地には、犯罪も戦争も窃盗もなかった。汚職、肥満、薬物中毒、強欲、家庭内暴力、児童虐待、心臓病、高血圧、二酸化炭素排出もなかった。癌の罹患率はかろうじて検知可能な程度だった。彼らは糖尿病にもうつ病にもならず、55歳でも10代の若者より速く走り、80歳のひいおじいさんがマラソン並みの距離を歩いて山腹を登ってみせる。
タラウマラ族は一晩中パーティーをしたあと、翌朝にはむくむくと起き出してレースを始める。それは2マイルでも2時間でもなく、まる2日にわたってつづけられるものだ。メキシコの歴史家、フランシスコ・アルマダによれば、タラウマラ族のあるチャンピオンは435マイル(約700キロ)を走ったことがあるという。立てつづけにフルマラソンをほぼ12回、昇った日が沈み、また昇るまでに走破したというわけだ。
彼らはフルマラソンランナーのように鍛錬を積んでいない。電解質が豊富なスポーツドリンクを大量に飲んだりしない。練習の合間にプロテイン・バーで体力の回復に努めることもない。それどころか、たんぱく質はほとんど口にせず、もっぱら好物の焼きネズミで味つけした挽きトウモロコシを常食としている。レース当日にいたるまで、トレーニングや調整はしない。ストレッチや準備運動もしない。ただ、ふらふらとスタートラインにつき、笑って冗談を言いあい……そしてつぎの48時間は鬼のように走りまくる。
そんなふうに謎に包まれたタラウマラ族は、実は別名が通り名になっている。彼らの本当の名前は「ララムリ」――走る民族――だ。
2 レッドヴィルのウルトラマラソン
フルマラソンよりも長い距離と過酷な環境でレースを行うのが「ウルトラマラソン」だ。ウルトラマラソンは、50キロメートル以上の距離を、険しい山岳地帯や草木が生い茂るトレイルで走る。ウェスタン・ステイツ・エンデュランス・ランは161キロ、バッドウォーター・ウルトラマラソンは217キロ、スポルトマン・デ・アウトラに至っては一つのレースで431キロを走る。完走のためには24時間以上ぶっ続けで足を動かし続けなければならない。
24時間もノンストップで走ると、ウルトラランナーは頭がぼうっとして、懐中電灯の電池を交換することも、トレイルマーカーの意味を理解することもできなくなったりする。なかには正気を保つランナーたちもいる。だが、それ以外の者にとって幻覚はめずらしくない。あるウルトラランナーは懐中電灯を目にするたび、列車が迫ってくると思いこんで悲鳴とともに森のなかに飛び退きつづけた。バッドウォーターでは20人のランナーのうち6人が幻覚を訴え、うちひとりは腐乱死体が道路沿いに並び、「突然変異のネズミのモンスターたち」がアスファルトを這うのを目撃したらしい。
アメリカ西部のレッドヴィルという都市では、町おこしのためにレッド・ヴィル・トレイル100というイカれたマラソン大会が開かれていた。総距離100マイル(160キロ)、フルマラソンほぼ4回ぶん、その半分は暗闇のなかで、途中に800メートルの登山が2回ある。レッドヴィルのスタートラインは飛行機の客室が加圧されはじめる高度より二倍も高く、しかもそこから先は上にしか行かない。
1993年、レッド・ヴィル・トレイル100に数人のタラウマラ族のチームが参加した。リーダーは小柄な55歳のおじさんで、若者二人は18歳ぐらい。チーム・タラウマラは現地に到着するが早いか町のごみ捨て場へと姿を消し、ゴムタイヤの切れ端を手に戻ってきて、サンダルをつくりはじめた。彼らのランニングシューズである。
過去10年間、レッドヴィルの全ランナーを見てきたが、こんな者はひとりもいなかった。これほど、異様なまでに……普通の顔をしている者は。10時間連続で山を走れば、へたばるか、顔にそれが出るかのどちらかで、例外はない。最強のウルトラランナーでさえ、この地点まで来るころには下を向いて思いつめたように、足を交互に踏み出すというもはや不可能に近くなった苦行に集中している。それなのに、タラウマラ族はけろっとしている。たったいま昼寝から目を覚まし、ぼりぼりと腹をかきながら、子供たちにこのゲームのやり方を見せてやることにしたといった風情だ。
ビクトリアーノが最初にテープを切り、セリルドが僅差の二位で到着した。マヌエル・ルナは、新しいサンダルが83マイル地点でばらばらになり、足をすりむき血を流していたが、それでもターコイズ湖のほとりの岩がちなトレイルを走りきって五位につけた。タラウマラ族以外の最初の完走者はビクトリアーノよりほぼ1時間遅く、距離にしてざっと10キロの差をつけら れていた。
3 アン・トレイソンvsタラウマラ族
タラウマラ族に勝てる者がいるとすれば、アン・トレイソンしかいない。彼女はカリフォルニア州出身の33歳になるコミュニティ・カレッジの科学教師だ。アンはウェスタン・ステーツ100――トレイルランニング界のスーパーボウル――の女子チャンピオンに14回も輝いた。アンはレースとなると見境がなくなる女性だった。一時、彼女は4年にわたり、ひと月おきのペースでウルトラマラソンを走った。それだけ身体を酷使すれば消耗するのが普通だが、アンの回復力は突然変異したスーパーヒーロー並みで、動きながら元気を取り戻し、弱って当然のときにますます強くなるように見えた。彼女は月を追うごとに速くなり、その4年に20レースを制覇した。トラックとロードで打ち立てた世界最速記録は10をくだらない。オリンピックのマラ ソン選考競技会への参加資格も得たし、62マイル(約100キロ)を1マイル6分44秒のペースで走って「ワールド・ウルトラ」のタイトルを獲得し、ウェスタン・ステーツとレッドヴィルを同じ月に制覇した。
そのアンがレッドヴィルに出場する。タラウマラ族との対決だ。
タラウマラ族のフアンは17時間30分でゴールを通過し、レッドヴィルのコースレコードを25分速いタイムで更新した。アンは約30分遅れの18時間6分だった。女子の新記録である。彼女のすぐ後ろにつけていたマルティマノが三位にはいり、マヌエル・ルナと残りのタラウマラ族が四位、五位、七位、一〇位、一一位でゴールになだれこんだ。
アンはゴールまで30分たらずのところでフアンに抜かれていた。“疲れた様子さえない!彼はまるで……楽しんでる!"アンは打ちのめされ、棄権しようと考えた。タ ラウマラ族のあふれる喜びは、アンを心底、落胆させていた。ここまで、それこそ死にものぐるいでリードを保ってきたのに、この男は気が向けばいつだって挽回できたとでも言いたげだ。屈辱的だった。
4 ランニングシューズの罠
タラウマラ族はサンダルで走っているのに、何故脚を壊さないのか?
タラウマラ族の走りに非常に近い、ケニア人の走り方を見てみよう。彼らの足は体の真下に着地し、そして押し返す。ストライドを短くし、前足部で立ち、背筋を伸ばし、頭を固定し、腕を上げ、肘を激しく動かし、前足部でさっと接地して尻に向かって蹴り返す。
そして、この動きがアスファルトからの反発力を推進力に変える。踵着地ではアスファルトからの衝撃が直に膝に伝わり、その逃げ場がない。一方でつま先で着地しそれを次の一歩の慣性に利用できれば、身体の負担は軽減され、かつ速く進める。
ランニングとは本来、危険なスポーツである。アスファルトの衝撃が膝に負荷を与え、脊髄にまで駆け上がるからだ。それは現代のランニングシューズの構造に原因がある。靴はわれわれの足を弱くし、オーバープロネーション(着地の衝撃を分散するために、着地時にかかとが内側に倒れ込むように動く人体の自然な動き)を招き、膝に問題を生じさせる。1972年にナイキが現代的なアスレティックシューズを発明するまで、人々はきわめて薄い底の靴を履いて走っていたが、彼らの足は強く、膝の負傷率ははるかに低かった。
そして、ナイキはそれを知ってなおランニングシューズを普及させた。
●真実その1:最高のシューズは最悪である
最高級シューズを履くランナーは安価なシューズのランナーに較べてけがをする確率が123パーセントも大きい。これはスイスのベルン大学に所属する予防医学の専門家、ベルナルト・マルティ医学博士を中心とした研究の結果だ。故障経験者に共通する最大の変数は、トレーニング場の表面や走るスピード、一週間に走る距離、「実戦トレーニングによるモチベーション」のいずれでもなかった。それは体重でもなければ、それまでの故障歴でもない。シューズの価格である。95ドル以上のシューズを履いたランナーは、けがをする確率が40ドル未満のシューズのランナーの2倍だったのだ。
●痛ましい真実その2:足はこき使われるのが好き
ベイツ博士と同僚たちは、シューズがすり減ってクッション材が薄くなると、ランナーは足をコントロールしやすくなると報告した。
どうして足のコントロール+べらべらになった靴=けがをしない脚になるのだろうか?ある魔法の成分、つまり恐怖のためだ。アディダス・メガバウンスといった商品名から連想されるふかふかしたイメージとは裏腹に、クッション材は衝撃を緩和する役には立たない。しかも、シューズのクッション材が多いほど、足は保護されなくなる。
モントリオールのマギル大学で、スティーヴン・ロビンズ医学博士とエドワード・ワケド博士が体操選手を対象に一連のテストを実施した。その結果、着地用のマットが厚いほど、選手は強く突き刺すように着地することがわかった。彼らは本能的に安定性を求めていた。着地面がやわらかいと感じると、バランスを確保するために強く足をたたきつけるわけだ。
「バランスと垂直方向の衝撃には密接な関係があるとわれわれは結論づける」マギル大学の博士たちはそう書いている。「われわれの発見によれば、現在入手可能なスポーツシューズは……やわらかすぎ、分厚すぎる。人間の運動機能を保護することが目的なら、設計を改めなければならない」
「建築物を見てみるといい」とハートマン博士は説明している。足の中心となるのは土踏まずだ。重量を支えるためのデザインとして、これほど優れたものは歴史上見当たらない。あらゆるアーチの素晴らしさは、圧力をかけられると強さを増す点にある。押し下げられれば下げられるほど、アーチの各部分はぴったりとかみ合うのだ。有能な石工ならアーチの下に支えをつけるような真似はしない。下から押し上げれば、構造全体を弱めることになるからだ。足のアーチをあらゆる面から強化するのは、26の骨、33の関節、12のゴムのような腱、そして18の筋肉からなる伸張性の高い網であり、これはいずれも耐震構造のつり橋のように収縮する。一方で、シューズを履けばそのアーチの隙間を埋め、脚の弾性を殺すことになる。
5 ナイキの大罪
ランニング障害の蔓延を巨悪のナイキのせいにするのは安易すぎるように思えるが、気にしなくていい。大部分は彼らの責任だからだ。この会社を設立したのは、何でも売ろうとするオレゴン大学のランナー、フィル・ナイトと、何でも知っていると自負するオレゴン大学のコーチ、ビル・バウワーマンだった。このふたりが手を組むまで、現代的なランニングシューズは存在しなかった。現代的なランニング障害の大半もしかりだ。
バウワーマンが上手かったのは、自身の新型シューズでのみ可能な新たな走法を提唱したことだ。コルテッツによって、人はそれまでは安全におこなえなかった走り方ができるようになった。骨ばった踵で着地することだ。
クッションつきのシューズが発明される以前、ランニングフォームはどの時代も同じだった。背筋を伸ばし、膝を曲げ、腰の真下で足が地面を後ろにかくようにして走っていた。ほかに選択肢はなかった。衝撃を吸収するものは、脚を縮める動きと中足部の厚い脂肪しかなかったからだ。
だが、バウワーマンには考えがあった。重心より前に足を着地させれば、若干距離がかせげるのではないか。踵の下にゴムの塊をつければ、脚を伸ばし、踵接地して歩幅を長くすることができるだろう。著書『ジョギング』で、ふたつのスタイルを比較した彼は、時の試練を経た「扁平な」着地の場合、「広い面積が着地を支え、身体は安定する」と認めていた。にもかかわらず、こう信じてもいた。「踵からつま先へ」式のストライドが「長距離ではいちばん疲れにくい」、それ用のシューズを履きさえすれば。
マーケティングは完璧だった。同じ人物が新しい走法を作り、製品の市場を作り、そしてその製品を作ったのだから。
実際のランニングシューズと踵着地は、安定するどころか、プロネーションを悪化させ、足とくるぶしの両方に痛みを感じさせた。
リディアードはプロネーション関連の話がすべてマーケティング上のたわごとだとわかっていた。「どの年齢層にせよ、平均的な人に裸足で廊下を走ってもらっても、その人の足の動きにプロネーションやスピネーションの兆しはまず見られない」とリディアードは訴えた。「そうした足首の横への傾きは、足をランニングシューズに通して初めて生じる。多くの場合、シューズの構造が足の自然な動きを一変させてしまうからだ」
バウワーマンは途中から気づいていたけれども、シューズを売るのをやめなかった。彼はナイキのイデオロギーをこう言い表している。「金を儲けること」だと。彼は同僚への手紙で、ナイキは「大量のゴミをばらまいている」とこぼしていた。
Posted by ブクログ
超人的な走りを見せる登場人物たちに圧倒され、こんな世界があるのだと感じた。ランニングシューズが脚を弱くしているというのは衝撃を受けた。独特な言い回し、ジョークは頭に入ってこなかったが、全体として興味深い内容だった。
Posted by ブクログ
ノンフィクションだけど、劇作っぽいかんじでハラハラするしワクワクする。
ランニングシューズ無しで走るなど常識と思われているが、必ずしもそうではないっていうところが面白い。
10年ほど前に発刊された本だったので、歴史っぽさあって自分にとっては苦手感もあった。