【感想・ネタバレ】メディア・リテラシーのレビュー

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Posted by ブクログ

メディアリテラシーの古典ですね。ツールが変わっても大事なことはかわらないことを教えられる。定期的に読み直して批判的、ニュートラルな視点を保ち続けたい。

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2014年02月14日

Posted by ブクログ

12年前の本ですが、時間とともにメディアリテラシーの必要性が高くなると思います。

日本では、メディアリテラシーというとまだまだ大学教育学部の講義ですが、本書のように小中高の学生に早く取り入れてもらいたいと思います。

日本でも以前に、自分がポケモンだと思い込んで飛び込んだ少年や、ネットゲームに何万円も課金した子供、ネット上の悪口いじめなど、メディアが子供に悪影響と認知されやすくなっています。

アメリカやイギリス、カナダではそれらから、子供が自分の身を守るために、逆にうまくメディアを利用するためのメディアリテラシーです。

この香水の広告はレイプを冗長するからやめてくれ
このCMは何を売って何のイメージを植え付けようとしているか
ブラックの暴力記事が際立ってかかれすぎている
編集のしかた一つでニュースのイメージが変わる

これを言える日本の子供がどれぐらい言えるでしょうか?

本書は教育の立場、子供の立場、メディアの立場などさまざまなアプローチが書かれてよかったです。

メディアリテラシーがもっと多くの人に知ってもらいたいと思いました。

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2012年08月15日

Posted by ブクログ

情報を批判的(クリティカル)に見ることは以前から大切なことだと思っていましたし、そういった本などを今までも積極的に読んできました。

この本はその中でも(内容が少し以前のことであるということを除けば)非常にリアリティのある本であると思います。

あくまで報道≠事実であるという現実をあまりにも理解できていない人が多い気がする今日この頃です。

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2011年09月03日

Posted by ブクログ

あるあるを例に挙げるまでもなく、日本人のメディアリテラシースキルは低い。子供たちにメディアリテラシーを世界ではどのように教えているかをレポートした良作。学校関係者は是非一読を。

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2009年10月04日

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海外でのメディアリテラシー教育の実践例を解説した本。
読めばメディアリテラシー教育の必要性を強く感じる。
メディアリテラシー入門書。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

ネタバレ

2000年に出版されたのでやや古いが、内容は極めて新鮮な、文字通りメディア教育の観点からみた「メディアリテラシー」についての本。現場レポートというだけあって、イギリス、カナダ、アメリカのその当時の様子がつぶさにみてとれる。「教育論」の観点からは、ぜひとりあげるべき。

・メディアのコンテンツをとりあげ、分析、評価すること
・実際に制作する立場として、どう表現されたコンテンツが取捨選択されるかを見極めること

などが、初期的なポイントのようだ。

大前提としては、
・一つの真実などないこと
・多元的「現実」を製作側が一定の主観にもとづいて伝えていること
を踏まえてどうメディアに対処するかという視点が大切なのは、どこも変わらないようだ。

イギリス:根づくメディア教育
・メディエデュケーション
・国語の延長線上。中等教育で独立の科目
・大学研究者と英国映画協会主導

カナダ:ユニークな実践
・メディアリテラシー
・国語のカリキュラムにとりいれ
・トロント大学のマクルーハン「メディアはメッセージ」
・AML

アメリカ:草の根メディア活動
・こどもジャーナリスト
・RMMW
・PRウオッチ
・パーセプション・マネジメント
・CM分析番組

デジタル時代のマルチメディア・リテラシー
・ピクチャー・パワー

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2021年03月10日

Posted by ブクログ

高校のとき、国語の指定図書で購入したのですが、そのころは真剣に読むことなく… 卒業し、数年たってからようやく興味がでて、読みました。
高校時代にちゃんと読んでおけばよかったと、内心後悔しています。ただ、あの頃読んでいたからといって理解できていたかどうか…

メディアは誰が、誰に向けて、どういうメッセージを伝えたくて作り出しているのか。
ニュースの報道は真実ではあるが、別の真実はあるのか。そもそも、事実は何なのか。
情報が溢れて、子供のみならず大人ですからなにが正しくてなにが間違っているのか判断するのが難しい今の時代に、メディアリテラシーの育成を進めない今の教育現場には疑問が残ります。
クリティカルな目を持つ人間を、増やしたくないという政府のねらいなのでは?と邪推してしまいたくなるほどです。
情報に踊らされず、常に懐疑心をもちつつ、自分が正しいと思える情報を取捨選択し、それを人に押し付けるのではなく、相手の正しさも尊重しながら、柔軟に適応していける、そんな力が必要なのかもしれません。

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2019年11月11日

Posted by ブクログ

[ 内容 ]
人生の大半をメディアとともに過ごすとされる現代生活。
報道の客観性や公正さ、暴力表現の影響などが議論になっている今、メディアのあり方を具体的に解読していくことの意味とその可能性とは何か。
各国で広がっている実践を丹念に取材し、教育現場での工夫や反応、メディアを監視する市民団体の活動などを報告、情報社会の今後を考える。

[ 目次 ]
序章 世界に広まるメディア・リテラシー
第1章 イギリスに根づくメディア教育
第2章 カナダに広がるユニークな実践
第3章 アメリカの草の根メディア活動
第4章 デジタル時代の「マルチ」メディア・リテラシー
結びにかえて―取材ノートの余白から

[ POP ]


[ おすすめ度 ]

☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

[ 関連図書 ]


[ 参考となる書評 ]

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2011年05月15日

Posted by ブクログ

100813 by朝日夕刊
公正と正確の観点、watch dog 「フェア」
---
100917till12p
ⅰ ニュースは現実を真っ直ぐすべて伝えているか
ⅴ-ⅵ メディアリテラシー
009 メディアリテラシー
---
3, 6, 7,

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2010年09月17日

Posted by ブクログ

高2かな?倫理の課題で読みました。外国、特に他の先進国と比べ、日本のメディア教育の遅れを痛感。
日本も義務教育である中学の授業で取り入れる必要があると思う。メディア・リテラシーを身に付ければ、勉強が出来るできないとかじゃなくて、もっと賢くなれるんじゃないかなー。

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2009年10月04日

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 自作自演との言葉があるが、メディアから大量に垂れ流される、そして一過性の新奇さを求めているような報道から自由でいるには、現代は困難な時代です。
 そんな肥大したメディアの時代の必需品が、メディアリテラシーです。
 メディアリテラシーは、「免疫力」にもなり、「善用」にも効果がある。
 高等学校における「必修科目未履修問題」の際に、世界史と情報が大学受験との関係で取りざたされたが、学校においてはメディアリテラシー教育が始まっている。
 本書は、手際よく学校から離れた社会人に、メディアリテラシーの基本的な考え方を世界の現場を紹介しながら、容易な理解に導きます。
 単なるメディア悪者論ではないバランスのとれた一冊です。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

メディアリテラシーとは情報を読み解くという能力。幼少からテレビの前に噛り付いてるような子供でテレビの情報がどのような意図で誰がどのようにいくらお金をかけて自分に届けられているんだろう?と常からから考えていたのが読むきっかけになりました。日本ではメディア教育は発展途上の為、カナダ、アメリカ、イギリスでのメディア教育現場からのレポートになっています。今後日本でメディア教育がされるときの良い判断材料になるんではないかと思います。
文章を読み取り、文章で説明することは想像できるんですが、3分の動画コンテンツを文章で全て書き出せということになるとどれだけの情報量になるのかというエピソードは考えさせられました。あと情報を読み解く基本は5W1Hが役に立つということ。この本もまた、メディアの一つで、判断基準の一つでしかないようです。

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2009年10月04日

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12年前でこれか。。。
日本はちょっとのんびりしすぎではないでしょうか、消費者としては世界一厳しいって言うんだからメディアに対しても同じくらいガンガン行けばいいのにと思う。
そんなだから読売がバカなネタに飛びついたりするんだ。

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2012年10月22日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 著者自らアメリカ、イギリス、カナダなど、いわゆるメディアリテラシー先進国に足を運び、各国のメディアに対する関心度、メディア教育への取り組みなどをまとめたものである。
 
 1970年代、アメリカではこの頃からメディアリテラシーの重要性が語られ始めた。教育省は、子どもたちはメディアを積極的に読み解く力を養う必要があると感じて、メディア教育に重点を置いた教育プログラムを策定。これを教育機関を中心に配布。その結果、50州中46州がメディア教育を取り入れる結果となった。
 
 しかし、世界で始めてメディア教育を体系的に取り入れたのは、カナダのある一つの州だった。1987年、オンタリオ州は、現在の日本で言う「国語」(母国語の理解、母国語を通した母国の文化理解を目的としたもの)の授業内に、メディア教育を取り入れ始めた。
 
 それから1年後、イギリスは全国的にメディア教育に関するカリキュラムを制定。そこには、「母国の文化を正確に理解を理解するためにはメディアの学習が不可欠」といった一般的な声があった。非公式ではあるが、すでに70年以上にわたって、その礎は築かれていたのだ。

 ここでおもしろいのが、各国におけるメディア教育発展の背景の違いである。
 アメリカでは「メディアは悪影響、有害なもの」という考えが一般的で、それから子どもを守るためにメディア教育が盛んになっていった。
 カナダはアメリカの隣国で、かつては敵対心が強く残っていたこともあり、アメリカメディアに対する挑戦の意味があった。そして、カナダ人としてのアイデンティティを強固にしようとする意図が隠れていた。
 イギリスでのねらいは、当初は「大衆操作への危惧」が出発点であった。しかし時が経つにつれ、「目の肥えたユーザーを育てる」といったものへと変化していった。メディアへの対策、というよりも、メディアをいかに上手に利用するか、という意識の変化である。「メディアリテラシー」という言葉の発祥地らしい積極的な姿勢がうかがえる。

 膨大な量の情報が行き交う現代社会。良し悪しはあるものの、メディアとの接触は私たちの生活から切っても切り離せない。これからの日本は、どのようにメディアというものを捉えていくべきか。そのためにも読んでおいて損はない一冊ではないだろうか。

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2011年04月13日

Posted by ブクログ

アメリカ、カナダなどの教育現場から、多様なメディアからの様々な情報を正しく評価するためのメディアリテラシー教育を紹介する。

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2010年10月02日

Posted by ブクログ

アメリカがやってるから、日本でも。という盲目的な追従は間違いだけれども、英米を見習ってメディア・リテラシー教育を日本で行うことは必須だと思う。

日本人のメディアへの盲信は異常。国民性という言葉で片付けてしまうのは悲しい。

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2012年01月05日

Posted by ブクログ

●未読◎◎◎
人生の大半をメディアとともに過ごすとされる現代生活.報道の客観性や公正さ,暴力表現の影響などが議論になっている今,メディアのあり方を具体的に解読していくことの意味と可能性とは何か.各国で広がっている実践を丹念に取材し,教室での工夫や反応,メディアを監視する市民団体の活動などを報告,情報社会の今後を考える.

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

 この『メディア・リテラシー』は、アメリカ、カナダ及びイギリスにおけるメディア教育現場の取材を通して、それらの国におけるメディアの地位とその評価を明らかにしている本です。事例紹介のほか、それぞれ当事者の発言をもって「メディアの特性・危険性」や「その真意(企み)を読み解く必要性・方策」を提言しているように思えます。「思えます」と書くのは、おそらく著者の意図するところなのでしょうが、本作を読む限り、著者のポリシーが明確には伝わってこないのです。お題がお題だけに、そのスタンスは正解なのかも知れません。
 本作は書名が示すように「メディア」を扱っていますが、そもそも「メディア」の定義は曖昧であり、この作品を読んで得られる視点は、「メディア」という語義にとらわれることなく、人間界のすべての物事に敷衍することができるのではないでしょうか。
 テレビもラジオも雑誌も新聞もチラシも、ネットも写真も、手紙もなにもかも。昨日電話で話した友だちの発言にでさえも。
 何にだって、そこには「意志」があるはず。「目的」と言い換えてもいいでしょう。「企て」と言ってもいいかも知れません。
 そして、一般的に言ってわたくしたちは、そういう事実を忘れ(或いは最初から無知で)、日常の中で二重三重構造の情報を浴びながら、うまく情報発信者の意図に沿う人形になりかけているのです。これが本作で提示されている問題です。
 このような事実に初めて遭遇する人たちの多くは、(操られるのと同じように)これまた本能的に拒絶反応を起こします。気づかぬうちにコントロールされているという事実は、誰にとっても愉快なものではありません。拒絶反応が大きすぎる場合、「このままでは無意識のうちに人間性を去勢される!社会全体に蔓延れば、気づかぬうちに戦争にかり出される!」というところまで発展させる人もいます(実際、mixi内でのレビューにそういう意見がありました)。
 わからなくはありませんが、しかし、「メディアに流されない自分」の行き着く先は、どこなのでしょうか。つまり「メディア・リテラシー」という能力を鍛える目的は何なのか、ということです。わたくしはまだ、そこがわかりません。
 人間社会のあらゆるものの裏に潜む「意志(目的・企み)」を読み解く能力をつけることは簡単です。ちょっとした教育を施せば、みんながみんな習得することができるでしょう。では、みんながみんなその能力を備えた社会というのは、どんなものになるのでしょうか。



 どうですか。
 想像できましたか。
 すべての人があらゆるものの真意を読み取ることができたとして、どういう人間関係が築かれるのでしょうか。どういう社会ができあがるのでしょうか。そもそも社会というものが成り立つのでしょうか。

 極端なところに行ってしまいました。
 わたくしが言いたいのは、「メディア・リテラシー」というものを取り扱うには、そこにも「目的」が必要だということです。「目的」がはっきりしていれば、「どこまで操られてもいいか」という線引きもできるでしょう。
 本作には、3ヶ国のメディア教育の現場において、それぞれ何を目的としているかについても紹介されています。著者は明言を避けつつも、各種あったはずの様々な「目的に関する意見」の中から或る特定の意見を採り上げています。教育を行う場合は、その立場に応じて目的が変わることになるのでしょうし、逆を言えば、メディア・コントロールに対する拒絶反応の種類(幅と深さ)はその人の立場(視点の高低)を表していると言えるのではないでしょうか。
 その意味においての、著者の立場(視点)がどこであるかわかりませんが、「メディア・リテラシー」の必要性に関する説明はうまくまとめてあると思います。
 『新しく登場したテクノロジーを前に、私たちは今、みずからの手でメディア社会を主体的にデザインしていくことができるエキサイティングな時代に立ち会っている。それが、どのようなものになるのか、筋力を鍛え建設的な思考能力を持つ、メディア・リテラシーを身につけた人間の存在にかかっているのではないだろうか』
 どの立場(視点)であれ重要なのは「建設的な思考能力」。単なるヒステリーに陥ってはいけません。

 本作を通して、「社会」というシステムがどうやって構築されるのかということと、心理学について学ぶ必要性を感じました。それらへの理解が浅いままでは、「真意を読み取る」ことの意義をはっきりさせることはできないと思います。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

副題「世界の現場から」の通り、アメリカ・イギリス・カナダの教育現場におけるメディア・リテラシーの教育方法や、市民団体によるメディアウォッチ活動など、取材結果が報告されている。客観的な視点で現場の状況が語られているので、メディア・リテラシー教育を受けたことのない自分にはとても参考になった。

メディア・リテラシーとは、本書によれば「メディアが送り出す情報を単に受容するのではなく、意図を持って構成されてものとして、積極的に読み解く力」のことである。情報氾濫、多メディア化、また報道側の手法が洗練されていく現代において、受け手側のメディア・リテラシーは本当に大切だと思う。その意味は、単に「メディアを疑う」ことではなく、「情報の意味を積極的に読み解く」ことであり、またそれらを「自分で判断」し「自分の意見を述べる」ことである。むしろそれは一種のコミュニケーション能力なのだと思った。

メディア・リテラシー、きちんと身につけなくてはいけないな、と思う。

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2009年10月04日

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