あらすじ
ものおもへば沢の蛍もわが身よりあくがれいづる魂かとぞみる――愛する男を失った式部が,神の力によって悩める魂を鎮めるべく貴船神社に詣でた折の歌である.この日記は,多くの男性遍歴の中で,とりわけ深い愛情を捧げた帥の宮との恋愛生活を,宮との贈答歌を中心に叙述したもの.式部研究第一人者による新校注.※この電子書籍は「固定レイアウト型」で作成されており,タブレットなど大きなディスプレイを備えた端末で読むことに適しています.また,文字だけを拡大すること,文字列のハイライト,検索,辞書の参照,引用などの機能は使用できません.
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Posted by ブクログ
彼女の歌をみて、やりきれない、ひとの性をみた。
自分といふものをひと一倍頼みにしながら、その実、誰かを求めずにはいられない弱さを同時に抱へて生きてゐる。それは、生れてきてしまつた以上、避けられないこと。ひとは、さうあることをやめられない。自分以外を生きることも、自分以外になることも、できない。
哀しいままでゐることも、幸福だけでゐることもできない。どんなに悲しくても、喜びはやつて來てしまふ。幸せであることは、もう別れが始つてゐるといふことでもある。明けない夜がないといふことは、希望でもあるが、同時にどうにもならない、ひとの在り方への絶望だ。
夢よりはかなき世といふのは、単なる男女の仲だけではなく、それ以上にひとがひとであるといふさうした性への自覚とため息だ。
日記でありながら物語の形式をとつてゐるのは、書いた人間が、ただただ流れていく世界の中にあつてどうにもならない哀しみをを静かにとどめやうとしたからではないか。それが和泉式部本人であるか、他の人物であるかに興味はない。しかし、そのやうに人生を見つめ続けた人間がゐたといふ事実に変りはない。
幸か不幸か、彼女は歌を詠むことに長けてゐた。彼女は書くといふこともまたできた。どうしやうもなくあふれる気持ち(こころ)に押しつぶされないでいたのは、並はずれて書くといふことができたからだ。何かに形を与へるといふことは、それ自体が慰めである。
忘れないといふことはひとにはできない。知つたからには忘れ、忘れたからには、知ることができる。どんなに悲しくても、いつかはまた喜びを知る。さういふことを繰り返しても、ひとは生きていけてしまふ。
そんな人生の中にあつて、少しでもさうした哀しみを語ることのできるひとといふものを求めてしまふ。孤独を紛らはすとか、経済的な支援だとか、さういふものはどうでもよく、ただただ、そこにゐてほしいのだ。どこまでもひとりだから、わかりあへないから、一緒にゐたいのだ。そして、さうした大切な誰かを待ち続ける一日一日が、千年にも等しい程に苦しいことも。それでも、誰かを求めてしまふのだ。
Posted by ブクログ
中古文学を読むのは久しぶりなので
意味を理解するのに骨が折れました。
文章の美しさは中古文学が素晴らしいと思いますが、
読みやすさは中世以降の文章が読みやすいです。
冷泉院の第三皇子である弾正尹為尊親王と死別し
その弟である第四皇子、太宰帥敦道親王(帥の宮)との
恋の始まりから同居までを記した日記です。
日記とはいっても歌物語的な
自伝的小説といってもよい内容です。
和泉式部はふとした切っ掛けから
帥の宮と恋仲になります。
他の男性とも関係を結んでしまう
和泉式部を独占したくなった帥の宮は
自邸の南院に和泉式部を引き取り
同居を始めます。
南院には正妻である
小一条大納言藤原済時の中の君(次女)が
同居していましたが、
和泉式部が来たことで
南院を出て行ってしまいます。
その様子を和泉式部は本意ではないと
記していますが
帥の宮の思いには逆らえないと
帥の宮との恋に耽る
といった内容です。
和泉式部には
和泉守橘通貞という夫がいましたが、
弾正の宮と恋に落ち、
弾正の宮が亡くなったら
その弟である帥の宮と恋に落ちてしまいます。
旦那の橘通貞は赤染衛門と恋仲であったかに
見受けられる歌の贈答があります。
この当時の貴族の恋愛は
現代の感覚では理解不能です。
和泉式部と帥の宮の恋については
当時でもよくは思われていなかった様子ですが……
和泉式部は帥の宮の死後
娘の小式部内侍ととおに
中宮彰子に仕えることになります。
その時の同僚には
紫式部、赤染衛門、第貳三位、伊勢大輔などが
います。
中古文学(王朝文学)を読むのは
久しぶりです。
学生の頃はもっと読めたはずですが、
ほとんど読めなくなっています。
たまには読まなければならないと感じました。
Posted by ブクログ
和泉式部は私が憧れる女流歌人ベスト3に必ずランキングです。他の二人は額田女王と与謝野晶子。3人に共通しているのは、世間の批評を気にせず、自由奔放に熱い愛を語るってとこかな。カッコいいな。