あらすじ
「たはは…まっ、そんなこともあるよね」って現実を踏みしめて、爽やかに、軽やかに、明日へズンズン歩いていく日記がたまらない。つられて元気になっちゃう。たはは。
──帯文・岸田奈美(作家)
病気や怪我、老いなどで「できていたことができなくなる」ことがある。誰もが、できるとできないの間で迷ったり、不安を感じたりしながら生きている。でも大丈夫。困りごとは人に伝えて、周りに助けてもらえばいい。 突然発症したレビー小体病という「誤作動する脳」を抱え、長いトンネルから這い出てきた著者が、老い、認知症、そしてコロナ禍と向き合い悪戦苦闘する日々を綴ったエッセイ集。心配しないで。未来はきっと、そんなに悪くない。
「コロナみたいな、どうにもならないものに振り回され、理不尽なことがいっぱい起こる社会の中で、みんな、それぞれに必死で生きている。人間は、弱くてちっぽけだけど、それぞれが、かけがえのない、大切な人なんだ。間違いなくそうなんだよと、私は、言葉にして伝えたかった。弱っている人にも弱っている自分にも。」(「はじめに」より)
【目次】
1 コロナ時間とできない私
2 会いたい。会いたい。会いたい。
3 形を失った時間
4 ゴルゴ13とモンローの間
5 「きれい」と言われたい
6 最後に知る秘密
7 バナナの教え
8 強くはなれない
9 「確かさ」のない世界
10 おしゃべりな植物
11 幻視と幽霊
12 母の舌
13 死語と記憶とビンテージ
14 ずぼらの達人
15 育児がつらかった頃
16 永遠の初心者
17 認知症って何なのよ
18 見えない未来を生きていく
19 終わらない私の宿題
付録 認知症のある人が社会に居場所を取り戻すための3つの提言
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
「私の脳で起こったこと」「誤作動する脳」にひきつづき、樋口直美さんの著作を読みました。
レビー小体型認知症を持っている樋口さんがコロナ禍で書いたエッセイ集です。
レビー小体認知症についての詳しい話を見たい方は、上記の二冊を先に読まれることをお勧めします。
何度も書きますが
私は樋口さんの文体や語り口が大好きで。
確かに話していることはレビー小体認知症を持つ樋口さんの体験なのですが、そのカテゴリから一旦外して読んでいただきたいなと思います。
個人的に刺さったフレーズは、
【認知症は、ご長寿ギフトの箱に同梱されている。】 ー 162ページ
【もし今、未来が見えなくて、不安を抱えていたとしても、衰えていく中にあるとしても、あなたは、大切な人だ。】 ー 179ページ
【理屈じゃない。論理的でない。でも人は、他人にとってゴミでしかない「宝物」に支えられながら生きている。】 ー 136ページ
ここには書ききれないほど胸に残る言葉が沢山ありました。
「あなたが生きていることがうれしい」。
たんぽぽではないですが、私もそう感じた一冊でした。
Posted by ブクログ
他者と自分の境遇を比較、優劣を設定、それに一喜一憂する。
そしてネットの世界には「できる人」がいっぱい。ありとあらゆる物事に、「上には上がいる」「もっといいものがある」「もっとすごいことがある」と見せつけられ続ける世界。自分の持っているどんないいものも色あせていくような気がする。
でも、いいよ。
私は、私が楽しいと思うことを続けていこう。私は、また毎日書いていこうと思う。
“主よ、変えられないものを受け入れる心の静けさと
変えられるものを変える勇気と
その両者を見分ける英知を我に与え給え“
有名な「二―バーの祈り」だ。自分一人の力だけでは、変えられないものがある。例えば病気でできなくなったことは、忍耐や努力ではどうにもならない。どんなにがんばったところで、できなくなったことは、もうできない。
がんばることの素晴らしさだけを、私たちは小さい頃からいつも教えられてきた。でもそれと同じくらい、負けること、諦めること、逃げることも大切だと教えられ、練習できたら良かったと思う。
思い通りになることなんて、ほとんどない。人間は弱い。そして脆い。そのことをもう少し早くからわかっていたら、いろいろ違っていただろうなと思っている。
できないことを無理やりやって、「混乱←自滅←自信喪失」ルートにはまるほどアホらしいことはない。自分にできること、できないことを見極めて、できないことに無駄なエネルギーは注がない。手持ちのエネルギーは、限られている。すっぱり諦めたり、人の助けを借りながら、省エネモ―ドで賢くいくのだ。
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上記は本エッセイ内のお気に入りの文章の抜粋です。
わたしの父はレビーで、著者の作品は1作目から読ませて頂いています。レビーのいまいちピンとこない症状だったり、事象だったりを分かりやすく代弁してくれる著者のルポは、わたしにとってとても貴重です。
1、2作目はレビーの貴重な情報として主に読ませていただいたのですが、今作はレビーの症例等情報一旦置いといて、レビー患者、認知症患者がどう感じるか、どう接して欲しいか、また介護をするにあたり、無理をしないでね、と患者や介護者を優しくハグしてくれるエッセイのように感じました。
お互いをマウントし、優劣をつけあう社会ではなく、みなが優しくハグし合う社会になればどんなに素晴らしいか。レビー患者、認知症関係者問わず、自信喪失し自尊心が薄れつつある人にも読んでほしいと思います。
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素敵な文章がとても多いエッセイですが、特に心に届いた文章を抜粋
(P121/P171 71%. kidle)
「認知症」とつく病気を診断された人が、歯を食いしばって苦手になった計算ドリルをしたり、させられたりすることがある。記憶障害が主症状のアルツハイマー病の人が、覚えられないことを必死に覚えようとしたり、周囲から「思い出して!」と言われたりする。それは苦痛でしかないし、悪いストレスは、脳には猛毒だと私は実感している。
がんばることの素晴らしさだけを、私たちは小さい頃からいつも教えられてきた。でもそれと同じくらい、負けること、諦めること、逃げることも大切だと教えられ、練習できたら良かったと思う。
思い通りになることなんて、ほとんどない。人間は弱い。そして脆い。そのことをもう少し早くからわかっていたら、いろいろ違っていただろうなと思っている。
きらびやかな祭典が過ぎれば、また厳しい現実に引き戻され、悲痛なニュ—スが続いていく。命がまた失われていく。
学校でも会社でも育児でも介護でも、一人で耐えてがんばり続けたらどうなるだろう?気になる。最悪の場合は、死んでしまう。それだけはダメだ。絶対にダメだ。
毎日苦しくて、笑うこともできなくなったら、もうがんばる必要なんてない。そんなときにがんばり続けることは、害悪だ。「こうあるべき」とか、「正しさ」とか、そんなものは、どうでもいい。
一番大事なのは、自分だよ。会社より、学校より、家族より、何よりも、まず自分だよ。つらいニュースを見るたびに、私は、そう叫びたくなる。
大事なのは、「しんどい」「苦しい」と口に出すこと、黙って聴いてくれる人に愚痴をたくさん言うこと、「手伝って」「助けて」と、人の手を可能な限り借りること。そんなことは、学校でも家でも誰も教えてくれなかった。でも今は、それができる心の柔らかさを持っていることこそが、人が持てる強さなんだと思っている。「自己責任」なんて呪いの言葉に操られてはいけない。
(付録)
100歳まで生きれば、ほとんどの人が認知症になる。長生きの先に、みじめで悲しい晩年はいらない。笑いながら、ゆっくりと坂を下りていきたい。認知症を恥じることなく生きられる社会がほしい。
そのために、最後にもう1つ、あなたにお願いがある。どうか積極的に見つけ出してほしい。老いていくことの豊かさ、不思議さ。衰えていくことのおもしろさ。認知症のある人の世界の美しさ、自由さ、新しい価値観を。そしてそれを伝えてほしい。
認知症のある人と一緒に何かを楽しみ、対話し、そこで見つけたその人の魅力や素晴らしさを語ってほしい。
あなたの親も親戚も、そしていつかあなた自身も認知機能が衰えていくだろう。そのとき、「まあ、ちょっと不便だけど、これはこれで、そんなに悪くないよ」と笑顔で人に言えたなら、今ある認知症問題の多くは、既に問題ではなくなっているだろう。
Posted by ブクログ
「誤作動する脳」を読んだ後、その後の樋口直美さんのことを知りたくて手にした作品がこの作品です。樋口直美さんは、30歳台の頃から身体の不調を抱え、40歳台でうつと言われ、50歳台でレビー小体型認知症との診断を受けられています。「誤作動する脳」を抱え、迎えたコロナ禍で描く読む人をちょっと元気にするエッセイ…。
このエッセイでは、樋口直美さんのこれまでの生活、今の生活を垣間見ることができます。子育てで悩んだり、コロナ禍であることから思うように日常生活を送ることが出来なくなったり…そんな場面を読むと、共感できることも沢山ありました。
徐々にできないことが増えてきて人の手を借りなければならないと場面に直面しても、みんながそうなるのだから、躊躇せずに助けてもらう…今できないことはできないのだし、その後のことを考えてもそうすべき…。「あなたは、大切な人だ」心配なことが沢山あったとしても、助けてもらったり助けることができたら手を貸して、少しずつ社会とのつながりをもっていきたいとそう綴る樋口直美さんって素敵な女性だと思いました。
『付録 認知症のある人が社会に居場所を取り戻すための3つの提言』は、本当に読めてよかったと思っています。これから認知症のある方と関わる中で大事にしなければならないことがしっかり読むことができます。この部分は、認知症に関わるすべての人に読んでもらいたいです。私もはっとさせられましたし、今後何度も読み返すと感じています。認知機能が衰えたと感じたとき「まぁ、ちょっと不便だけれど、これはこれで、そんなに悪くないよ」と笑顔で話せる…私もいつか認知症になるかもしれないけれど、そのときそんな風になれるといいなって思います。
Posted by ブクログ
読みやすいエッセイで、すごく良い内容だった。最近ギックリ腰になったりして老いについて考えることがあったので、先達の言葉が身に染みた。
「誤作動する脳」を読んだ時に、「こんな面白い本を書ける人が、レビー小体型認知症にならなかったら本を1冊も出さずに人生を過ごしていたのか」と不思議な気持ちになった。そんな人の日常的な要素多めのエッセイが読めて嬉しかった。
再読。言葉や内容の選び方が丁寧で、おそらく憤っていらっしゃるのであろうことや悲しい思い出についてもそんなに辛い気持ちにならずに読めるのがすごい。あと、参考文献がまめに書いてあるのが助かる。
Posted by ブクログ
40歳代にして、レビー小体病の症状が出てきた樋口直美さんのエッセイ。
彼女は以前鬱になったことがあったようだが、エッセイからは窺えない。
恐らくはかなりのショックだったに違いないが、達観していると言うか、超越していると言うか、あまり悲観的にならず、前向きな姿勢とマインドが読み取れ、暖かい気持ちになれる。
平均寿命がどんどん増え、老いと共に認知症患者も増えてくる。そんな人たちとの関わり方なんかにも役立つかな。
次のことばには、泣けてきた。
心の余裕を取り戻した私には、子どもたちが無性に可愛いかった。
保育園から連れ帰って、一緒に過ごす時間がとても貴重で、しあわせだった。
私は、また子どもたちとたくさん笑えるようになった。子どもたちも声を立ててよく笑うようになった。私には、それが何よりもうれしかった。
バランスが悪く、融通のきかない母親のもとに生まれてしまった子どもたちは、苦労が多かった。すまなかったと思うことばかりだ。
私は、私がなりたかったような母親には、ついになれなかった。褒められることは何もない。人からバカにされても、批判されても、言い返す言葉はない。
多くの時期、私は、いっぱいいっぱいだった。もがいていた。壁にぶつかると、がむしゃらに乗り越えようとした。思うようにいかないことの方が、ずっと多かった。それが、私の精一杯だったのだ。
がんばることの素晴らしさだけを、私たちは小さい頃からいつも教えられてきた。でもそれと同じくらい、負けること、諦めること、逃げることも大切だと教えられ、練習できたら良かったと思う。
思い通りになることなんて、ほとんどない。人間は弱い。そして脆い。そのことをもう少し早くからわかっていたら、いろいろ違っていただろうなと思っている。
優しい人なんだなと思う。
グループホームの施設長は、少し狂暴だと思われる認知症患者に対し、主に次の2つのことをするそうだ。
・まず薬を見直す。医師と相談して多過ぎる薬を調整し、悪さをしていそうな薬を止める。それだけで興奮や暴言暴力がなくなる人は多い。
・信頼関係を築くことに全力を尽くす。その人と対話をし、その人が大切にしていることを知り、その人がどうしても必要としているものをなんとかして届けようとする。たとえば、「遠方に住む息子に会いたい」という願い。
通常、認知症のある人の願いは聞き流されるが、患者の息子さんに何度も連絡をし、「この人は私の味方」「ここは私の居場所」と思ってもらうためのことをする。
最後にこんなことばもあった。いつも思い出したいものだ。
どうか積極的に見つけ出してほしい。老いていくことの豊かさ、不思議さ。衰えていくことのおもしろさ。認知症のある人の世界の美しさ、自由さ、新しい価値観を。そしてそれを伝えてほしい。
認知症のある人と一緒に何かを楽しみ、対話し、そこで見つけたその人の魅力や素晴らしさを語ってほしい。
あなたの親も親戚も、そしていつかあなた自身も認知機能が衰えていくだろう。
そのとき、「まあ、ちょっと不便だけど、これはこれで、そんなに悪くないよ」と笑顔で人に言えたなら、今ある認知症問題の多くは、既に問題ではなくなっているだろう。
Posted by ブクログ
とても良かった!
レビー小体症と診断されている著者の、病気と共存する日々のエッセイ。
当事者の体験する諸症状や、当事者から見る社会の課題、そこから広がり、病気に関わらず子育ての中で感じることなど。
当事者目線を知ることが出来るだけでなく、当事者ではないのに「あ〜わかる…」と共感する点も多々あり、それでも何とかやってこうとする著者の姿勢に励まされ、肩の力抜いてやってきますか〜と思える。
病気や症状を切り口に日々の工夫や課題を語るが、それは社会の中で少しでも難しさを感じている人なら、共感、応用できるアイデアに満ちている。
体力や体調的に社会一般で普通とされてる働き方ができない私だから、共感する部分が多かったのかもしれない。
また、エッセイの中で触れるデータや言説に細かく引用文献やエビデンスが示されているので、より深めて知りたい場合に有難い。
病気のこと半分、社会や個人的なこと半分くらいの割合で、決して重い難しい本ではないので、ぜひ色んな人に読んでもらいたいと思った。