あらすじ
2016年春、東京で「ひきこもり女子会」が開かれた。訪れたのは、「介護離職を機に家から出られなくなってしまった」「男性のいる場に行くのが怖い」という、ひきこもりの女性たちだ。「主婦」や「家事手伝い」に分類されてきた、「見えないひきこもり」が可視化された瞬間だった。ひきこもりには女性も性的少数者もいるし、困窮する人も、本当は働きたい人もいる。そして、それぞれに生きづらさを抱えている。ひきこもり当事者の著者が、「ひきこもり1686人調査」と自身の体験をもとに、ひきこもりの真実を伝える。
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私がやってるレズのハイキングコミュニティ、普通に友達作りの場として機能するというのが表向きメインではあるんだけど、こういう風な1回外に出る事が出来なくなってしまった女性達の外に出るきっかけになるような場所になったらいいなと思ってる。だから参加料とかは取らない方針にしてる。私自身が自分のセクシャリティーの悩みで一時期仕事も学業も出来なくなって半年ぐらいではあるけど引きこもりになってしまった時に、私の知り合いの男の子が私のセクシャリティーを理解した上で私を色んな場所に連れ出してくれた事がきっかけで社会復帰出来た事があって、その時本当にありがたかったなと感じたから私も誰かのそういう役割になりたいなと思ってこのコミュニティを維持してる。
林恭子
高校2年生で不登校になり、以来30代まで断続的にひきこもって過ごす。2012年から当事者活動を開始。全国で「ひきこもり女子会」を主催する他、メディアや講演を通して、ひきこもりについて当事者の立場から伝えている。現在、一般社団法人ひきこもりUX会議代表理事。他、新ひきこもりについて考える会世話人、東京都ひきこもりに係る支援協議会委員等を歴任。編著に『いまこそ語ろう、それぞれのひきこもり』 (日本評論社)、共著に『ひきこもり白書2021』(ひきこもりUX会議)などがある。
コロナ禍で良くなったこととしては、ひきこもっていることを「批判されない気がする」がもっとも多く四一・一%、次いで「マスクをしていても浮かなくなった」が三三・二%だった(図表1‐12)。この数字からは、多くの当事者が普段から人目を気にし、ひきこもっていることに自責の念を感じていることがうかがえる。また、マスクをすることは自身の見た目へのコンプレックスや対人不安の防衛手段として機能し、感染防止策とはちがった心理的安心感につながっていると思われる。
また、「男性に苦手意識がある」と答えた人は六四・三%だった。女性だけの居場所である「ひきこもり女子会」へのニーズが高いことにも納得がいく。参加者からは、「相談の窓口の人が男性だと行くことができない」「男性がいる居場所には参加できない」という声もあがっており、支援において女性が相談しやすい配慮が必要だということがわかる。「対人関係に漠然とした恐怖感がある」人は八七・五%に上ったが、一方で「人と交流したいと思う」人も七六・六%いて、不安を抱えながらも人とのつながりを求めている。
多くの女性たちはギリギリの状態でひきこもりUX女子会にたどり着くが、その後他の居場所や相談窓口に行ったり、就労やボランティアなどにつながる人も少なくない。なかには自らひきこもり女子会を立ち上げたり、結婚、出産する人などもいて、その行動力にこちらが驚くこともしばしばだ。人は「ひとりではない」と思えることで力が湧き、強い自己否定や孤立感から抜け出せれば、特別な支援がなくとも自ら動き出すのだということを目の当たりにしている。
それはやはり「ひとりではなかった」と感じられることが大きいと思う。私もそうだったが、ひきこもりの人の多くは「こんなバカなことをしている人は他にいない」「自分ほどダメな人間はいない」と思い、気持ちを理解されずに孤立している。女子会では、同じように思っている人や、似たような経験をした人と出会え、語り、共感を得られる。「ひとりではない」「わかってもらえた」という体験は非常に大きく、たった一度の経験でひきこもり状態から抜け出す人もいる。
ひきこもりUX女子会では参加者にアンケートの記載をお願いしている。参加者の声をいくつかご紹介したい。
・外に出る大きなきっかけを貰いました。人と会うため、自分自身の手入れをしっかりしようと思えました。女性だけの集まりはとても珍しく、本当にありがたいです。
・しんどいのは自分だけではないと、リアルに感じられた事。・ずっと一人で悩んでいたけれど、参加をすることで仲間と出会い、自分は一人じゃないんだと思った。気持ちが前向きになった。
費用面でのメリットも大きい。UX会議主催で女子会を開催する際は、会場となる、主に公共施設を借りることになるが、無料で借りられるところはほとんどない。そのため参加者から「参加費」を取らざるを得ず、通常三〇〇円を設定している。だが参加者からは「高い」という声があがる。「女子会」の参加者は九割以上が無職で収入がない。その彼女たちが会場まで交通費をかけ、さらに三〇〇円を支払うというのは大きな負担になるのだ。また、私たちメンバーもボランティアで運営する他なく、継続していくには負担となってくる。自治体と連携すれば開催に要する費用を最小限に抑えることができ、参加費を無料にすることができる。
連携の支援者側のメリットとしては、当事者に出会えることが挙げられる。女子会で全国を廻っていてよく当事者から聞くのは、「うちのところには何もない。相談窓口も当事者会も、まして女子会なんてない」という声だ。ところが女子会に見学、参加した自治体や支援団体の人からは、「窓口はあるんです、居場所もあります。でも誰も来ないんです」という声が上がる。情報が届いていない、また当事者にとって参加になにかしらのハードルがあるなどが考えられるが、いずれにしろ互いに出会えていないのが現状だ。
一方で外出自粛が続くなか、「やはりリアルで人と会いたい」という人も増えてきているのを感じる。私自身、オンラインでは雑談がしづらく、また言葉以外の情報が得にくいせいか場の空気を感じ取ることができずとても疲れる。今後、リアルとオンラインの双方の居場所や支援が広がり、選べるようになると良いと思う。
一時間ほど話した後、一人で帰れるかしらと心配したが、「こころのはな」のスタッフの方が駅まで一緒に行ってくれるとのことで、その日は帰っていった。 数カ月後、再び「こころのはな」での女子会に参加した彼女が驚くことを言った。「……仕事に就きました」 聞くと、前回の女子会のあと、彼女が好きで得意とする裁縫の地元サークルに参加したところ、すんなりと受け入れてもらえたとのこと。さらに、たまたま見つけた服飾関係の仕事に就いたという。しかも面接でひきこもっていたことも伝えた上で採用されたのだという。机を囲み話をしていた参加者や私も含め、あまりに早い展開に全員が「えーっ!」と声を上げ驚いた。そして二〇一九年、人生の伴侶を見つけた彼女は、現在は主婦として家族を支えながら、名古屋での女子会にも引き続き参加してくれている。
さらにいえば、「居場所」は必ずしもひきこもりに限定する必要はない。趣味や習い事の場が「居場所」になることもあるだろう。実際にギター教室の先生との出会いがひきこもりから抜け出すきっかけになったという人もいる。本来「居場所」とは作るというより、いつの間にかそこが「居場所」になっていたという性質のものでもある。否定されずに受け入れられ、安心して居られる場であれば、それは誰にとっても居心地の良い場ではないだろうか。
ひきこもり状態にある人の背景として生活に困窮している人も少なくないため、無料や安価な参加費(二〇〇~三〇〇円程度)で参加できるものが望ましい。参加費をできるだけ抑えることで、生活困窮状態にある人や、収入のない当事者も参加しやすくなる。一方、継続的な活動には運営団体として健全に成り立つことも必要条件だが、安価な参加費だけで運営していくのは非常に難しい。そのため、行政との連携や助成金の活用が重要になってくる。
Posted by ブクログ
著者の林恭子さんの実体験を述べられている第四章は、今までに読んだひきこもり関係の本の中で一番具体的な実体験の内容を述べらています。
林恭子さんは、ご自分の実体験をこうして外部にアウトプットしたかったのだと思います。
参考になる人達がたくさんいるはずです。
子供の頃から、荒れていた中学でのこと、転校を繰り返して育たれたこと、ご家族、ご姉妹のこと、通院、入院、大検、自分だけではないことを知ることができた不登校関係者との出会い、そしてご自分で当事者発信を開始されたこと、『ひきこもり』にかかわるようになって二〇年以上が経過しているが、その間に五人の友人を喪い、うち四人は自殺だったこと。
人類史上前例のない、歴史上始まって以来の世界中で最も多い日本の大量の『ひきこもり』問題は、直面し、当事者たちを中心にして、なんとかコツコツと少しでも乗り越えていかなくてはいけない、大きな課題・問題です。
いままでに過去にかって地球上に前例がないため、解決して乗り越えていくために参考にしていくことができる正解がどこにも見当たりません。
それでもやっていくしかないです。
『不登校・ひきこもり』の人達が相談したり参加すことのできる、いくつかのひきこもり関連サイトが巻末に記載されています。
他のひきこもり関連サイトよりも、おそらく林恭子さんのお勧めの関連サイトだと思われます。
林恭子さんの本を読むことで、自分でWeb検索をしてみて、YouTubeやアメブロもやってくださっている後藤誠子さんのことや、厚生労働省が初めて、様々なひきこもり経験者の方が発信されているYouTubeの「ひきこもりVOICE STATION」を知りました。
いままででの中で、これほど真面目で誠実で誠意を感じられることのできる人たちがたくさん参加されている有意義な発信活動はなかったです。
動画を視聴することができる環境の『ひきこもり』当事者や、ご家族の方でしたならば、必ず「ひきこもりVOICE STATION」を視聴すべきです。
後藤誠子さんも、御自分や息子さんの恥ずかしいことや悔しいことは、それを抑えて発信されています。
どんな年齢層、性別の『ひきこもり』の人達でも、自分だけではないということを知ることは、とても大切なきっかけで始まりになるはずです。
自分と似た人がいるということは、安心感や、意欲になります。
傷のなめ合いだけになってしまってはいけませんが。
数多くの『ひきこもり』の人達は、なにか行動をやっていかなければ、ますますどんどん自分が置いてきぼりになっていくことはわかっています。
ですが、なにか自分が社会的な行動・活動・社会参加をしていけば、いくほどに、どんどんどんどんますますと、卑しくて、屈辱的で、惨めで、情けのない、自分の人間性、人間の尊厳を失っていき、否定されていくことになってしまうことになる、悪循環に追い込まれていくことにしかならないのではないのか?という、とても大きな恐怖感と不安感とあきらめ、絶望感があるわけです。
夢や希望や目標やりがいを持てないわけです。
『ひきこもり』の中のほとんど大多数の人達にしてもわかっています。
自分が屈辱的で情けがなくて、卑しくて、惨めな、奴隷やペットみたいな人間の尊厳や人間性のかけらもないような人間に追い込まれていくことになる、働き方や生き方ならば、いくらでも社会活動をしていけることを。
ですがそれでは尊厳を失っていくことがわかりきっているので、それが耐えられなくて、自分が一番居心地の良い、自宅の自分の部屋に閉じこもってしまう。
わたし自身の意見ですが、一つの生き方として、古代中国からあった勉強法に、ひたすら“「記録していく」”という勉強法があります。
このひたすら“記録していく”という勉強法の姿勢は、ほとんどの社会活動、自宅、家族、街や職場、人とのコミュニケーション、勉強、学習、仕事、職場でも有意義に活かしていくことができると思っています。
例えば自分が感情的に思い込んでやっていくと、勉強しているときでも、読書や、映像や写真を目にしたり、記事を読んだり、すべての他人と接しているときでも、なにか想像してしまったりして、あまりにも生々しくて、自分には負担が大き過ぎて、受け容れられなくて、混乱したり、抱えきれないことがよくあります。
ですが、自分の精神や心や内面的なものが、混乱して、傷つき、衝撃を受けないためにも、ひたすら周りのすべてを“記録していく”姿勢で打ち込んでいくのは、かなり効果的だと思います。
ただし適度に距離を取って、誠実に、詮索したり、探ったり、想像していくのではなくて、礼儀正しく“記録していく”ような姿勢です。
そうすれば、傷ついたり、なにか余計負担を抱えていくことが少しでも減るはずです。
精神的、情緒的、身体的に自分を主張して社会活動をしていくのではなくて、知力的にすべての社会活動をしていけるようになっていくイメ−ジです。
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■ひきこもりの支援というと「社会に適応させること」と思っている人が多い。問題があるのは本人(又は家族)であるから、その当人を指導、矯正して元の社会に戻すという発想。
問題があるのは本人ではなく、社会の方かもしれない、という視点は必要だ。「ダメな人」を矯正して社会に戻すという発想ではなく、様々な個性や特性こそが強みで、それを活かしてもらうという発想が欲しい。また、その人がその人のままで生きられる社会を作っていくこともとても大切だと思う。
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とてもとても良かった。著者がひきこもり経験者というのがとてもよく伝わる内容で説得力があった。
前半はひきこもりについての実態調査内容、支援の仕方や居場所づくりの大切さと作り方など支援する側のあり方。
後半は著者の林さん自身のどうしてひきこもってどのような経緯でまた生きていこうと思ったかが書かれて、最後に家族にどうしてほしいかをかいている。
私自身が現在ひきこもり当事者なんですが、本当に首がもげるほどそうなんです!!と頷く内容で、こんな人が居てくれるのが心強いと思うほどでした。
とくに家族にどうしてほしいかの章は本当に素晴らしかった。当事者のご家族には本当に読んで欲しいしまた、支援者の方や、ひきこもりを知りたい方にも、知らない方にも是非読んで欲しいです。
ひきこもり当事者の感想として、当事者なら私が以前読んだ石川さんの「「ひきこもり」から考える」よりこちらの本が当事者として共感できるのでオススメします。
Posted by ブクログ
僕は自分がひきこもりにならなかったのは、偶々タイミングを逸したからだと思っている。だから引きこもりとは何かに関心を持つ。
当事者主体の支援の必要性、女性など見えにくい当事者。経験者の実態により露わになる問題点と必要なもの。
Posted by ブクログ
著者は、不登校と「ひきこもり」の経験者。
40歳近くに社会復帰を果たす。その間何をし、何を考えていたのか。原因は何だったのか。同じような境遇にある人は、何を求めているのか。実体験をもとにリアルを語る。
不覚にも読み始めて気づいた。著者は女性だ。ひきこもりは、なんとなく男性だという先入観があった。著者自身もそのことについて最初に触れる。内閣府の調査ではひきこもりは男性が77%だが、自分たちの独自調査では女性が61%。どちらかの調査が偏っているのかもしれない。別のデータでは小中学校の不登校の女子は合わせて48%であり男女にほとんど差がなく、確かに女性の比率は、内閣府の調査よりもっと多いのかもしれない。
ひきこもりは、つらい。6割以上の人がそう感じながら、ひきこもる。きっかけは、心の不調や病気が最も多い。生きづらさを感じている。
社会で生きる事は、容易では無い。必要最低限の能力を維持し、時に悪意を退け、日々の生活費を手に入れなければならない。また、ただ何気なく生きるのではなく、自我や尊厳も保たねばならない。食事が得られても、存在を否定される日々では、心が生きていけない。だからこそ、承認欲求の奴隷にもなるのだろう。しかし、その全てにおいて、「他者の期待」に応える能力、努力、労力が求められるのだ。他者への働きかけを止めれば、〝対価も承認”も得られない。
社会との関係性を断ち切り、ひきこもる事は、この他者の期待との連環を断ち切る事。そのエネルギーが尽きてしまった状態だ。更に自己否定を繰り返し、負の悪循環に陥っている。人の心は難しい。微かな期待、小さな尊厳からやり直さねばならない。
Posted by ブクログ
ひきこもりを就労に結びつけるまでがゴールではない。当事者目線での支援の在り方を提起した本。
個人的には著者の妹さんのインタビューが参考になった。