あらすじ
「日本」は着ぐるみがつくった国? 元号はこうして決まる。ニセモノはなぜ生まれるのか──。
古都鎌倉の高校生を前にイソダ先生が行った特別講義。
「歴史は好きか嫌いかの嗜好品ではなく、安全に世のなかを歩くためのむしろ実用品である」
という目からウロコな歴史の見方が反響を呼び、さらなる対話を生んだ。
「ブタやトイレに歴史はあるか」
「カミ・クニ・カネの『3K』」
「『いまだから言える』ということ」
「おめでたいときも、災害のときも」
「教養とはムダの別名である」
「歴史は実験できない。ただし、ある程度の法則性はある」
こんな授業を受けてみたかった。
図書館の本を読み尽くした! 筋金入りの学者が語る「歴史」とは。
「ビリギャル」こと小林さやかさんをはじめとする2対談を、文庫化にあたり新規収録。
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Posted by ブクログ
映画化もされた『武士の家計簿』の著者でNHKの歴史系番組への出演などでも有名な磯田道史先生による2019年6月11日に鎌倉女学院高等学校にて行われた特別授業の講義録と「ビリギャル」小林さやかさん及び名古屋のアパレルショップ店長で歴史好きの外山莉佳子さんとのミニ対談付き。
いわゆる歴史の授業ではなく、磯田先生による「歴史学」の講義で分かりやすく、かつ奥が深い。
どうしても学校の授業では暗記科目になりがちな「歴史」についていろいろな例えや事例を用いて解説してくれる。
印象に残ったのが、タイトルにもなっている「歴史とは靴である」、「歴史的にものを考えると、前より安全に世のなかが歩けます。歴史はむしろ実用品であって、靴に近いものではないか」
「時代小説」→「史伝文学」→「歴史小説」→「時代小説」の説明。浅田次郎さんが、「知り合いの会社の社長と社員の不倫をそのまま書けないが、江戸時代の町家とか藩の家老と女中さんの話にしたら書けるんだよ」という言葉にその違いがハッとさせられた。
「教養」とは「ムダの積み重ね」「年季の入ったムダ」、一回覚えて忘れた状態を教養という、最初から触れたことがない人間とでは雲泥のちがいがある(内田百閒のことばだそう)、このことは磯田先生は特に重視しているようで、巻末の小林さやかさんとの対談でも、「読んで忘れた状態を僕は教養って呼んでいるんです。あらゆる本を読んで、過去をさかのぼって、世間的にいう歴史を勉強しておくと、なにが起きてもどんな話になっても楽しめます。」と言っている。
歴史とは他者理解、自分と違う時空のヒト・モノ・コトを一生懸命理解しようとする営みである。自分を重ねすぎると歴史ではなく願望になってしまう、色見眼鏡になってしまい、自分が見たい歴史を見ようしてしまう。