あらすじ
姑獲鳥、カシマ、口裂け女、テケテケ、八尺様、今田勇子――
そのとき、赤い女が現れる。
怪談から読み解く現代史。恐怖の向こう側にあるものとは。
絶対に許せない人間の「悪」。
深淵を覗き込んだ時、そこに映るものは何か。
怪談の根源を追求する、吉田悠軌の探索記、その最前線へ。
現代怪談に姿・形を変えながら綿々と現れ続ける
「赤い女」。そのルーツとは。現代人の恐怖の源泉を
見据えることで明らかになる「もう一つの現代史」。
赤い女の系譜を辿りつつ、その他重要な現代怪談の
トピックについても探索していく。
浮かび上がる「ミッシングリンク」とは。
【目次項目】
・怪談の深層に眠るもの:「子殺し」怪談 secition1
1:イタリア公園へ
2:こんな晩
3:ザシキワラシ
[現代怪談の最前線]:歩く死体を追いかけろ!
・怪談の深層に眠るもの:「子殺し」怪談 section2
4:現代怪談の幕開け
5:夕焼けの人さらい
付1:赤い女前史
6:口裂けの系譜
[現代怪談の最前線]:牛の首
・怪談の深層に眠るもの:「子殺し」怪談 section3
7:子殺しの罪と罰――コインロッカーベイビーとしての「コトリバコ」
8:欠損する下半身の意味するもの――カシマさん
[現代怪談の最前線]:人面犬
・怪談の深層に眠るもの:「子殺し」怪談 section4
9:「大流行」以前の口裂け女
10:変容する口裂け女
11:潜伏するカシマ・ウイルス
付2:テケテケ
[現代怪談の最前線]:岐阜ポルターガイスト団地
・怪談の深層に眠るもの:「子殺し」怪談 section5
12:「感染」を拡大させる赤い女――アクサラ、泉の広場の赤い女
13:「白い女」の系譜――サチコ、ひきこさん、八尺様
14:産みなおし、生まれ返りを希求する存在たち
付3:MOMOチャレンジ
[現代怪談の最前線]:樹海村
・怪談の深層に眠るもの:「子殺し」怪談 section6
15:なぜ多くの人々が「赤い服を着た大きな女」を見てしまうのか?
16:怪談とはなにか、恐怖とはなにかを探ること
おわりに
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
「現代怪談」と「子殺し」の関係性を主軸に様々な関連を述べる本。ネットの怪談や実際に起きたポルターガイスト騒ぎ、人面犬や口裂け女など話題は多岐に渡りますが一つひとつを丁寧に取り扱い、実際に現地へ行き丹念に源流を辿る姿勢が伺えます。
Posted by ブクログ
常に主役は怪談で、怪談が映す現代の心の闇...とかではなく、怪談を考えるために「現代で一番怖いとされているものは、その理由は」と考えていく話なので安心して読めた。
母性を極端に重んじている傾向から、現代では子供を殺したり死なせてしまうのが女性だった場合、特にそれが恐ろしいものとして語られるし、そういう話を語りたがってもいる、
というのは結論ではなくて早々に示される出発点で、落ち着いた内容ながら作者の個人的な視線だと明記されているからか、「赤い服(あるいはこれから赤くなることを予感させる白い服)を着た大きな女」のまわりをぐるぐるまわっているような、独特の近さの感覚もあって良かった。最後は意外なくらい感動した。
Posted by ブクログ
なんっっっっっっっっっで怖い話にでてくるのてだいたい女の幽霊やねーん!と思っていて、そのへんを語った本はないだろうかと探したら、この本にたどり着いた。
これは、フェミニズムの本だと思う。こういった視点からホラーを見つめる人がいることはすごく貴重だ。
カシマさん、口裂け女、テケテケ、八尺様、アクロバティックサラサラ。現代怪談に姿・形を変えながら綿々と現れ続ける「赤い女」とそのルーツを現代人の恐怖の源泉は何なのかを見つめることで、そこに含まれる社会の変化や構造などの現代史も踏まえてたどっていく本。
いやー、めちゃめちゃおもしろかった。現代怪談に現れ、人々のなかにある恐怖のイメージとして確実に立ち上ってくる「赤い女」。その赤い女とは「子殺しの母」ではないかということを吉田氏はこの本で語る。
子どもを亡くした母である「産女(姑獲鳥)」からはじまり、それが子どもというものが貴重な存在になるにつれて、堕胎が合法になるにつれて、子どもを殺す母親(母性)というものへの恐怖が膨れ上れあがり、それが「赤い女」となって怪談に表れるのではないか。
社会構造の変化や子どもという存在が多産多死からどんどん貴重な存在になる。それゆえに子どもが殺されることへの恐怖やタブーさが増していったということは、たしかにと納得できるものであった。
おもしろかったのはコトリバコ=コインロッカーベイビー説だった。生まれてすぐの新生児を駅のコインロッカーに遺棄した事件。マスコミは”母性崩壊”だとして騒ぎ立てた。こうした主張を吉田氏は「子育ては母親だけが受け持つべきであり、コインロッカーベイビーの事件はそれを補強するために使われた」としている。そこからさらに”言うまでもなく、「母が一人だけで全身全霊をかけて子育て」する風潮は、日本に連綿と続く伝統的な「家」のあり方ではない。さらに厳密に言えば、明治大正の「近代家族」の状況とも、戦時下に推奨された「産児報国」の状況とも異なる。核家族化する都市サラリーマン階層の増大、子どもへかける教育の過熱かなど、あくまで高度経済成長期に現れた特殊なモデルに過ぎないのだ。”と現代の母親や家族に押しつけられがちなイメージをきっぱりと否定している。
ホラーにでてくる「赤い女」は『子殺しの女」であり、それはいったいどこからくるのかをここまで真摯に掘り下げてる人の存在は、女というだけで勝手に母性という意味不明なものと結び付けられがちな自分としては胸のすく思いだ。
ホラーとは、怖い存在やその対象はいつだって人間がイメージを作る。そしてそれは人間が作る社会に結びつていることは必然だろうし、それはその社会のなかでは否定的に捉えられるもの、良しとされないもの、社会の体勢に反旗を翻すものだ。いつだって社会に迎合しない女は煙たい目で見られる。それを愛好家が盲目にならずに真摯に取り組んでくれることがその分野の醸成に不可欠だと私は思っている。
何を怖い存在として描くかは書き手の意識や思考が浮き彫りになる。そこに無頓着なホラー愛好家や作家が多いことは私は否定できない。それゆえに安易に女や田舎を恐ろしいとものとするのだ。
この本の本当に最後のほうに吉田氏はこう書いている”「母性」の光が強烈であるほど、その影は色濃く伸びる”と。
社会が母親や子育てをする家庭、さらには子どもに要求する水準がどんどん高くなっている。「道路族」「放置子」という言葉はまさにその象徴で子どもを共同体や地域で育てるという意識はどんどん薄れていっていることを挙げ、”もはや現代日本では、限られた人間たちしか子どもを「産めない」のだ。”と結論を出している。
昔は間引きなどもあり、さほど恐怖の対象とされなかった「子殺し」が人にとって最大の恐怖になった経緯を解明し、その恐怖を作る社会というものを批判した本だった。ただ少し物足りないと思ったのは、子ども殺しをすることになってしまう女性の原因のひとつに男性の不在があることをどう捉えているのか、どう影響しているのかも踏まえてくれたら、もっと満足度が高くなっていたと思う