【感想・ネタバレ】NHK「100分de名著」ブックス オルテガ 大衆の反逆 真のリベラルを取り戻せのレビュー

あらすじ

「大衆」という多数派に気をつけろ

「多数派」であることに安住し、自分のことしか考えない傲慢な人=「大衆」が急増する時代に、なぜ政治は暴走してしまうか。その本質と民主主義の限界をあぶりだした大衆社会論の大著を、「大衆」「リベラル」「死者」「保守」という4つのキーワードでよみとく。「なぜ日本では「保守」が間違ってとらえられているのか」「死者とともに生きるとはどういうことか」ーーこれま語られてこなかった文脈から、私たちが生きる世界を認識しなおす術をとく。書下ろし特別章「他者との関係性を紡ぎなおすには」 「私たちの「民主主義」を機能させるために」を新たに収載した、シリーズ累計50万部突破「名著ブックス」の最新刊。

〈目次〉
はじめに
第1章:大衆の時代
第2章:リベラルであること
第3章:死者の民主主義
第4章:「保守」とは何か
特別章①:他者との関係性を紡ぎなおすには
特別章②:私たちの「民主主義」を機能させるために
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Posted by ブクログ

保守とリベラルは対立する概念ではない。
自身の中でモヤモヤしていたことを、先人はすでに指摘していたのだと胸のすく思いがした。
他人への寛容さが急速に失われつつあるこの時代だからこそ、広くこの本が読まれてほしいと切に願う。

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2025年01月04日

Posted by ブクログ

オルテガ・イ・ガセットの名著である『大衆の反逆』の解説書として、中島岳志氏が簡易的に執筆された本書は、極めて平易かつ端的に原著のエッセンスを伝えている。私自身、中島岳志氏のファンではあるが、本書の解説の中で、彼の思想もハイライト的に織り込まれ、非常に読後の満足感が高い。
『大衆の反逆』とはきわめてセンセーショナルなメッセージではあるが、同時に、オルテガからの懇請でもある。彼は、大衆というものを特定の人々の性質として定義した上で、それは超克できるもの、超克すべきものとして提示し、願っている。
大衆とは、個性を失って群衆化してしまった人々を指す。さらに言えば、近代社会の中で、自分自身のよりどころとなるコミュニティ(トポス)を失い、ある種の身体の規律化により、大量生産社会の労働力の歯車として生きている人々を指す。そして、ここが最も重要であるが、大衆は対話をしない。自分自身のよりどころが希薄ゆえに、多数者であることに正しさを求め、自分と異なる意見を持つ他者に対しての敬意を持たず、対話の回路を持たない。まさに、この対話への拒絶に大衆としての特性が現れる。そして、それゆえに、大衆化は単なる庶民の問題ではなく、学者自身の問題としても提起される。丸山眞男も『日本の思想』で述べているが、学問がタコツボ化し、学際間での対話性を失ったアカデミズムの態様にも、まさに大衆性が存在する。
大衆は、ヨコへの対話が閉ざされているが、同時にタテへの対話も閉ざされている。タテへの対話とは、歴史や伝統に対しての敬意である。大衆はトポスを持たないために、時間的・空間的にも視野狭窄であり、自己自身の存在を、多数派との同調のみにしか求められない悲しき人々なのである。
オルテガ、そして中島氏は、こうした大衆が多数を占める大衆社会に対して、改めて対話の重要性を投げかける。
異なる考えの人々が互いに敬意を持ち、相互の理解に向かっていくこと、「敵と共に生きること」「反対者と共に統治すること」、これらの重要性を訴える。そうした対話をベースとした熟議型の民主主義を行うためのシステムとして、代議制の民主主義の存在を提示するが、オルテガにとって、国家とはあくまでシステムであって、動的なものであると考えられる。重要なことは、他者と合意形成をしながら自分たちで秩序を作っていく意志であり、国家はそうした目的があって初めて存在意義と持つと考えられる。静的な国家像はただの暴力装置となり、危険性を伴う。常に、対話による落としどころの探り合いと通じた、永遠の微調整により、社会を動かしていくことの重要性をオルテガは語る。そして、こうした対話の規矩となるのは死者であり、死者への参政権を与えるものが立憲民主主義である。憲法は過去の人々の成功と失敗も含めた叡智の結晶であり、憲法という死者の声を合議に取り入れることにより、現世代のみによる暴挙を抑制する。エドモンドバークが唱えた保守思想と深く共鳴する部分として、人間は必ず誤るという前提のもと、いかに人間の誤りにより齎される被害を最小化するかということに関心が払われる。そうした試みは、人間がすべてを設計できるという軽薄な設計主義とは真っ向から対立し、人間社会におけるセーフティネットとして機能する。
ここまで読めば、お分かりであろうが、もちろんオルテガは変化そのものを否定しているわけではない。むしろ、変わらないためには変わり続けなければならないとすら看破している。変化を生み出すために、その変化の度合いに節度を持つというところが、まさに本書の勘所であろう。
本書では、中島氏はオルテガの東洋的な人間観にも注目する。オルテガは「私とは”私と私の環境”である」という言葉を残している。これは、私という存在が、それだけに立脚しているものではなく、私の環境という周囲の要素にも多分に影響されることを示している。こうした考え方は。「私という意思を持った主体が自己決定している」という近代的人間観を否定するものである。つまり、今の私という存在には、環境による恩恵(無論、恩恵だけではないであろうが)が多分に含まれており、仮に自分が成功していると考えるのであれば、そこには多くの偶然(ラッキー)が存在しているのであるということである。こうした考え方は、成功している人々への自重を促すとともに、軽薄な自己責任論による不幸の原因の個人化という言説も抑制することを求める。これは私が好きな内田樹氏の言葉でもあるが、不幸の人々に対して、どれだけ自分自身もそうなりえたという変容態の意識を持てるかによって、他者とのかかわり方がが異なる。(大きく脱線しそうであるが、私が大好きな映画である「バタフライ・エフェクト」も、”私”がタイムトラベルを通じて多くの”私の環境”を飛び回り、”私の環境”要因による毎回のタイムトラベルで全く異なる多くの結末を迎えることに飽きて、一定の諦念をする物語であると捉えると面白い)
まずは、不幸な人々への惻隠の情であり、アダムスミスの言うemphathyの感覚が社会を支えるあらゆるセーフティネット像の出発点にあらねばならない。昨今の世代間の不公平を嘆く声も、若者は自分自身の未来を批判していることは、少なくとも自覚した方が良い。私自身も、人間が客体をコントロールできるという前提に立つデカルト以来の近代的な人間観に一定の区切りをつけ、オルテガよろしく東洋的な人間観を持つことで、すべてのことはコントロールできない前提に立ったうえで、せめて自分自身がもたらす邪悪さだけでもコントロールするという感覚を持ち合わせることの重要性を感じた。

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2024年11月10日

Posted by ブクログ

非常に読みやすい。
中島さんの思想がどこまで入ってるかわからないが、オルテガの人間観・社会観はとても共感できるし、現代大衆社会への危機感が改めて胸に刻まれる文章だった。
本作とはズレるが、ミシマ社やSUREから出版されているような先生がもつ「優しさ」って良いなと改めて感じた。

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2024年09月01日

Posted by ブクログ

オルテガの「大衆の反逆」そのものを読まずとも、うまく要約して解説してあるのでそれこそ「読んだぶり」ができる本。著者は西部邁の弟子らしい。
おススメ。

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2025年11月03日

Posted by ブクログ

オルテガ曰く、大衆とは、特に理系の専門家や技術者に原型があるとのこと。オルテガは人間が不完全な生き物であることを自覚していたため、複雑な事象をシンプル化して合理的に考えることの危うさを指摘していた。

オルテガは本当の意味での保守主義者である。現在、保守というと、リベラルとの対立の文脈で語られるものの、本来はフランス革命の洞察で知られるバークなどが源流にあり、人間は不完全なのだから、一気に物事を変えるのではなく、少しずつ微調整していこうという発想。

私もその意味では、保守主義者なのだと思う。特に今の時代、簡単に多数派の熱狂に流されて、わかりやすい言説に流されがちであるものの、その背景わ歴史をなるべく理解するように努めたい。

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2025年08月18日

Posted by ブクログ

私とは、私と私の環境のことである。
自分というものを絶対視せず、たまたまその環境に存在するという視点を各々持つことが大事。
両親の存在、子作りのタイミング、そのまた先祖の存在、その人たちの気分や住まい、複雑に絡み合い奇跡的に存在しているという。

歴史はその時々の意味に沿って紡がれており、それを蔑ろにするべきではない。
歴史に敬意を持ち、過去から学び、議論をし続けることが大事。
一人一人がよく考え、気に入らない考えや人の思想も認めて受け入れることが、正しい民主主義につながるという。
大衆をコントロールする政治は可能だが、ナチスなどに持続性はなかった。

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2025年04月19日

Posted by ブクログ

オルテガの名著を、大衆、リベラル、生きている死者、保守という4つのキーワードで語る。
未読の書物を、原著に当たらせたくさせる好著だ。

オルテガのいう大衆とは、自分と異なる他者と共存しようとする冷静さ、寛容さという意味でのリベラリズムを欠くもののことである。その対極が貴族だ。
そして大衆の原型が、専門家だという。

保守とは、人間の理性には限界があり、理性と知性によって社会を設計するなどということは不可能だという認識を持ち、過去の人々、死者たちの叡智とともに生きようとする姿勢のことである。

自我、私、自己責任などという観念が肥大した近代という時代の根源的な誤謬、近代が失ったものの本質を見事に剔出してみせたオルテガ。

あらためて本邦の西部邁をはじめとした保守の論客から学ばねばならないと思いを定めさせられた。

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2023年10月13日

Posted by ブクログ

真理は手に入らない、人間は不完全な存在であり常に自己懐疑的視点を持ち続ける。他人の意見に耳を傾け、自分と異なる考え方に対して寛容になり、合意形成を粘り強く模索する。何かと他人を論破してやろうとする今のご時世で、本書を何度も読み返し、常に自省を促していきたい。

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2022年03月19日

Posted by ブクログ

ネタバレ

大衆の反逆出版当時→イタリアではムッソリーニが、ドイツではナチスが勢力を拡大しており、著者オルテガの故郷スペインもファシズムの波に飲み込まれて行った。
この失望から大衆の反逆は生まれた。

大衆とは?→自分が拠って立つ場所もない個性を失った群衆のことを指す。
自分の信念がなく、時代の流れにただ身を任せるだけの人
(オルテガは特に専門家を批判していた。一分野の専門家に過ぎないのに、知っているかのように振る舞うから)
また大衆は己の能力を過信して、平凡ではなく何か優れたことをしようとする。
しかし人間の非凡さは平凡に見えることの中にある。

自由主義とはとにかく寛大なものであり、他者を受け入れる寛容な精神
保守とリベラルの二極化ではなく、反対者と共に生きる寛容性がない。

生きている死者
→大衆は伝統を蔑ろにする。
今の時代はいつの時代よりも優れているという傲慢さが、伝統を古めかしいと一蹴する要因。
過去や死者に向き合わない姿勢は全てを単純化する危険がある。

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2025年05月27日

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