あらすじ
世俗的なものとの妥協を排し,不断の情熱をたぎらせて人生の意味を追求し続けた光太郎の詩は,美しいもの,真実なものに対する善意と愛に満ちている.その歩みの中から九十三の詩篇を精選し,「道程」より・「道程」以後・「智恵子抄」より,の三部に編んだ.作者が生前自ら校閲した最後の詩集である. (解説 奥平英雄)※この電子書籍は「固定レイアウト型」で作成されており,タブレットなど大きなディスプレイを備えた端末で読むことに適しています.また,文字だけを拡大すること,文字列のハイライト,検索,辞書の参照,引用などの機能は使用できません.
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Posted by ブクログ
**自然、愛、そして人の魂が響きあう、温かく力強い生の賛歌。**
[読後の印象]
私の記憶を辿ると、いわゆる近代詩という形式を意識的に読んだ初めての詩は、おそらく高村光太郎だろう。
高村光太郎の詩集、とりわけ『智恵子抄』や詩「道程」に表されたその詩情は、日本近代詩における不朽の金字塔であり、今日に至るまで読み手の心に深い感銘を与え続けている。
光太郎は明治から昭和にかけて芸術家として活躍し、その詩集の一篇一篇には彼の静かながらも燃え上がる人生観と芸術観が刻まれている。
『智恵子抄』は彼の最愛の妻・智恵子との愛とその喪失の軌跡を描く詩集であるが、その愛は甘美な絆の域を超え、苦悩の深淵と喜悦の天上を往来する。
「あどけない話」や「レモン哀歌」においては、智恵子のひたむきで脆弱な魂が高村の心情と共鳴し、一つの鮮烈な生命となって読む者の前に立ち現れる。
この詩集は単なる愛の賛歌ではなく、むしろ人間の根源的な孤独と生の哀切を掘り下げ、喪失の彼方にある普遍的な真理を探ろうとする高村の試練の記録である。
彼は智恵子の死後もその姿を詠み続け、自己を超えた魂の深奥に触れようとしたのだ。
そして、彼の代表的な詩「道程」では己の人生の歩みを振り返りつつ、自らの道を切り開いていくという決然とした意志が謳われている。
「僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる」という言葉には、失敗や苦難を経験しながらも前進し続ける者の悲壮な決意が籠もっている。
光太郎はその生涯を通じて「道」という概念に心血を注ぎ、内なる孤高の探求者として自己の限界を超えようとする勇者の姿を詩に描いたのである。
光太郎の詩は、その抑制された感情表現の背後に奥深い思想が息づき、読む者に思索の糸を与える。
彼は自然と日常の情景を捉えつつ、そこに人間存在の本質を浮かび上がらせることに腐心した。
その精緻な言葉の構築の背後には、智恵子への愛に根ざした深い悲哀が透けて見え、それを越えて普遍的な人間の感情へと触れていく光太郎の試みがある。
詩作を通して、彼は己が抱える喜びと悲しみを超越しようとし、詩という器に人間の本質を盛らんとする求道者であったのだ。
こうして高村光太郎の詩集は、自己と他者、愛と喪失、歓喜と苦悩の両義性に満ち、読者に再考を促す存在として在り続ける。
感情に流されず厳粛な洞察によって編み上げられたその表現は、決して古びることなく現代にも生き続ける普遍の輝きを放っている。
彼の詩に触れる時、人はそこに人間としての誇りと儚さ、そして生きるということの厳しさと美しさを見出すのである。
再び光太郎の詩を読む時、私の心に去来する感情はなんだろうか?
Posted by ブクログ
高村光太郎で一番好きなのは、王道ながら智恵子抄。ただひたすらに、一途や最愛と言う言葉では言い表せないような想いが詩に溢れていると思う。輪郭が掴めない、ぼんやりとした感覚があるのに、心に残るものがある。
Posted by ブクログ
「道程」で有名な詩人・高村光太郎の作品集。
ひとつひとつの言葉に血が通っているような感覚。
日常に溢れている言葉をいかにして神聖なものとなるようにつなぎ合わせられるかが詩人の腕の見せ所だと思った。
美しい日本語に酔いしれられます。
Posted by ブクログ
小学生の時、教科書に「ボロボロな駝鳥」を読んで衝撃を受け、
詩集で再び読んで、やっぱりいいなと想い、今回、高村光太郎の詩集を買って、この年になって初めて、高村さんの詩だと知った。
言葉を巧みに操る天才詩人はそういない。
言葉ひとつひとつが研ぎ澄まされた石のようだ。言葉に重力を感じる程、何度読んでも、何度開いても飽きない。
Posted by ブクログ
もういままで何度読んだかわからない。中学の時に買った文庫をいまだに読んでいます。もうボロボロ。最近小学校2年生の息子が智恵子抄の一節「あどけない話」を暗記していてびっくりした。
Posted by ブクログ
──そはわがこころのおきてにして
またわがこころのよろこびのいづみなれば
「さびしきみち」
なにかを決意したいときに、こころに浮かべるのです。
Posted by ブクログ
“僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る ああ自然よ 父よ 僕を一人立ちにさせた広大な父よ 僕から目を離さないで守る事をせよ 常に父の気魄を僕に充たせよ” 大好きな詩です。
Posted by ブクログ
路傍の瓦礫の中から黄金をひろい出すというよりも、むしろ瓦礫そのものが黄金の仮装であった事を見破る者は詩人である。『生きた言葉』
※詩人。彫刻家(作品・手)。
きたないといわれるものの中にも、美を備えたものがたくさんある。
Posted by ブクログ
詩の言葉に感動して、そのあまりの
感動に行動を起した。・・・本を投げつけた。
そういう「心の揺さぶり」をかけてくれる。
いっぱいあるから、誰が読んでもきっとどれか一つの詩が
大好きになると思う。
Posted by ブクログ
よかったのは『道程』以前。特に冬に関連した一連の作品が気に入った。きっぱり澄み渡るような力強さ、潔さがあって読んでいて気持ちが良い。これからの季節にぴったりだ。
今回改めて思ったのは、高村光太郎は良くも悪くも「正しすぎる」ということ。私の好きな中原中也や萩原朔太郎などと比べると鬱屈したところが見当たらない。同じ孤独を歌うのでも、光太郎にかかるとなんだか明るい、悪く言えば陰影が感じられない気がした(『孤独がなんで珍しい』など)。そこにあるのは人間性への信頼を捨てていない詩人の姿だろう。
解説ではヒューマニスティック、求道的と評されていたが、それが私にはかえって綺麗事のように響いてしまう面もあった。年を経て再び読みなおしてみたい。
Posted by ブクログ
最初は星2つかな、と思ったけれど、「智恵子抄」を読んで、1つ増えた 2011.5.14
「牛」、「車中のロダン」が好き。「僕等」もいいけれど「深夜の雪」のささやかな幸せを感じさせるところが好き。 2014.5.8