あらすじ
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のんびり、にこにこ―どこかクリエイティブで冗談みたいなホントの話。おじいさんは 時間のたつのが とってもはやい
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Posted by ブクログ
月刊「日本橋」で「シンボーの日々是好日」の連載が始まったのは2000年。いまも連載は続いているので、今年で25年。
本書は、その連載のうち、2014~22年分から46篇を収録。4本の柱、「おじいさんのコロナ」「おじいさんの意見」「おじいさんの日常」「おじいさんの趣味」にグルーピングされている。
「おじいさん」や「おじいちゃん」は、ツマ文子が著者に使っている呼称。たとえば、出がけに「おじいちゃん、おじいちゃん、マスクは?」のように使う。それに対し、著者は即「おじいちゃんじゃない!」と切り返していたが、毎度そうするのがめんどうになって、結局「おじいちゃん」が定着。
電車のなかでマスクで遊ぶ話、なかなか思い出せない固有名詞の思い出し方、隣家の解体工事を鑑賞する話など、連載は長寿になったが、面白さは少しも衰えていない。
Posted by ブクログ
いやあ、いいご夫婦ですね。しんちゃんとツマの二人のあれこれに混ぜてほしい気持ちになった。
読んでいて共感できるけど、いやあなかなかこういうことはできないし、こうは書けないね。
ペッパー君に話しかけてみるなんてことも。
(ペッパー君たち、解体されちゃったんだろうか。不要ロボットの墓場にいるのかな。不憫だ。)
確かにちょっと前にはお店やなんかにペッパー君がいて、話しかけてください、私に尋ねてください、みたいなことが書いてあったけれど、子どもや若いひとならともかく、いい大人がペッパー君に話しかけるのが恥ずかしく、話しかけたことはなかった。多分一般人の多くが同じ気持ちだっただろう。ペッパー君から確実な返事(欲しい情報)が得られるかも疑問であったし。しかし、巷でペッパー君をとんと見なくなった今となっては、話しかけてみればよかったなと後悔している。
特に南夫妻のようにちゃんと話しかけて、面白い会話?ができたというのを読むと。
コロナ時代初期、スーパーコンピューター富岳が作った飛沫がどういう風に広がるかのシミュレーションCGにも、何とはなしに「これって…」と思った人も多かったはずである。
この本で「これって…」という気持ちをしっかりと把握することができた。
世界一の(二かもしれないが)スーパーコンピューターのくせに、CGがお粗末なんだよ!、あの銀色のスリムな人たち、一つのテーブルに座っているのにどうして正面しか向かないんだよ!どうして飛沫かけられっぱなしなんだよ!ってことですよね。この気持ちをうまく笑える文章にしてくれるのがすごい。
読んで楽しく、笑えて、何の憂いもない。いや、ちょっとはあるけど、笑いで帳消しになる。そんな本、あんまりない。
南夫妻にはいつまでも元気でいてほしい。
Posted by ブクログ
自分の親の世代なので、親がどんなこと考えながら生きている、また、これまで生きて来たんだろうということのヒントが得られないかなと思い読み始めた。が、世代が同じというだけのこと、性格から考え方から何もかも全て違うんだろうな。
南伸坊は、人生楽しくする術を心得ていて、心がとても若いと思った。ツマも心が若々しい。自分も、もう少し肩の力を抜いて過ごしてみようかなと思った。
正岡子規のことだけど、悟るとは「平気で死んでいくこと」ではなく、「平気で生きていく」のが悟るってことだと悟った。私も、良いなと思った。